第33話 猫じゃらしの夜


 ギルドに所属する受付嬢にとって、懇意にしている冒険者と食事に出かけたりするのは珍しいことではなかった。

 受付嬢の主たる仕事とは冒険者に仕事を斡旋すること。そこには、さほど利益にならない報酬の安い仕事を受けさせること・・・・・・・も含まれている。


 ギルドには日夜様々な依頼が舞い込んでくるが、その中には依頼人の経済的な理由により、満足な報酬が支払われないものも多かった。

 そういった依頼は未達成のまま放置され、やがて依頼が引き下げられて消えていくものだったが……未達成の依頼があまりにも多いとギルドの信用が損なわれてしまう。

 人命が関わる依頼であればなおさらのこと。多少割に合わなくても、冒険者に受けてもらわなくてはギルドにとって不利益になるのである。


 そのため、ギルドの花形である受付嬢は有能な冒険者と親しい関係を築いておき、いざという時に不利な仕事を任せられるようにしているのだ。

 肉体関係を持つことまではまれだったが……食事やデートに付き合うくらいのことは、それほど珍しいことではない。


 ギルドの受付嬢──メイスが『バルト』という名前の新人冒険者から食事に誘われ、了承したのもそんな事情が関係している。


 メイスはバルト──シュバルツが戦っている姿を見て、いずれはB以上の上級ランクに達する冒険者であると確信した。

 今のうちに良好な関係を築いておけば必ずギルドにとって利益になるだろう。ついでに、メイス自身の出世や給与割り増しにもつながる……そう判断したため、食事の誘いを受けたのである。


 ギルドの受付嬢にとって、男性冒険者に誘われるのは日常のこと。強引に誘ってくる冒険者をあしらう術を心得ているのも当然である。

 それはメイスも同じ。仮にシュバルツが突如として欲望を剥き出しにして襲いかかってきたとしても、上手く宥めすかして己の身を守るだけの自信があった。


 しかし……


「ふにゃあ……もうらめえ……それ以上はダメにゃあ……」


 裸でベッドの上に横になり、メイスが蕩けきったあえぎ声を漏らす。

 シュバルツに食事に誘われてから数時間後。メイスはシュバルツの腕に抱かれており、紅潮した肌を汗で濡らして脱力していた。

 隣にいるシュバルツも当然のように裸である。2人の姿は誰の目から見ても、そういう行為があった事後にしか見えなかった。


 メイスにとって予想外だったのは、シュバルツが色街で5年間も暮らしている熟練の『男』であり『雄』だったことだろう。

 シュバルツは女性を口説き、ベッドの中に引きずり込むあらゆる手練手管を身に着けていた。

 それはメイスがこれまで関わってきたあらゆる冒険者が持ちえない、女衒ぜげんのごとき悪魔の技術である。


 最初は酒を飲み、食事をとっているだけだった。

 連れ込まれた店も大通りに面したごく普通のレストランであり、警戒するような店ではない。シュバルツの態度も紳士的で怪しいところはまるでなかった。

 それなのに……料理と酒に舌鼓を打ち、会話を楽しんでいるうちに何故かメイスは2軒目、3軒目と店を変えることを了承してしまった。

 気がつけば連れ込み宿ホテルのベッドの上で裸になっており、今日会ったばかりの男に押し倒されていたのである。


 さすがに不味いと思って一瞬で酔いが冷めたメイスであったが……その時には全てが遅い。

 猫獣人であるメイスにとって自慢の猫耳を、尻尾を撫でられたら、全身から力が抜けてしまった。巧みに弱点を突いてくる愛撫に抵抗もできず、全身を弄ばれることになった。


 結果、一晩かけて身体を貪られたメイスはベッドの上に力なく横たわり、シュバルツの腕枕に頭を預けることになったのである。


「素敵にゃあ……もう、バルトさんには逆らえないにゃあ……」


 猫獣人の女性が愛おしげに言って、スリスリと頭を擦りつけてきた。

 飼い主に甘えるような挙動はまさに猫である。シュバルツは苦笑して、三角の猫耳を撫でてやった。


「ふにゃあ……」


 メイスが気持ち良さそうに鳴いた。

 トロトロになった瞳から、すでにメイスがシュバルツの手の中に身も心も落ちていることが伝わってくる。


(どうやら……上手くいったようだな。一丁あがりってな)


 腕の中で甘えてくる女性の姿に、シュバルツは内心でほくそ笑んだ。

 鮮やかな流れでメイスを連れ込み宿に引き込んだシュバルツであったが、この流れは決して偶然ではない。計画的に、意図して起こしたものである。


 シュバルツは獣人族の女性を抱くのが初めてではない。

 色街には獣人族の娼婦や妓女が何人もいるし、もっと言えば獣人や亜人ばかりを集めた店だってあるのだ。

 彼女達の性感帯が獣の耳や尻尾に集中していることは、当然のように知っていた。


 シュバルツがメイスを狙ったこともまた偶然ではない。

 事前に『夜啼鳥』の密偵にギルドの職員を調べさせたうえで、口説き落とす上で最適であると判断したのだ。

 メイスは受付嬢としての経験は3年ほどだったが、獣人特有の優れた洞察力や観察眼で、受付嬢らのまとめ役である『主任』としての地位に就いていた。

 他の受付嬢では知らないギルドの内情も知っており、情報を聞き出す上で有益な相手である。


 シュバルツは事前にメイスが受付をしている時間帯を調べ上げ、あえてその時間を狙って冒険者登録をした。

 髪を黒く染めていたのも変装という理由だけではなく、メイスが黒髪の男性を好んでいるという話を事前に聞いていたからである。


 メイスが食事の誘いを受けてくれるであろうことも予測済み。

 ギルドへの加入試験で優れた力を示せば、優れた新人冒険者にツバをつけるために食事くらいは付き合ってくれるだろうと算段していた。

 酒や料理も、メイスが好みだろうと予想していたレストランを選んだ。食事中の話題も彼女の好みに合わせている。

 メイスからしてみれば、どうしてピンポイントで自分の泣き所ばかりを狙ってくるのか不思議だっただろう。蜘蛛の巣に誘い込まれたその状況を、運命的な出会いとすら感じていたかもしれない。


 メイスの心を掴み、警戒心を奪って……そこから先は色街で慣れ親しんだ通り。

 防御が緩んだメイスを言葉巧みに宿に連れ込み、ベッドへと押し倒したのである。


(女を口説くコツはマメになること。相手の好みや情報を仕入れて、いかに自分と気が合うかを見せつけること。勧める酒は甘めで飲みやすいものを選んで、自分が酔っぱらっていると気がつかせないこと。綿密に計画を練っていたとはいえ、一晩で落とせたのは僥倖だな)


「他に聞きたいことはないですかにゃ? バルトさんにだったら何でも話してあげますにゃあ」


 シュバルツの身体に愛おしげに抱き着いてきて、メイスがそんなことを囁いてくる。

 すでにメイスは冒険者ギルドの内情について、かなり深い部分まで話してしまっていた。情報漏洩が露見すれば職を失ってしまうレベルである。

 自分がハニートラップに引っかかっているという自覚もないだろう。瞳にハートマークを浮かべ、「にゃあにゃあ」と媚びるように甘えてくる。


「それじゃあ……最近、ギルドに入ったという女性冒険者のことをもっと詳しく聞かせてもらおうかな?」


「にゃ? シーラさんのことですかにゃ?」


「シーラね……随分とわかりやすい偽名だな」


『バルト』と名乗っているシュバルツが言えた話ではないだろうが、『シーラ』──シンラ・レンはやはりギルドに所属していたらしい。

 深紅の長い髪、長身の異国の女性という特徴はすでにメイスから聞き出しており、ギルドに入った時期から考えても間違いないだろう。


「……どうして、シンラさんのことが気になるのですかにゃ?」


 メイスが拗ねたように唇を尖らせてくる。シュバルツが他の女性を知りたがっているのが気に入らなかったのだろう。

 シュバルツは苦笑して、メイスの尻から伸びている獣の尻尾を手でつかむ。


「ふにゃっ!」


「勘ぐるなよ。女性の冒険者が珍しかっただけだ。同じく飛び級で昇格試験を受けるとなればなおさらにな」


「うにゃあ……仕方がないですにゃ。話してあげますにゃあ」


 尻尾を上下に擦ってやるとすぐに陥落した。今さらではあるがチョロい女である。


「シーラさんは1ヵ月ほど前にギルドに登録しましたにゃ。武器は剣……片刃で反りの入った異国の剣を使っていて、加入試験ではガインツさんを倒して合格しましたにゃ」


「ガインツを倒したって……マジかよ」


 シュバルツが息を呑んだ。


 ガインツはAランク冒険者であり、王宮の近衛騎士以上の力を有している。

 平民階級の出身であったが、魔力持ちで身体強化や装甲の魔法を使うことができた。魔法使いの貴族であっても、ガインツに勝てる者はそうはいないだろう。

 全力を出したシュバルツであっても確実に勝利できるとは断言できない。そんなガインツに勝利したという事実に、改めてシンラ・レンの実力が窺えた。


「試験には私も同席しましたが……シーラさんは身体強化の魔法を使ってましたにゃ。恐ろしく素早くて、私の目でも終えなかったですにゃあ」


「……獣人の動体視力でも追えないとなると相当だな。シンラ……じゃなくて、シーラか。かなりの使い手であることに間違いないだろう」


「はいですにゃ。ガインツさんもBランク以上は確実の有力株だと褒めてましたにゃあ」


「ふうん……それでそのシーラさんとやらはどんな依頼を受けているんだ?」


「そうですねえ……彼女はギルドに登録して1ヵ月ほどになりますけど、魔物の討伐依頼や山賊の討伐を受けていますにゃあ」


 受けている依頼は珍しいものではない。

 そもそも、ギルドに寄せられる依頼のほとんどは魔物退治なのだから。


「変わったことがあるとすれば……報酬の少ないものばかりを受注していることですかにゃ。依頼人が貧しくて十分な金額が支払えないらしくて、ギルドとしては溜まっていた依頼が片付いて大助かりですにゃあ」


「む……それは確かに珍しいな。まるで金持ちの道楽じゃないか」


 ギルドに所属する冒険者は一攫千金、危険を冒してでも大金を求めている人間が多い。

 そもそも、魔物と戦うのは命懸けなのだ。安値で命懸けの依頼を受けるような酔狂な人間など滅多にいない。


(シンラ・レンは後宮暮らし、隣国から嫁いできた皇女だ。金には困っていないだろう。わざわざ冒険者として登録しているのは金のためではあるまい。貧しい人間の依頼ばかり受けているということは、まさか社会奉仕のためとか……?)


 後宮にいる妃がわざわざ身分を隠してボランティア活動……にわかには信じがたいことである。


(やはり直接会ってみなくては判断がつかないな。シンラ・レンの目的がわかれば、篭絡して味方に引き込むきっかけになると思うんだが……)


「……シーラという冒険者も昇格試験には参加するのか?」


「はい、最初は渋っていたようなのですが、是非にと薦めたら受けてくれましたにゃ。来週の試験ではご一緒になるはずですにゃあ」


「ふむ……」


 シュバルツはしばし考え込んで……頷いた。

 その昇格試験でシンラと接触して、彼女が何を思って冒険者として活動しているのか見極めるとしよう。

 可能であれば、そこで自分の味方に引き入れてやろう。


「……随分とシーラさんのことを気にしていますにゃ。ちょっと妬いてしまいますにゃあ」


「痛っ」


 メイスがカプリと首を甘噛みしてきた。

「にゃあにゃあ」と可愛らしく鳴きながら噛みついてくる猫獣人の受付嬢。

 20代の女性がするにはあまりにも子供っぽい仕草に、シュバルツは降参するようにメイスの背中を叩くのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る