第12話 失格王子の意地


「ふう……やれやれだな」


 双子の弟に成りすまして後宮に行くことを了承したシュバルツは、いくつかの打ち合わせを終えて部屋に戻ってきた。

 5年ぶりに足を踏み入れた自室は当時のまま。王位継承戦に敗れ、王宮から出奔することを決めたあの日と変わっていない。

 家具の位置や壁に掛けられた絵、骨董市で購入して部屋の隅に置いていた謎の置物までそのままだった。


「……掃除もされてるみたいだな。俺が戻って来る日を待っていたのか、それともこんな日がやってくることを予期していたのか」


 シュバルツは部屋の隅に鎮座している巨大なタヌキの焼き物を撫でつつ、この部屋で過ごした日々を思い出す。


 魔力が極端に少なく生まれたため、シュバルツは王宮内では腫れ物を触るように周囲から扱われてきた。王族だったため目に見えた迫害や苛めこそなかったものの、王宮内に出入りする貴族からは露骨に避けられ、使用人は必要最低限にしか接してこない。

 良い思い出はまったくなかったが……それでも生まれてから15年間を過ごした部屋である。懐かしさのような感慨が胸に込み上げてくる。


(『失格王子』……かつては要らないものとして扱われてきた俺が、まさかこんな形で必要とされる日が来ようとはな。ヴァイスの代理だなんて忌々しいぜ)


 シュバルツは双子の弟の顔を頭に浮かべ、小さく舌打ちをする。

 弟であるヴァイス・ウッドロウはシュバルツとは対照的に、王宮内にいる誰からも愛され、必要とされていた。


 それなのに……ヴァイスは王太子という地位を投げ出して女と駆け落ちしてしまった。

 シュバルツが狂おしいほどに求めた物を全て持っていたにもかかわらず、それらを平然と捨てていったのだ。


(本当に……心の底から憎たらしい弟だ。自分がどれほど恵まれた境遇かも知らないくせに。後宮で大勢の女を囲うチャンスを与えられて、何がそんなに不満だったんだよ)


「……これからどうするかな。本気で鬱陶しくなってきやがった」


 シュバルツはゴロリとベッドに横になる。

 父王の依頼を受けてヴァイスのフリをすることは了承した。どうせ逃げてもすぐに捕まるし、それ以外に選択肢はないだろうと考えたからだ。

 だが……このまま流されるままに行動するのも面白くない。


(……親父のことは恨んじゃいない。俺が冷遇されていたのは俺自身の責任だし、今回の判断だって苦渋の決断だったのだろう。だけど、俺を『失格王子』として扱っていた奴らのために素直に働いてやるのは腹立たしいな)


 ヴァイスのフリをする。後宮の妃らを騙しとおす。

 それについては問題ないが……どこかでシュバルツを連れ戻した連中をアッと言わせてやらなくては腹の虫がおさまらない。


「む……?」


 ベッドに横になりながら悶々と考え込んでいると……ふと何者かの気配を感じた。

 数年間、裏社会の人間として過ごしてきた経験が侵入者の存在を訴えてくる。


(親父の命令を受けた監視役か……? いや、違うな。この気配は覚えがある)


「……盗み見してないで降りてこいよ、クロハ」


「あら、気づかれちゃったわね。随分と勘が鋭くなったのね?」


 天井の板の一部が外れ、そこから見慣れた美女が顔を出す。

 高級娼婦にして、秘密結社『夜啼鳥』のまとめ役であるクロハが天井裏に潜んでいた。

 クロハは天井に開いた穴から窮屈そうに……特にたわわに実った胸部に苦労させられながら、這い出してくる。

 音もなく床に着地したクロハの服装は昨晩着ていた着物ではなく、闇に溶けるような漆黒の装束を身につけていた。


「おいおい……ここを何処だと思ってやがる。王宮に忍び込んだりして、見つかったら命はないぞ?」


「今だったら大丈夫よ。貴方の弟が行方不明になったおかげで、宮廷の警備が紙きれみたいにペラペラになってるから」


 クロハは黒い髪を掻き上げながらそんなことを言った。

 ヴァイスが平民の女と駆け落ちしたことは表向き伏せられており、知っているのは一部の人間だけ。捜索には信頼のおける近衛騎士が動員され、おかげで宮廷内部の警備はかなり手薄なものになっていた。


「へえ……それはこちらにとっては都合がいいな。王宮の機密情報やら財宝やらを盗み放題じゃないか」


「だったらいいのだけどね。まあ、流石に国王の周辺や重要な部屋だけは残った騎士が厳重に固めていたわ」


「フンッ……それでどうして王宮に忍び込んだんだよ。まさか、俺が心配で様子を見に来たわけじゃないんだろ?」


 シュバルツとクロハは愛人関係にあったが、それでもクロハは裏社会に君臨する秘密結社の首領である。いざとなれば、愛した男を切り捨てるくらいの覚悟は持っているだろう。

 いくら手薄になっているとはいえ、シュバルツのために王宮に忍び込むという危険な真似をするとは思えない。


「もちろん……私は『夜啼鳥』の首領として組織のためにここに来たのよ。聞いたわよ、ヴァイス王太子が女性と逃げちゃったんでしょ?」


「どうやってそのことを……ああ、そういうことか」


 シュバルツがゴソゴソと自分が着込んでいる服を探ると、襟の裏にコインのようなものが貼りついているのを発見した。

 コインには奇妙な文様が刻まれている。おそらく、何らかのマジックアイテムだろう。


「マジックアイテムを使って盗み聞きしていたな? 旦那の浮気を疑う女房じゃあるまいし、ご苦労な事をしてくれるじゃないか」


 それは盗聴の力が宿ったマジックアイテムだった。

『送信』のコインが盗み取った音声を離れた場所にある『受信』のコインに送ることができる。コインが音を届けることができる距離は100メートルほどしかないため、わざわざ音が拾える王宮内部まで忍び込んできたのだ。


「あら、私は浮気には寛容よ。たとえ恋人が後宮の主になって不特定多数の女性と関係を持ったとしても、許せるだけの度量の深さは持っているつもり」


「……本当に全部聞いていたんだな。それで、目的は何だ? そろそろ話してくれよ」


「フフッ……」


 追及すると、クロハは意味深に笑ってベッドに腰かけてきた。

 同じくベッドに座っているシュバルツの耳元に唇を寄せ、甘い吐息を吹きかけてくる。


「ねえ、シュバルツ。あなた……この国の王になるつもりはないかしら?」


「は……?」


「王太子がいなくなっちゃたんでしょ? 帰ってくる前に、王宮を私達のものにしてしまいましょう?」


 それは悪魔の囁きのような言葉だった。

『夜啼鳥』に所属して仕事をするようになり、クロハから数々の悪事をそそのかされてきた。だが……まさか『国盗り』まで持ちかけられる日が来ようとは。


「あまり面白くない冗談だな。実現不可能なギャンブルに身銭を切るつもりはないぜ?」


「あら……どうして実現できないと思うのかしら?」


「そりゃあ…………そうだろ?」


 笑いかけるクロハに、シュバルツは忌々しげに表情を歪める。

 シュバルツは王宮にいた頃、魔力がほとんどなかったせいで『失格王子』呼ばわりされていた。

 そんな現状を変えるための乾坤一擲として王位継承戦に臨んだものの、ヴァイスが放った魔法の一撃によって敗北してしまった。

 ヴァイスがいなくなったとしても、シュバルツが王になることを認める者はいない。

 実際……先ほどの話し合いでも、シュバルツを新しい王太子にしようとは誰も言わなかった。


「俺が『失格王子』なのは周知のこと。仮にヴァイスが戻らなかったとしても、俺を王にするくらいなら親類から養子をとって新しい王にするだろうよ」


「確かに……今の王宮にいる人達でシュバルツのことを王として認める者はいないわね。だけど、外から来た娘達はどうかしら?」


「あ?」


「他国から嫁いできた4人の上級妃を味方につければ、シュバルツだって王になれるのではないかしら?」


「お前、まさか……!」


 シュバルツは息を呑んだ。

 クロハの恐るべき計画に勘づいたからである。


「あなたはこれから、ヴァイス殿下の代わりに後宮に通って妃と接触するのでしょう? うまい具合に上級妃らを口説いて手籠めにして、後宮を征服してしまえばいいじゃない。女の扱いは大得意でしょう?」


「…………まあな。得意分野ではあるな。大いに」


「あなたは後宮の力を借りて王になる。そして、あなたと繋がっている『夜啼鳥』はこの国の裏社会の全てを牛耳ることができる。あなたは表、私は裏の支配者になるということね。お互いにとって損のない関係だわ」


「結局……そういう魂胆かよ。本当に抜け目のない女め」


 クロハの打算を聞いて、シュバルツは苦い顔になった。

 シュバルツが王となって国の頂点に立てば、その後ろ盾を得た『夜啼鳥』はウッドロウ王国の夜を支配することになる。

 官憲に取り締まられることなく、これまで以上に『義賊』として縦横無尽に活動することができるのだ。

 危険を冒して王宮に侵入したのも、そんな野心があったからだろう。


「さては……俺が『夜啼鳥』に入った時からそんなことを考えていたな。王族である俺を利用しようとしていたのだろう?」


「当然じゃない。そうでもなければ、わざわざ王族を仲間に誘ったりしないわよ」


「……怖い女だな、全く」


 シュバルツは不貞腐れたようにベッドに横になった。すぐさま、クロハも甘えるように隣に寝てくる。


「言っておくけれど……あなたを愛してるのは事実よ? そこに嘘はないわ。愛と利益が偶々重なっただけよ?」


「今さら言っても遅いって……まあ、お前が打算抜きで尽くしてきたら、それはそれでおっかないけどな」


 深々と嘆息して……シュバルツは顔の前で拳を握りしめる。


 クロハが提案したように、上級妃らを口説いて後宮を征服することができれば、シュバルツだって王になれるだろう。

 むしろ、魔力無しの『失格王子』が王になる手段などそれ以外にはない。


 5年前の継承戦で敗れ、どうやっても父や臣下を認めさせることはできないだろうと王宮を出奔した。

 玉座への未練もその時に捨て去ったはずなのだが……こうして巡り廻って再びチャンスが手の中に転がり込んできた。


「いかんな……野心と血が騒いできやがったぜ。考えても見れば、これも宿命ってやつなのかもしれないな。家は出られる。地位は捨てられる。だが……王家の血はどうやっても塗り替えることはできない」


 たとえ魔力がなくとも、シュバルツは王家の血筋に生まれたのだ。

 王家に生まれたからには王を目指す。その宿世からは逃げることができなかったということだろうか。


(悪く思うなよ、ヴァイス。居場所を奪われる隙を見せたのはお前だ)


「いいだろう……やってやろうじゃねえか。5年前以上の大博打だ。後宮を征服して、玉座を奪い取ってやろうじゃないか」


 双子の弟を恨んでいるわけではないが……シュバルツはヴァイスから王位を奪う決断をした。

 仮に連れ戻されたとしても、平民の女に飽きて戻ってきたとしても――王宮にヴァイスの居場所は残さない。

 ヴァイスが捨てていったものを残らず拾い、自分のものにしてやろう。


「女を口説いて国を奪る……か。色街で暮らしていた日々が王になるために役立つとは、本当に因果な話だな」


「人生ってわりとそういうものよ。知らなかったのかしら?」


「勉強になった……人生に無駄なことなんてはない。どんな経験だって役に立つってことかよ」


 明日からはヴァイスに成りすますための訓練が開始される。それが終われば、いよいよ上級妃との面会だ。

 国の存亡をかけた騙し合い。王位簒奪のための男と女の戦いが幕を開けることになる。


(だが……最後に笑うのはこの俺だ。無能、失格、役立たず……色々と言われてきたが、俺にも意地ってものがある)


「せっかく王宮に戻ってきたんだ。今度こそ、この国の玉座をいただいてやる!」


 魔力がなくとも王になれるということを、自分を馬鹿にしてきた連中に証明してやろうではないか。

 シュバルツは闘争心に心を燃やし、獣が牙を剥くように唇を吊り上げたのであった。

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