第63話 竜化


『ミャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


「くっ……危ない!」


 ドラゴンになったヤシュが噛みついてくる。

 人間など丸呑みにできそうな巨大な顎がシュバルツに向けられ、慌てて横に跳んだ。


「これはどういうことなのだ!? どうして翡翠妃殿が竜に変身する!?」


「知るか! こっちが聞きたいんだよ!」


 反対方向に避けたシンラが叫ぶ。

 無論、わけが分からないのはシュバルツも同じである。


 ヤシュが亜人連合出身の獣人であることはもちろん知っていた。亜人が人間にはない特殊な力を持っていることも知っている。

 だが……まさかドラゴンに変身するなど思ってもみないことだった。


(あの刺客……ネムルという男が大虎に変身したことと関係あるのか!? だとしたら、もうヤシュは……!)


 シュバルツは頭を振って嫌な想像を打ち消した。

 もしも大虎――ネムル・タイガーの変身と同じものだとすれば、ヤシュはもはや元の姿に戻れないということになってしまう。

 夏至祭で歌いながら踊っていたヤシュの姿。齧りつくように夢中になって本を読んでいた姿が、シュバルツの脳裏に思い出される。

 あの不思議ながらも愛らしい少女ともう会えないだなんて……そんなことは考えたくもなかった。


「ヤシュ、しっかりしろ! 目を覚ませ!」


 シュバルツがドラゴンに向かって呼びかけた。

 金色の瞳がギョロリとシュバルツに向けられた途端、シュバルツの身体が凍りついたように硬直する。


(これは……魔眼か!? ドラゴンがこんな力を……!?)


 シュバルツは声を上げることもできず、内心で激しい焦りに襲われる。


 魔眼とは文字通りに魔性の力を秘めた瞳のことだ。

 一部の魔物、あるいは禁忌の術を修めた魔法使いが修得しているのだが……まさかドラゴンにそんな力があるとは知らなかった。


 魔眼に射抜かれたシュバルツは指一本も動かすことはできない。

 このままでは成すすべなく鋭い牙で噛み千切られ、エサにされてしまうだろう。


(クソ……! 動け! 動け動け動け動け動けええええええええええええっ!!)


 かつてない命の危機に襲われるシュバルツであったが……不意にドラゴンが目を逸らす。

 金色の瞳からこぼれた大粒の水滴。シュバルツは大きく目を見開いた。


『ミャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 ドラゴンは高々と鳴くと、背中の翼をはためかせて夜空に飛び立っていく。

 夜空を裂いてドラゴンが飛んでいき……やがて東の空に吸い込まれるように消えて行った。


「グッ……ハア、ハア、ハア……!」


 魔眼に魅入られていたシュバルツが解放され、そのまま地面に倒れそうになる。

 片膝をついて荒い呼吸を繰り返し、シュバルツは掻き毟るように己の胸元を掴んだ。


「な、何だったんだ……どうして、ヤシュがドラゴンに……!」


「それはこの者に聞けば良いだろう。確実に何かを知っているはずだ」


 シュバルツの疑問にシンラが答えた。シンラは羊角の女官の腕を後ろに回して拘束している。

 女官は腕をひねられた痛みに顔を顰めながらも暴れる様子はなかった。


「その前に……ここから離れたほうが良さそうだな。流石に人が来るだろう」


 後宮の内部に突如としてドラゴンが現れ、空に向かって飛び立っていったのだ。

 仮にこの場に人払いの魔法がかけられていたとしても隠しおおせるわけがない。

 すぐにここに兵士が駆けつけてくるはずだ。シュバルツが後宮内にいるのを見られたら、厄介なことになるだろう。


「一先ず、後宮を出るぞ。話は外で聞かせてもらう」


「ああ、承知した」


「…………」


 シンラが頷いた。羊角の女官は項垂れるばかりで抵抗しない。


 シュバルツはシンラと羊角の女官を連れて、後宮を脱出する。

 騒ぎを聞きつけた警備の兵士がようやく駆けつけた時には……無残に破壊された庭園に、いくつかの死体が転がっているだけとなっていた。

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