第22話 クレスタという女


 水晶妃──クレスタ・ローゼンハイドは生まれながらの貴人ではない。

 訛りの強いしゃべり方、粗雑な態度からもわかるように、クレスタは元々は低い身分の生まれである。


 クレスタは北方の片隅にある田舎町で生を受けた。

 彼女の両親は小さな商店を営んでおり、裕福ではなかったが、それでも飢えることのない程度の生活を送ることができていた。


 だが……有為転変は世の常である。

 クレスタの父親は信用していたはずの商人との取引で騙され、多額の借金を背負わされることになったのだ。


 負債を抱えたことにより店の運営はままならなくなってしまった。

 クレスタの父親は店と土地を売り払ってゼロからやり直すか、良からぬ手段で金銭を用意するかの二者択一を迫られた。


 父親が選択したのは後者である。

 即ちーー娘のクレスタを奴隷として売り払い、負債を返済する金を工面したのだった。


 父親から裏切られ、売り払われたクレスタは当然のように泣き叫んだ。

 しかし、父親は奴隷商人に連れて行かれるクレスタから目を背け、母親もハンカチを顔に押し当てて涙を流すばかり。決して、クレスタと目を合わそうとはしなかった。

 仲の良い家族だった。少なくとも、クレスタはそう思っていたはずなのに。


 世の中、金こそが全て。

 愛情は金に換えられる。ならば、逆説的に金で愛を買うことだってできるはず。

 後にシュバルツを苦しめることになる、商売を至上とした歪んだ人間性はこうして構築されたのである。


 幸いだったのは、クレスタを購入した奴隷商人が人道的な人間であったこと。奴隷を物として消費するのではなく、訓練を積ませて良心的な買い主のところへ送り出すことを生業としていたことである。

 おそらく、クレスタの父親も娘が奴隷として鞭を打たれ、酷使されることまでは容認できなかったのだろう。考えうる限り、もっとも良心的な奴隷商人へと娘を売ったのだ。

 無論、そんなことはクレスタには関係のないことである。クレスタは両親を恨み、憎悪しながら奴隷として売り払われていった。


 クレスタを購入したのは、とある大きな商会の番頭だった。

 その商会はちょうど読み書き、計算ができる知識奴隷を求めており、商店の跡継ぎとして勉強していたクレスタがその条件に一致したのである。

 そして、クレスタを購入した番頭はすぐに知ることになった。クレスタが自分が求めている以上の能力を有していることを。親に売り飛ばされた哀れな少女は、騙されて借金を背負った父親を遙かにしのぐ商才の持ち主だったのだ。


 商会に買われたクレスタは頭角を現した。

 与えられた仕事をテキパキとこなし、空いた時間は他の従業員の仕事を手伝うことで信頼獲得に励んだ。

 人間は自分にメリットをもたらす相手をないがしろにはしないーークレスタはそんな人間関係と商売の基礎を熟知していた。無理矢理にでも自分よりも立場が上の人間の役にたち、強引に恩を売っていったのである。

 1年も過ぎた頃には、クレスタは奴隷でありながら商会の従業員から一目置かれており、その活躍は商会長にも伝わることになった。


 商会長に気に入られたクレスタは奴隷の身分から解放され、正式な従業員として雇用されることになる。

 正式に雇われて自由にできる権限が増えた。それは虎に翼を与えたがごとく、クレスタをさらに飛躍させていった。

 メキメキと実力を身に着けていったクレスタは、自分を奴隷から解放してくれた商会長に恩を返すため、懸命に働いた。取引先を増やし、新たな商品を開発し……やがて商会を北方最高の商人の誉れ──『神商八家』へと押し上げることに成功したのである。

 躍進の立役者であるクレスタは子供がいなかった商会長の養子に迎え入れられ、やがてローゼンハイド商会の商会長になったのだ。


 商会長として莫大な金を得たクレスタが最初にやったことは、自分を売り飛ばした家族についての調査である。


 はたして、家族は今どのように生活しているのだろうか。

 娘を売り飛ばした金で店を立て直したのか。それとも、家族を裏切った甲斐もなく店を畳むことになってしまったのか。

 クレスタを売ったことを少しでも後悔しているのか。いなくなった娘の無事を願い、幸福を祈ってくれているのだろうか?


 恨みと憎しみ。わずかな未練を胸に両親の現状を調べたクレスタ。

 彼女の元に届いたのは、両親が今も店をやっており、3人で・・・幸せに暮らしているという情報である。

 クレスタを売り飛ばした金で店を立て直してからすぐに、両親の間には新しい命が生まれた。5歳になった妹は両親からの愛情を一身に受けており、すくすくと成長していたのである。


 そんな話を聞いてクレスタの脳裏に浮かんだのは……激しい嫉妬である。

 自分は売り飛ばされて絶望の底を味わったというのに、妹はそんな姉の存在すらも知らずに穏やかに生きていた。

 両親はクレスタのことなど忘れたとばかりに、生まれた娘にたっぷりと愛情を注ぎこんでいる。

 もちろん、何も知らない妹に罪はない。両親がしたことだって仕方がない苦渋の選択だったのかもしれない。

 だが……自分が失くしたものを、奪った者達が当たり前に持っていることはどうしても許しがたいことだった。


 百歩譲って、両親が貧困にあえいで娘を裏切ったことを後悔し続けているのならば許せたのだが……彼らは今も幸せに暮らしているのだ。

 それではまるで、娘を売り飛ばすという行為が正しい選択だったようではないか。


「許せんわ……ウチを裏切った人達が幸せに暮らしてるなんて、絶対に許せへん!」


 クレスタの行動は早かった。すぐさま商会の力を使って両親の店を追い込み、多額の借金を背負わせたのである。

 クレスタを売った時と同じように借金を背負ってしまった両親。彼らがとった行動は……店と土地を売り払い、別の街に移住するというものだった。

 かつてはクレスタを売り飛ばしたというのに、今度は妹を売ることなく3人で新天地へと旅立ったのである。


 そんな彼らの行動に、クレスタはまたしても裏切られたような痛みを与えられた。


「ウチのことは奴隷にしといて、妹のことは売れへんっていうん? ウチはどうでもよくて、妹は手放せへんの?」


 クレスタは再び絶望した。

 あるいは、両親の行動はクレスタを売って後悔しているが故のものだったのかもしれない。

 だが……そんなことを考える余裕もなく、クレスタは家族に対して抱いていた最後の愛情を破壊されることになってしまった。


 かくして、金の亡者──クレスタ・ローゼンハイドは完成した。


 金儲けのことしか考えることができない悲しい女は、己の経営する商会をさらに巨大なものにするため、ウッドロウ王国の王妃になるべく異国に嫁ぐことを選択する。


 その過程で偶然にもヴァイス・ウッドロウの駆け落ちを知ったクレスタは、ウッドロウ王家のスキャンダルを利用してさらなる金儲けを画策するが……それは思わぬ方向へと彼女の運命を投げ出すことになるのであった。

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