第89話 毒婦
王宮の一室。その部屋には豪奢な家具が置かれていた。
ベッド、洋服ダンス、テーブル、椅子、絨毯、絵画や置物などの調度品……あらゆるものが最高級の品々でそろえられており、一目でそこが貴人の部屋であることがわかる。
それもそのはず。その部屋は国王の妻である王妃――ヴァイオレット・ウッドロウの私室なのだから。
「失敗した……? それは予想外の報告ね」
自室の椅子に腰かけ、優雅に脚を組んだヴァイオレットが首を傾げる。
ヴァイオレットはドレスではなくガウンに身を包んでおり、寝室でくつろいだ格好になっていた。
そんな王妃の前には執事服の男性が膝をついている。
禿げ上がった頭の老年の男性であり、武術を嗜んでいるのか大柄でガッシリとした身体つきをしていた。
「申し訳ございません。ヴァイオレット様」
老年の執事が頭を下げる。
その執事はヴァイオレットが実家から連れてきた男で、執事であると同時に護衛の役割も果たしていた。
公爵家の娘であるヴァイオレットに古くから仕えており、彼女のためならば命すらも差しだす覚悟がある忠臣である。
「謝罪は良いから理由を説明して頂戴。貴方が油断からミスをするとは思っていないわ」
執事服の老人に淡々とヴァイオレットが言う。
先日、ヴァイオレットは可愛がっている息子――ヴァイス・ウッドロウのために、もう一人の息子を殺害することを決定した。
シュバルツが生きていたら、確実にヴァイスの未来に影を落とすことだろう。家出中のヴァイスが戻ってくるよりも先に、シュバルツを始末してしまうつもりだった。
そのために万全の用意をして暗殺者を放ったのだが……シュバルツ殺害に失敗してしまったらしい。
「私が命じたように人選をしたのよね? あの二人が返り討ちに遭うのは有り得なくはないとして、狙撃手もやられちゃったの?」
ヴァイオレットはシュバルツを殺害するにあたり、三本の矢を放っていた。
一本目の矢は二人の暗殺者。ヴァイオレットの生家が用意した男達であり、いずれも優れた魔法使い。ヴァイスには届かないまでも、魔力無しのシュバルツを殺すには十分な力を持っているはずだった。
二本目の矢はユリウスという名前の女騎士。
魔法で彼女を洗脳して、シュバルツを刺殺させるという手段である。
そして、三本目の矢こそが狙撃手。マジックアイテムの『銃』を武装したとっておきの暗殺者であり、五百メートル先にいる蟻すらも撃ち抜くことができる本命の切り札である。
魔法使いの刺客がやられたのであれば、操られたユリウスが刺す。
それでも生き残っているのであれば、油断しているところで狙撃手がシュバルツの頭部を撃ち抜く算段になっていた。
それがヴァイオレットの練ったシュバルツ暗殺の内容である。
シュバルツが生きているということは、暗殺者は残らずやられてしまったことになる。
『魔力無しの失格王子』には過剰と思えるほどの刺客を用意したにもかかわらず、失敗してしまった。
ヴァイオレットの顔は平然としたものだが、内心ではかなり驚いている。
「仮にも息子を殺すのだから、せめてもの慈悲として可能な限りの手を尽くしたのだけど……まさかそれが失敗するだなんて驚いたわ。スタンディングオベーションで拍手喝采したい気分よ」
「……二人の魔法使いは殺害されました。ユリウスはシュバルツ殿下を刺したようですが、致命傷にはなっていません。狙撃手は……何者かに殺害されていました。死体で発見されています」
「ふうん? 狙撃手はシュバルツにやられたんじゃないのね?」
ヴァイオレットが気のない返事をして首を傾げた。
「シュバルツのことを助けようとする者がいたということ……陛下が手を回していたのかしら?」
「それはないかと。グラオス陛下のことは配下に見張らせておりますゆえ」
老年の執事が答える。
グラオス王はシュバルツを始末することに反対していた。邪魔をされないように、当然ながら手回しはしている。
「だったら……誰がシュバルツを助けたのかしら?」
「わかりません。現在、調査中です」
「腐っても私の息子ということね。なかなかやってくれるじゃない」
ヴァイオレットは感心したようにつぶやいた。
ヴァイオレットには二人の息子がいて、弟のヴァイスのことを溺愛している。
兄のシュバルツのことはどうとも思っていないのだが……ダメな子供なダメなりに頑張ったということだろうか?
「まあ、どちらでもいいわね。生きていたとしても、どうせ殺すもの」
「……本当によろしいのでしょうか。ヴァイオレット様」
「あら……不服なの?」
「いえ……そうではありませんが……」
執事が言葉を濁す。
ヴァイオレットに忠誠を誓っている執事は、彼女の命令であれば誰であろうと殺すつもりだ。
それでも、感情がない木石というわけではない。実の息子の殺害を簡単に決めてしまえるヴァイオレットの判断には思うところがあった。
「貴方も陛下と同じように、親子の情とか口にするのかしら? 男の人って、そういうところがあるわよね」
「そういうつもりはありませんが……」
「良いのよ、シュバルツのことは。どうせあの子は産まれてきてくれただけで、役目はもう果たしているのだから」
「…………?」
「ねえ、貴方。『七大禁忌』というものは知っているかしら?」
疑問符を浮かべている老執事に、ヴァイオレットが唐突に話題を振る。
「はい……西の神聖イヴリーズ帝国が定めている、天使が定めた法に反する七つの禁忌のことですよね?」
「そうよお、良く知っているわねえ」
七大禁忌。
それは大陸最大の宗教国家である神聖イヴリーズ帝国が定めている禁断の魔法のことである。禁忌に触れる魔法を使用することはもちろん、研究することすらも神聖帝国は許していなかった。
禁忌を侵そうとしている者がいるのであれば、たとえ相手が個人であれ、国家であったとしても容赦はしない。
時には戦争すら引き起こして、禁忌の魔法をこの世から消し去ろうとしている。
禁忌に指定されている魔法はその名の通りに七つ。
一つ、死者を甦らせてはならない。
一つ、生命を創り出してはならない。
一つ、未来を予知してはならない。
一つ、過去を変えてはならない。
一つ、天使や悪魔を召喚してはならない。
一つ、時空を超えて異界に移動してはならない。
そして、最後の一つが……
「『他者の魔力や魔法を奪ってはならない』」
ヴァイオレットはつまらなそうに、淡々とした口調で告げる。
「そもそも、他人の魔力を奪って自分のものにすることなんて不可能なのだけど……どうやら、例外があるみたいなのよね」
「例外でございますか……?」
「そう、例外よ」
ヴァイオレットがわずかに唇の端を吊り上げた。
それは彼女にしては珍しい、思い出し笑いをしているような表情である。
「異なる人間でありながら同じ存在……つまり、双子の一方から魔力を奪って、もう一方に移植することは可能らしいわ。天使教や異端審問会にバレないように実行するのには苦労させられたけれど」
「…………!」
「シュバルツは良くやってくれたわ。あの子は産まれてきてくれただけで価値がある。あの子のおかげでヴァイスは最高の魔法使いになることができたのだから」
「それは、つまり……」
執事はそれ以上、言葉を紡ぐことはできなかった。
ヴァイオレットという女性の恐ろしさを改めて突きつけられた気分である。
「もう用無しね。あの子の魔力はもう奪ってしまったのだから。保険として生かしてはおいたけれど……邪魔になるようなら
「…………」
「シュバルツを探しなさい。そして、今度こそ確実に殺しなさい」
ヴァイオレットはつまらなそうに言って、テーブルの上に置いてあった葉巻に口をつけたのである。
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新作小説を投稿いたしました。
ペンギン転生
自分をイジメていたクラスメイトが異世界召喚されて「ざまあ」と思ってたら遅れて召喚された。魔獣になって使役されているが美少女に可愛がられているので許すことにする。
https://kakuyomu.jp/works/16817330663919837386
ストックが切れるまで毎日18時に投稿していきます。
是非とも読んでみてください。
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