第69話 竜神異説
それから、シュバルツは自室に戻ってアンバー・イヴリーズから受け取った『竜神異説』という古文書を解読した。
その本は神聖文字によって書かれていた。これは千年前に使われていた古代文字で、大陸西部に栄えた『神人族』という民族が使用していたものである。
神人文明は当時もっとも栄えており、非常に先進的な魔法文化が興隆していたとされている。現在、使用されているマジックアイテムのルーツもさかのぼれば神人文明につながっているとされ、遺跡から当時のアイテムが採掘されると目が飛び出るような値段で取引されていた。
神人族の正体について正確なところはわかっていない。
進んだ魔法文化を持っているだけでタダの人間であると考えている学者もいれば、人間とはそもそも異なる亜人種族、あるいは天上から舞い降りた神の末裔であるなどと主張している学者もいる。
神聖イヴリーズ帝国では神人族を文字通りに神であると考えており、さらに自らをその子孫であると称していた。
実際、神人文明の遺跡の大半は神聖帝国の領内で発見されている。当時のマジックアイテムや古文書なども大半を神聖帝国が所有しており、彼の国を大国たらしめる要因の一つとなっていた。
(神聖文字で書かれているということは、この書物は神人族が栄えていた当時のものということになる。かなり貴重な文書のはずだが、どうしてこんなものを……)
後宮内にある自室で古文書とにらみ合いをしながら、シュバルツはアンバーの内心について考える。
アンバー・イヴリーズという女性のことをシュバルツはほとんど知らない。何度か茶会などで交流を図っているが、いまだに距離感がつかめなかった。
(敵意のようなものを感じる時もある。だが……今回の行動は妙に協力的だ。本当に何を考えているんだ?)
竜に関する古文書はちょうどシュバルツが探そうと思っていたもの。
それをあっさりと手渡してくれたアンバーには感謝するべきだろうが……タイミングが良過ぎて不気味である。
(ヤシュが竜化したことを知っているのか……もしかして、獣人との戦いを監視されていた? 俺が気づかないレベルで盗み見できる密偵が存在するというのか……?)
シュバルツは裏社会の人間として活動しており、他者の気配にも当然のように敏感である。そんなシュバルツから完全に隠れることなんて、仲間であり上司でもあるクロハでさえも不可能だろう。
(あるいは、マジックアイテムを使用したという可能性もあるか? 神聖イヴリーズ帝国は神人文明の流れを汲む古き王朝。俺が知らないマジックアイテムが存在してもおかしくはないが……だとすれば、俺の正体にだって気がついているということになる。俺がヴァイスでないことを知りながら、どうして何もアクションを起こさず静観しているんだ?)
「……ダメだな、考えても答えが出そうもない」
シュバルツは鬱屈した溜息を吐いて、首を横に振った。
いくら考えてもわからない。アンバーが敵であるか味方であるかすらも判断できなかった。
アンバーに直接尋ねることができれば簡単なのかもしれないが……すべてがシュバルツの考え過ぎだとしたら、完全に藪蛇である。
「もういい……あの女のことはとりあえず忘れよう」
最優先するべきなのはヤシュである。
アンバーの真意はドラゴンに転じてしまった妃を救い出してからでも、遅くはないだろう。
アンバーからもらった本にヤシュを救う取っ掛かりがあればいい。そう思いながら、シュバルツは古い知識を引っ張り出して古文書を解読する。
どうやら……『竜神異説』とタイトルが書かれたこの本は、竜と人間の交流や関わり合いについて記されているようだ。
現在、ドラゴンと呼ばれる魔物は伝説上の存在となっており、実在を疑っている人間の方が多かった。だが……千年前は竜と人が共存しており、少なからず交流を図っていたそうだ。
「ム……」
書物を読み進めていくうちに、シュバルツの表情が硬くなっていく。
(この文書の内容を信じるのであれば……そもそも、竜、あるいはドラゴンというのは魔物ではない。亜人の一種族ということになるな)
そもそも、古代社会にはドラゴンというモンスターは存在しなかったらしい。
竜と呼ばれていたのは特殊な変身能力を持った亜人種族であり、彼らは『ドラグーン』などと呼ばれていたらしい。
(なるほど……ヤシュ・
『竜』と呼ばれる亜人種族は人里離れた山奥に棲んでおり、滅多に人前に現れることはなかったらしい。
だが……ドラグーンの一族の中には好奇心に負けて隠れ里から飛び出し、人間と積極的に関わる変わり者もいたようだ。
この本の最後には、そんな変わり者の竜と人間の男とのラブロマンスが詩歌のような形で記されていた。
「『人に恋した竜。竜を愛した人。月は輝く。煌々と。竜は転じる。くるくると。人を喰らう。涙を流す。ほろほろと。愛した者を噛み砕き、血を吸い肉を喰い、ただ啼いた』……」
シュバルツは声に出して悲恋の詩歌を読みながら、眉を顰める。
おそらく、この詩は竜の共食いについて書いているのだろう。かつて人と愛し合った竜が恋人を喰らう姿が詠まれていた。
かつて同じように愛し合う者が共食いをしたことがあったのだ。シュバルツはどうしようもない寂寥感に襲われる。
「ん……これは……」
だが……その書物には一抹の希望も込められていた。
「『男は伸ばす。手を伸ばす。竜のアギトに手を伸ばす。鱗を剝がす。ぺりぺりと。色の違う逆さの鱗。朱色の鱗を引き剥がす。女は転ぶ。くるくると。人に転じて涙を流す。男は倒れる。女は泣いた。ほろほろ、ほろほろ、月夜に啼いた』……?」
アギトの下の逆さの鱗。色の違う朱色の鱗。
男が苦し紛れに伸ばした手が鱗を剥がし、それによって女が人の姿に戻った……ここにはそう解釈できる文面が書かれていた。
「逆さの鱗。逆鱗を剥がすこと……それが竜化した者を元に戻す方法なのか……?」
書物はそこで終わり。それ以上の情報はない。
男がどうなったのかもハッキリとしないが……命を賭けるには十分な情報である。
「竜化したヤシュを見つけ出して逆鱗を剥がす。やるべきことが決まったな……!」
シュバルツは部屋の窓から空を見上げた。
すでに夜は更けて外は真っ暗になっている。この夜空の下……どこかにヤシュがいる。竜の姿で、たった一人きりで。
「……やってやる。待っていろよ、ヤシュ・ドラグーン」
シュバルツは決意を込めてつぶやき、固く拳を握りしめたのであった。
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