第68話 招かれざる客


 何の先触れもなく現れた琥珀妃アンバー・イヴリーズ。

 予想だにしない人物の登場に、シュバルツも他の二人も思わず言葉を失った。

 そんなシュバルツらに感情の読めない微笑を浮かべつつ……アンバーがコクンと細い首を傾げる。


「今日は三人でお茶会ですか? 私だけ除け者にして集まりを開くだなんて妬けてしまいますわ。寂しくって涙が出てしまいそうです」


 背後に数人の侍女を伴った琥珀妃は、そう言ってわざとらしく泣き真似をする。

 招かれざる客の登場に黙り込んでいたシュバルツであったが、ようやく頭の整理を終えて口を開く。


「……ああ、これはこれは。珍しいところで会いますね、アンバー妃」


 シュバルツは椅子から立ち上がり、『ヴァイス・ウッドロウ』の仮面を被って優雅に頭を下げた。


「申し訳ない。別に仲間はずれにしたつもりはありませんよ。ただ、僕は昨晩の翡翠宮での騒ぎを聞き、上級妃の皆さんのところを順番に慰問していただけなのです。紅玉宮を最初に訪れたのはここが翡翠宮からもっとも近いからですよ」


「殿下が来られた時、ちょうどウチはシンラはんに招かれてお茶会をしててな。ヴァイス殿下が混ざったのはただの偶然や。結果的にハブにしてもうて申し訳ないなあ」


 シュバルツの言い訳にクレスタもフォローを入れる。

 これでとりあえずは誤魔化すことができたはず。口が上手くないシンラは余計なことは言わず、目線を逸らしてテーブルの上にあった焼き菓子を頬張っていた。


「ああ……そうだったのですか」


 咄嗟の言い訳を信じてくれたのかはわからないが……アンバーが頬に右手を当てて首を傾げる。


「私も似たような用件ですわ。翡翠宮に怪物が出たと聞いて様子を見に来たのです。翡翠妃様に話を聞きたかったのですが、騎士が建物を封鎖していてお会いすることができず、代わりというわけではありませんが隣の紅玉宮に挨拶に参ったのです」


 翡翠妃であるヤシュ・ドラグーンがドラゴンに変身したことは誰も知らない。行方不明になっていることも、現時点では隠されている。

 アンバーがどうして探りを入れるような真似をしているのかは知らないが……シュバルツにとって懐を探られるのは都合が良くなかった。


「僕のところにも情報は上がってきていないのですが……あまり野次馬は感心しませんよ? 後宮に何者かが侵入した可能性もありますし、しばらくは出歩かない方がよろしいかと」


「野次馬だなんてそんなつもりはなかったのですが……申し訳ございません。翡翠宮に怪物が出たと聞いて、ヤシュ様が心配になっただけなのです。ヴァイス殿下が仰るように、当分は外出を控えさせていただきますわ」


「そうする方がよろしいかと。何か進展があったらお知らせしますよ」


 シュバルツがさりげなく釘を刺すが、アンバーの表情は変わらない。とりあえず、外出を控えることについては言質を取ったから良しとしよう。


(琥珀妃アンバー・イヴリーズ……この女は何を考えているかわからないからな。あまり好き勝手に動かれると面倒だ)


 アンバーはどこか得体の知れない雰囲気がある女性である。

 決して悪事を働いているわけではない。あからさまに危害を加えてきたというわけでもない。

 だが……彼女の底知れない雰囲気、言葉の裏でチラついている敵意のようなものが、シュバルツに警戒を訴えている。

 裏がある女性としては、クレスタだって似たようなものである。商売人である彼女も真意を隠し、相手を手玉に取ろうとするときがあった。

 だが……琥珀妃のそれはクレスタとはどこか違う。クレスタが虎視眈々とチャンスを伺う猛禽類であるとすれば、琥珀妃は獲物が罠にかかるのを待ち続ける女郎蜘蛛。無機質で感情の読めない不気味さがあるのだ。


 警戒を深めるシュバルツであったが……その予想が驚くほどあっさりと直撃する。

 アンバーがふと思い出したような様子でこちらに切り込んできたのだ。


「そういえば……私の侍女が井戸に水を汲みに行った際、偶然にも翡翠宮から飛び立つ怪物を見たそうです。翼を生やしたドラゴンのような生き物だったと言っていましたわ。ヴァイス殿下は何かご存知ですか?」


「ど、ドラゴンだって?」


 いきなり急所を突かれて、シュバルツがどもってしまう。

 剥がれかけた弟の仮面を被りなおし、「コホン」と咳払いをして誤魔化そうとする。


「さ、さあ……僕はドラゴンのことはよくわからないかな。目撃した兵士からは空を飛ぶ大型の魔物だとは聞いているけれど……」


「伝説の魔獣であるドラゴンが後宮に現れるなんて信じられませんよね。まあ、その侍女も月明かりでどうにか見えたとのことですから、あまり信憑性はないかもしれませんね」


「大型の怪鳥やワイバーンを竜と間違える人間は多いですからね。無理もありませんよ」


 シュバルツは内心の焦りを必死に隠す。

 アンバーの口ぶりは穏やかだったが、どこか刃物で斬りつけられているような感覚があった。アンバーが口を開くために冷たい刃が首に突きつけられたような、ゾクゾクと背筋が凍える心境になってしまう。


「そういえば、ドラゴンは汚れのない処女おとめを好むと聞いたことがあります。ひょっとしたら、美貌の乙女であるヤシュ様を攫おうとしたのかもしれませんわね」


「まさか……ドラゴンだなんて迷信ですよ。お願いですから、あまりおかしな噂を広めて騎士の捜査を混乱させるようなことはしないでくださいね」


「ええ、もちろんですわ……ところで、ヴァイス殿下。こちらの本に興味はありませんか?」


「本って……え?」


 アンバーが侍女から一冊の本を受け取って差し出してきた。

 動物の皮で装丁された古い書物である。表紙には『神人文字』と呼ばれる古代言語でタイトルが記されていた。


「『竜神奇譚』……?」


 シュバルツが古代語で書かれたタイトルを読み上げ、目を見開いた。


「あら? ヴァイス殿下は神人文字が読めるのですね。信仰の厚い我が国でも一部の学者と神官しか読めませんのに」


「え、あ……はい。昔、古い友人に教えてもらったのです」


「そう、御友人に……」


 アンバーがわずかに目を細める。

 疑うような、隙を探すような瞳ははたして何を考えているのだろうか。


「それよりも……アンバー妃、こちらの本はどうされたのですか?」


「趣味の読み物として国から持ってきたものですわ。時間があるときにゆっくりと読むつもりだったのですが、そのまま荷物の中に埋もれて忘れていたのです。昨晩の騒ぎを聞いて思い出し、せっかくですから本好きのヤシュ様に見ていただこうと持ってきたのです」


 アンバーはそのまま本をシュバルツに手渡した。

 ゴワゴワとした手触りの表紙……羊皮紙と似ているが、何の動物の皮なのだろうか?


「こちらの本ですが、伝承では竜の皮で作られているそうですわ。もちろん、ドラゴンなど見たことありませんし、本当かどうかは知りませんが」


「竜の皮……」


「よろしければ、ヴァイス殿下の方からヤシュ様に渡していただければ幸いです。先日、夏至祭で順番を換えていただいた御礼にとお伝えください」


 奇妙な本を一方的に手渡し、アンバーはドレスの裾を翻した。


「それでは……私はこれで失礼いたしますわ。皆様はアフタヌーンティーを存分にお楽しみください」


「あ……!」


 シンラが声を上げて椅子から立つが、止めるよりも先にアンバーは庭園から出ていった。取り巻きの侍女もついていってしまい、その場にはシュバルツと二人の妃が残される。

 しばし黙っていた三人であったが……シンラがポツリと言葉をこぼす。


「しまった……! ここは『一緒にお茶でもいかがですか』と誘うのが礼儀だったな。私としたことが失念していた」


「ええんとちゃう? 招かれてもいないのにやってきたのはあっちやし。そんなことよりも……」


 クレスタがシュバルツの手の中にある本に目を向ける。

 古代語である神人文字で記された書物は随分と古く、少なくとも書かれてから千年以上は経っていることだろう。


「随分と古い本やね。しかも竜について書かれてるなんて……タイミングが良過ぎるんと違う?」


「…………」


 顔を覗き込んでくるクレスタに、シュバルツは沈黙で答えた。


 竜化したヤシュを救うためにドラゴンの伝承を調べようとしていた……その矢先、アンバーが竜に関する古い文献を持ってきた。

 はたして、これを幸運な偶然として片付けても良いのだろうか。


「アンバー・イヴリーズ……得体のしれない女だ……」


 シュバルツが渋面になってつぶやくと……その鼻腔を花の香りがくすぐってくる。

 大輪の薔薇の香り。この庭園の花ではないその匂いがアンバーが付けていた香水の匂いであると遅れて気がついた。


(そういえば……前にクロハが言っていたな。『秘密は化粧。女を彩る美しさの秘訣』とか言ってたかな?)


 シュバルツはふと隠密の女性が口にしたセリフを思い出した。


 秘密が女性を飾る化粧だとするのなら、それをはぎ取った後には何が残るのだろう。

 はたして……アンバー・イヴリーズという女性から全ての秘密を暴いたら、どんな素顔が現れるのだろうか。


「…………」


 シュバルツはアンバーの残り香である薔薇の香りを吸い込みながら、ゴクリと唾を飲んで喉を鳴らすのだった。

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