第100話 終幕を告ぐ

(久しぶりだな、この女と目を合わせるのは)


 王宮を出奔する以前から、ヴァイオレットはシュバルツの存在をないものとして扱ってきた。

 儀礼的に挨拶を交わすことはあったとしても、息子として言葉を交わしたことは一度としてない。

 シュバルツにとって、ヴァイオレット・ウッドロウは自分を産んだだけ女という以上の思い入れはなかった。


 部屋にいる一同の視線を受けながら、ヴァイオレットは落ち着き払った様子で口を開く。


「まずはヴァイス。よくぞ王宮に戻りましたね。無事に帰ってきたようで何よりです」


「母上……ご心配をおかけいたしました」


「そして……シュバルツ。貴方がそちらの上級妃と関係を持っているのは事実ですか?」


「ああ……偽りなく事実だよ」


 シュバルツは油断することなく答えた。

 その答えを聞いて、ヴァイオレットは「そうですか……」と小さく溜息をつく。


「王太子の妻に手を出したのです。姦通罪で死罪というのが妥当なところでしょう。四人の上級妃らも不貞を理由として国許に送り返します。今回の一件は以上ということで構いませんね、皆様方」


「…………!」


 迷いなく放たれた断定にシュバルツは表情を歪める。

 ザワリと場からどよめきが生じて、父王グラオスも立ち上がった。


「何を言っている、ヴァイオレット! そんなことをしたら諸外国と戦争になるぞ!?」


「しかし、これが道理です。法に照らし合わせるのであれば当然の処置のはずです……私が何か間違ったことを言っていますか?」


 声を荒げる夫へと、ヴァイオレットは表情を変えることなく言葉を返す。


 確かに、法律に基づくのであればヴァイオレットの主張は間違っていない。

 後宮は男子禁制の地。そこにいる女に触れることが許されたのは夫である王太子だけである。

 妃に手を出したシュバルツは首を落とされても文句は言えない。


「随分と勝手な主張をしやがるな……呆れて溜息も出ねえよ」


 しかし、それは事の詳細を知らない第三者だけが主張することができる道理だった。

 そもそも、シュバルツをヴァイスの代理人として後宮に送り込んだのは、グラオスをはじめとした国の首脳部である。

 直接ではないにせよ、ヴァイオレットもまた関わっていることだろう。

 偽物を送り込んで妃らを騙すという超法規的措置を取っていながら、今さら法律に反しているから処罰をするなど、どの口でほざいているのか。


(ましてや、暗殺で俺を排除しようとした奴が言うんだからな……どういう思考回路をしていることやら)


 呆れているシュバルツを置き去りにして、ヴァイオレットとグラオスが口論を始める。


「諸外国にも同じ主張をすれば良いのです。彼女達が他の男と姦通したために離縁したと。もしも納得せずに戦争を仕掛けてくるのであれば、戦うだけです。正義と理はこちらにあります。何を遠慮することがありましょう」


「ありえぬ……勝てると思っているのか? いや、勝てたとしてもどれほどの兵士が命を落とすと思っている? 無辜の民からも犠牲者が出るぞ?」


「戦って死ぬのも兵士の務め。民なんて放っておけば雑草のように生えてきますから、いちいち気にする必要はありません」


「民は国の礎である! これをないがしろにして国家繫栄は有り得ぬ!」


「ならば、シュバルツを王にして貴族の反乱を招くのですか? 魔力至上主義を掲げている者にとって、魔力無しの失格王子に仕えるなどと屈辱の極み。反乱を起こす者だっているでしょうね」


「それは……!」


「内乱が起きれば、たとえ上級妃らが宥めたとしても他国から攻め込んでくる者がいるやもしれませんよ? 内憂外患を抱えることの方が大変でしょう」


「グッ、それは……!」


 返す言葉もなく黙り込むグラオスに、ヴァイオレットは優雅な所作で扇を取り出して顔を扇いでいる。


「なあ、シュバルツ。これはどういう状況なんだ?」


「黙ってろ」


 困惑した様子で訊ねてくるヴァイスをピシャリと黙らせる。

 事情が分かっていないのだから仕方がないのだろうが、空気の読めない男にここで発言させるつもりはなかった。


「シュバルツを王にしても、ヴァイスを王にしても、どちらにしても波風立たずにはいられない。陛下が決断できないようなので、王妃である私が代わりに決めてあげたのです。何か文句はございますか?」


「…………」


「だんまりですか? 困ったら黙れば良いと思っているのでしょうね……本当にズルい人。そんなことだから愛する女性一人も守れないのですよ?」


「貴様……!」


 国王夫妻の口論は明後日の方向へと向かっていく。

 グラオスの瞳には深い憎悪の炎が灯っており、妻に向けるには苛烈すぎる視線でヴァイオレットを睨みつけている。

 そんな二人をよそに、シュバルツは四人の上級妃と目配せを交わす。


(シュバルツ殿下……)


(ああ、わかっているとも)


 アンバーの内心を読み取って、シュバルツは決然と口を開く。


「意見がまとまらないようだから、妥協点を出してやるよ」


「シュバルツ……?」


「…………」


 グラオスがシュバルツの方を向いた。

 ヴァイオレットもわずかに眉をひそめ、口元を扇で隠してシュバルツを窺ってくる。


「妥協点だ。そっちが条件を呑んでくれるというのなら、ヴァイスが王で構わない。俺は永遠に王座をあきらめて死んでやるし、ここにいる上級妃らにも祖国に不利な報告はさせないと誓う」


「……その条件とは何かしら。教えて頂戴?」


 ヴァイオレットが目を細めて、訊ねてくる。


 シュバルツは獣のように獰猛に笑い、吠えるように宣言した。


「ヴァイスに一対一で決闘を申し込む! 五年前のような生半可な物じゃない……命を賭けた決闘に勝った方が次の国王だ!」


「…………!」


 ヴァイオレットが、グラオスが、この場にいる全員が驚きに目を見開いた。


「へ……?」


 ただ一人、話についていけないヴァイスはキョトンとした顔をしており、シュバルツの顔を間の抜けた様子で見つめているのであった。


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