第70話 竜姫を求めて


 それから、シュバルツは竜化して行方知れずとなったヤシュを捜索した。

 王宮側の人間も姿を消した翡翠妃を探している。ヤシュがドラゴンになっていることを知らない騎士や兵士に見つけ出せるはずがない。

 魔物に連れさらわれた可能性、賊によって拉致された可能性の両方を視野に入れて捜索されていたが……居場所はまるでわからなかった。

 国王も宰相もヤシュの実家である亜人連合国にどう説明するべきか頭を抱えており、ひとまずは情報を遮断して問題が表面化することを先送りしている状況である。


 一方で、シュバルツもまた捜索に難航していた。

 王宮側の人間と違って真実を知っているシュバルツであったが、こちらは動かせる人手が多くはない。

 シュバルツが捜索に駆り出せる人間は『夜啼鳥』の密偵とクレスタが経営している商会の従業員くらいのもの。おまけに『夜啼鳥』は別件で首領のクロハ、手練れの人間が留守にしていたこともあって思うように捜索が進まなかった。


 ヤシュの行方不明から二週間が経過し、王宮でも徐々に諦めムードが広がっていく。

 そんな中……思わぬヒントを出したのはヤシュの侍女だった羊獣人のメーリアである。


「そういえば……もうじき新月ですわね」


「ん……急に何の話だよ」


 場所はウッドロウ王国の王都。シュバルツが借りている隠れ家の一つである。

 大通りから外れた場所にある古びた屋敷は、かつて権力闘争に敗れた没落貴族が世間から隠れるようにして暮らしていたらしい。

 その貴族が亡くなってからは放置されていた屋敷を『夜啼鳥』が購入して、シュバルツに貸し出したのである。


 屋敷はヤシュ捜索の拠点として扱われており、クレスタの部下や『夜啼鳥』の若い隠密が出入りしていた。

 メーリアもそこに軟禁されている。捕らえられた時のように縛りつけられたりはしていなかったが、それでも外に出ることは禁じられていた。

 ヤシュ捜索のために拠点を訪れたシュバルツと顔を合わせたメーリアは、突然、脈絡のないことを話し出す。


「新月だからどうしたというんだよ。まさか、また俺を暗殺するつもりか?」


「まさか。すでにヤシュ様は竜化しております。シュバルツ殿下を討つことにメリットはありませんよ。ただ……新月の夜は獣人種族の力が弱まることをふと思い出しただけです」


「ふうん? 力が弱まる?」


 シュバルツは首を傾げるが……考えてもみれば、そこまで不思議なことではない。

 ヤシュが満月の晩に竜に覚醒したように、月の満ち欠けが獣人に何らかの影響を及ぼしているのだろう。

 普段は人間の姿をしているが月夜の晩に変身する亜人種族もいると聞くし、何故か満月の日は『淫魔』のクロハもいつもより激しくなったりする。


「そういえば……満月の晩は犯罪が起こる確率も高くなると聞いたことがあるな。眉唾な話ではあるが、新月の晩はその逆のことが起こるのかな?」


 シュバルツは何気なくつぶやきながら……ふと思いついたことを口にする。


「待てよ……だったら、新月の夜には変身したヤシュも元の姿に戻るんじゃないのか? 獣人の本能だって弱まるんだろう?」


「さすがにそれはありませんよ、ヴァイス殿下。これはドラグーン一族の方々に限った話ではありませんが……覚醒して変身した獣人が二度と元の姿に戻ることはありません。たとえ月が欠けていようと、雲の中に消えようと変わりはありません。力が弱まったり、大人しくなったりはするようですが」


「……そうかよ。それは残念」


 あるいはヤシュを救い出す一助になるかもしれないと思ったのだが……当てが外れたらしい。

 シュバルツは肩をすくめてメーリアの元から立ち去ろうとするが、またしても一つの予想が頭をよぎる。


「待てよ……獣人の本能が弱まるということは、わずかではあるが人間よりの思考に戻るということだよな? だったら、竜化したヤシュも人間であった頃と近い行動をとるんじゃないか? たとえば……人間であった頃に行きたがっていた場所を訪れるとか?」


「それは……可能性はありますね。かなり望みは薄くてゼロではないというだけですが」


 シュバルツの予想にメーリアが首を傾げながらも同意する。

 ドラゴンに変身した状態で行方知れずとなっているヤシュであったが、捜索のヒントを見つけたかもしれない。


「ヤシュが行きたがっていた場所に心当たりはあるか? ウッドロウ王国の国内で」


「行きたがっていた場所……そうですね……」


 シュバルツの問いにメーリアが考え込む。

 しばし悩んでいた様子のメーリアであったが、やがてパチリと指を鳴らした。


「エーテル山にある結蓮ゆいれんの滝……ヤシュ様は嫁いでくる以前、機会があればこの場所に行ってみたいとおっしゃっていました」


「結蓮の滝……? エーテル山は知っているが、そんな場所は知らないな。有名な観光スポットなのか?」


 エーテル山は王都の東側にある霊山だ。魔物の巣窟であるものの、魔法や武芸を学んでいる人間が訪れて修行する場所として知られていた。


「はい。ヤシュ様が故郷で愛読していた『此方よりの紅』という恋愛小説にその場所が出てくるのです。主人公が愛するヒロインに滝の前で愛を誓い、口づけを交わすのですが……かねてより、聖地巡礼に訪れたいとヤシュ様は話しておりました」


「フム……」


 聖地巡礼という言葉の意味はよくわからないが……ヤシュが変身前に行きたがっていた場所ならば、新月で理性を取り戻した際に訪れることがあるかもしれない。

 どうせ捜索は難航しているのだ。ダメで元々。か細い希望に縋ってみるのも良いかもしれない。


「エーテル山だったらさほど遠くもない……明日にでも行ってみるか」


 明日は新月。獣人種族の本能が弱まる夜である。

 シュバルツは一縷の望みをかけて、霊山へのハイキングを決めたのだった。


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