第67話 秘密の会談
シュバルツが後宮の門に到着すると、開け放たれた門には大勢の人間が行き来していた。
後宮とは男子禁制にして女の園。男が無断に足を踏み入れれば、最悪の場合、死罪すらもありうる禁忌の地である。
しかし、現在は現れた怪物への対処と調査のためか騎士や文官が出入りしており、緊迫した空気が外にまで伝わってきていた。
(混乱しているのならばかえって好都合だな。こっちの用事をさっさと済ませてしまおうか)
シュバルツは入口で警備をしている兵士に手を挙げて挨拶をして、そのまま止められることなく後宮内に入っていった。
普段であれば、女官長らが同行しなければ自由に歩き回ることもできなかったが……案の定、今日は誰にも見咎められることがなかった。
大勢の男が後宮内に入っているため、彼らへの警戒やら事情聴取やらでシュバルツにかまっている暇はないのだろう。
ヴァイスの行方不明による捜索隊の派遣で、王宮の騎士団は慢性的な人手不足に陥っている。そこでさらに後宮の内部にドラゴンが出没。上級妃の一人であるヤシュ・ドラグーンが行方不明になった。
シュバルツに対する警戒が薄くなるのも道理である。
(とりあえず……クレスタとシンラに相談だな。ヤシュを連れ戻そうにも、知恵も人手も足りていない。使えるものは何でも使う。抱いた女であれば猶更だな)
シュバルツはとりあえず、シンラがいる紅玉宮に向かうことにした。
あちこち走り回っている兵士を避けて紅玉宮に足を踏み入れ、目についた女官に声をかける。
「そこの君、ちょっといいだろうか?」
「え……って、ヴァイス殿下!?」
王太子の来訪に気がついた女官が慌てて頭を下げ、臣下の礼を取ろうとする。シュバルツは穏やかな笑みを浮かべたまま手を振った。
「頭を下げなくてもいい。それよりも……昨日は酷い騒ぎだったようだね? シンラ妃の慰問に来たのだが……」
「あ、はい! シンラ様から殿下が来られたら部屋にお通しするように言われております! どうぞこちらへどうぞ……」
女官がシュバルツを奥に通してくれる。
奥の部屋……初めて入るシンラの私室に入ると、そこには目的の美女以外にも客人の姿があった。
「やあ、我が殿。忙しいところでのお渡り、痛み入るよ」
「ああ、旦那はんも来たんやなあ。こっちに座りや」
部屋の中央に置かれたテーブルにはシンラ・レンのほか、クレスタ・ローゼンハイドが座っている。
シンラは前合わせのラフな民族衣装。クレスタも落ち着いた色合いの簡素なドレスを身にまとっていた。
「シンラ妃、それにクレスタ妃まで……お二人とも、御揃いでしたか?」
シュバルツは二人の上級妃に驚きながら、ここまで案内してくれた女官に目配せをする。
女官は無言で頭を下げて退室した。部屋にはシュバルツと二人の妃が残される。
「さて……二人とも一緒とは都合がいい。ちょうどクレスタのところにも後で行こうと思ってたんだ」
「ウチのほうが後回しとはいただけんなあ。昔の女には興味ないゆうことやね?」
「おいおい……おかしな勘繰りをするなよ。シンラには昨晩世話になったから、先に報告をしようとしていただけだ」
「そういうことにしといたるわ。それにしても……まさかヤシュ妃がドラゴンに変身するとは驚いたなあ。亜人には未知の力があるとはいえ、驚きやわ」
「ああ……アレには
クレスタとシンラがそろって溜息をつく。
どうやら、クレスタもシンラから事情を聴いているようである。
「聞いているのなら話が速い。実はかなり厄介なことになっていてな……」
シュバルツは昨晩、メエーナを尋問して聴取した情報について説明した。
クレスタとシンラは黙って話を聞いていたが……シュバルツの説明が終わると、どちらともなく表情を歪める。
「まさか……ヴァイス殿下を暗殺するために娘を送りつけてくるなんて、ムチャクチャやわ」
「亜人連合の盟主は、どうやら頭の中身まで畜生と同レベルらしいな……外道の輩め。吐き気がする」
クレスタもシンラも不快そうにしている。
ヤシュを……自分の娘を爆弾として敵国に送り付けた盟主とやらの行動に、二人とも呆れ返っているのだろう。
「そういうわけで……二人の考えを聞きたい。これからどうするべきだと思う?」
「うーん……それは旦那はんが、どうしたいかによるんと違う?」
クレスタが首を傾げながら言う。
「盟主とやらがしたことが気に入らんのなら公にして非難したらええ。アッチが売ってきたケンカや。好きなだけ買ったらええわ。亜人連合と戦争になったらウチが武器も兵糧も用意したる。ええ商売になりそうや」
「錬王朝も亜人連合とはあまり良い関係は築けていない。表立って援軍を送ってくれるかはわからないが、少なくとも敵に回ることはないだろう。その時は私も前線に立たせてもらえると嬉しいのだがな」
クレスタに続いて、シンラも腕を組んでうんうんと頷いた。
ヤシュ・ドラグーンを爆弾として送り込まれたことが明らかになれば、間違いなくウッドロウ王国と亜人連合との間で戦争になるだろう。
ウッドロウ王国は大国。圧勝とは言えずとも高い確率で勝利することができるはず。
北海イルダナ商業連合、錬王朝の支援があればなおさらのこと。敗北する可能性は皆無である。
(まともに戦っても勝ち目がないから、亜人連合の盟主とやらは自分の娘を火種として送り込んだのだろうな。そこまでして復讐がしたいとか呆れる話だが)
亜人連合がウッドロウ王国を憎む気持ちはわからなくはない。
戦争が終わって久しいとはいえ、かつて亜人連合から多くの獣人が連れてこられ、ウッドロウ王国で奴隷として働かされていたのだから。
(だが……死んでいった奴らの復讐のために、今、生きている娘を犠牲にするとは矛盾しているよな。盟主にはいずれ落とし前を付ける必要がある。とはいえ……)
「……いや、戦争はしない。できることなら、ヤシュが竜に変身して俺を襲ってきたことは内緒にしておきたい」
「ふうん? 随分と甘っちょろいことを言うやんか。理由を聞いてもええ?」
「亜人連合を始末するよりも、ヤシュを救い出すことを優先させたい。戦争になれば嫁いできた妃は真っ先に殺されることになるからな。自分の女を殺してたまるかよ」
シュバルツは迷うことなく断言した。
仮にヤシュを人の姿に戻すことができたとしても、亜人連合と戦争になれば、彼女もまた責任を取らされて酷い目に遭わせられるだろう。
良くても幽閉。最悪の場合は死罪になる恐れがある。
メエーナにも宣言したばかりだが……シュバルツにはヤシュを殺すつもりは少しもない。
あの無邪気に本を読んで喜んでいた少女を、国家の陰謀などのために犠牲にするなど許せない。
絶対に救い出す……これはシュバルツの中ですでに決定事項となっていた。
「へえ、随分と翡翠妃はんのことを気に入っとるんやな。妬いてしまうわ」
「それでこそ我が夫だ。か弱き乙女を見殺しにするなど武人の恥。惚れ直したぞ」
クレスタとシンラが苦笑しながら、シュバルツに協力することを同意してくれた。
「それじゃあ……具体的な方法について話し合おうか。ヤシュを救うために何をすればいいと思う? どんな些細なことでもいいから思いつくことがあったら聞かせて欲しい」
シュバルツが訊ねると、シンラとクレスタが難しそうな表情で意見を述べる。
「ウウム……考えと言われてもな。竜を人にする方法など聞いたことがない。人が獣や竜に転じるとは面妖なことだ。我が国には月夜の晩に人が虎に化けるという昔話があるが……何か参考になるだろうか?」
「そうやなあ……変化を解く薬やマジックアイテムがあればええんやけど……そもそも、獣人が獣に化けられること自体が初耳やし、そんな便利な品は聞いたことがないわ。シンラはんが言うように昔話や伝説にヒントを求めるのは悪くないんと違う? 亜人連合の連中から聞き出すのが一番やろうけど、状況からして絶対に口は割らんやろ?」
二人の意見を聞いて、シュバルツも「フム」と頷いた。
「そうだな……まずは書庫で亜人やドラゴンについての伝承を調べてみるか。時間はかかりそうだが、他に手立てが思いつかない」
「ウチも商会に問い合わせて、それらしい書物がないか調べてみるわ」
「私は戦うことしかできぬが……必要とあらばいつでも言って欲しい。何処へでも行くし、誰とでも剣を交えよう」
「よし、それじゃあそういうことで…………む?」
シュバルツの眉がピクリと跳ねる。
三人しかいないはずの庭園であったが、少し離れた場所から足音が聞こえてきたのだ。
足音から複数人が接近していることがわかった。特に気配を隠している様子もなく、普通に歩いてきている。
「あら? 皆様おそろいで、ずいぶんと楽しそうですこと」
「…………!」
やがて足音の主が現れた。
数人の侍女を伴って現れたのは白いドレスを着た金髪の美女。
ただ優雅にドレスの裾を揺らして歩いてくるだけで、常人が持ちえない『品格』のようなものを漂わせている。
「ごきげんよう、ヴァイス殿下。それに紅玉妃様と水晶妃様も」
上品な微笑を浮かべて挨拶したのは上級妃の最後の一人。
琥珀妃――アンバー・イヴリーズであった。
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