失格王子の後宮征服記 魔力無しの王子は後宮の妃を味方にして玉座を奪う
レオナールD
プロローグ
その少年――シュバルツ・ウッドロウは王の息子としてこの世に生を受け、栄光の光の下で祝福された人生を送るはずだった。
母親から不自由のない健康的な身体を授かった。父親からは優秀な指導者と高度な教育を与えられた。
恵まれた環境により、シュバルツは幼い頃より勉学と武術の両方に秀でた才覚を示している。
容姿も非常に整っており、父親似の精悍な顔立ちと母親似の銀髪黒眼は、いずれ多くの女性を虜にするであろう可能性を周囲に感じさせた。
生まれた時から全てを与えられた神に愛されし王子。それがシュバルツ・ウッドロウが
しかし――そんなシュバルツの人生に大きな影を落とす要因が2つあった。
1つ目は、シュバルツが生まれつき非常に魔力が少なかったこと。
この世界には『魔法』という様々な奇跡を実現化とする技術が存在しており、人間は誰しも生まれながらに魔法の元となる『魔力』を有していた。大きな魔力を持つ者ほど強力な魔法を行使することができるため、国から重宝されて貴族や騎士などの高い身分につくことができるのだ。
多くの才能を有するシュバルツであったが……残念ながら魔法の素質にだけは恵まれなかった。
シュバルツの生まれ持った魔力は一般的な平民の半分程度であり、魔法使いとしての適性は絶望的だった。
たとえ魔法の才覚がなかったとしても、勉学や武術といった他の能力が失われることはない。
だが……シュバルツにとって非常に不幸なことに、王族の価値を決める最大の資質は魔力量だったのである。
王族や貴族が平民と隔絶した地位を持つ理由として、大きな魔力を持っていることがあった。
優れた魔法使いはたった1人で数百の兵士に匹敵する戦闘能力を持っているのだから、それを有する者達が権力者になるのは自然な流れである。
平民として生まれていれば魔力が少なくとも馬鹿にされることはない。
けれど、王子でありながら平民以下の魔力しか持たないシュバルツへの風当たりは強く、他の全ての長所が否定されてしまうほどだった。
そして、さらにシュバルツを追い詰めることになったもう1つの要因は、シュバルツに巨大な魔力を有する双子の弟がいたことだ。
ヴァイス・ウッドロウ――シュバルツと同じく銀髪黒眼で、鏡写しのように同じ顔で生まれたもう1人の王子。
その魔力量は王族であることを考慮しても非常に大きく、父王の倍以上の魔力を有していた。
同じ容姿を持ちながら圧倒的な魔力を持つ双子の弟に、周囲の期待や信頼はことごとく奪われてしまった。それは魔力を重んじる貴族はもちろん、肉親である国王夫妻も同じである。
いつしか、シュバルツは『母親の胎内で魔力を奪われた失格王子』などと影口を叩かれ、王宮内での味方は誰もいなくなっていたのだった。
あらゆる才能を持ちながら、魔力が少ないという一点だけで嘲笑の的になってしまった悲劇の王子。
そんなシュバルツに信頼を取り戻す最後の機会がやってきた。
『王位継承戦』
15歳を迎えたその日に、次期国王を決定する王族にとって最重要のイベントが開かれることになったのである。
◇ ◇ ◇
「それでは……これより王位継承戦を開始いたします」
年配の騎士が厳かな口調で告げて、右手を挙げた。
戦いの舞台に選ばれたのは王宮内部にある近衛騎士団の鍛錬場。円形の会場には決闘に臨む2人の参加者と、審判役を任された騎士団長が立っている。
会場の周囲には国王夫妻、王宮に仕える貴族をはじめとした多くのギャラリーが集って、戦いの始まりを待っていた。
「ゴクッ……」
決闘の参加者の片割れ――シュバルツ・ウッドロウは緊張した面持ちで固唾を飲んだ。
これから始まる戦いはシュバルツにとって非常に不利なものである。それでも負けるわけにはいかない。絶対に負けられない理由があった。
(ここで敗北したら、俺はもう誰からも必要とされないかもしれない。父上の期待も、母上の愛情も。全てを失ったまま、生まれてきた意味のない無能者として生きていくことになってしまう……!)
これまで、魔力が少ないという理由でシュバルツは両親の期待や愛情を双子の弟に奪われ、憐みと蔑みを受けて生きてきた。
今回の王位継承戦はそれを挽回する最後のチャンス。
魔力がなくとも王になれることを勝利という結果として示せば、周囲の自分を見る目は必ず変わる。そう信じて決闘に臨んでいた。
「それでは、継承戦のルールを確認します」
覚悟を決めて拳を握りしめるシュバルツをよそに、騎士団長が淡々と話を進めていく。
「此度の継承戦は『剣魔決闘』にて実施いたします。剣または魔法での攻撃のみを有効打とし、マジックアイテムなどの使用は禁止致します。もちろん、他者の助力を得ることも禁止です。両殿下とも、よろしいですね?」
「もちろん、僕は構わないよ」
決闘の対戦相手――弟王子であるヴァイス・ウッドロウが穏やかな口調で応えた。
シュバルツと同じ顔。同じ体形と声のヴァイスであったが、表情はシュバルツとは対照的に余裕に満ちている。
「それが代々の王位継承戦の伝統だからね。シュバルツも問題ないよね?」
「ああ……構わないとも」
許されるならば「ノー」と応えたいところだが……シュバルツは仕方がなしに頷いた。
魔法の使用を許された剣魔決闘はシュバルツにとって非常に不利である。剣だけで競ったのであれば勝利する自信があるが、魔法を使われると勝ち目は大きく減衰することになってしまう。
それでも、王位継承戦が剣魔決闘で行われるのは建国以来の伝統である。シュバルツが駄々をこねたところで変わることはないだろう。
「双方とも異論はないとのことで、さっそく決闘を始めさせていただきます」
「あ、ちょっといいかな? シュバルツに話があるんだけど」
騎士団長が決闘を開始しようとするが、ヴァイスがそれに待ったをかける。
ヴァイスは温厚そうな顔を双子の兄に向けて、世間話でもするかのように口を開く。
「シュバルツ、今日は戦うことになっちゃったね。実の兄である君を倒さなくちゃいけないと思うと、正直、気が重いよ」
「……そうだな。俺も同じ気持ちだよ」
「とはいえ……これが王宮の伝統だから仕方がないよね。お願いだから、ケガをする前に降参してくれよ? 君を痛めつけるようなことはしたくないんだ」
「…………」
シュバルツは無言で顔を顰める。ヴァイスは当然のように、自分が勝利することを前提に話していた。
それも当然だろう。ヴァイスは並ぶ者のいないほど圧倒的な魔力を持っており、シュバルツは底辺に近い魔力しか持っていない。
ヴァイスはもちろん、周囲にいるギャラリーだって誰もシュバルツが勝利するとは思っていなかった。
「僕は別に国王になりたいわけじゃない。正直、みんなの期待はプレッシャーだよ。それでも……わざと負けたりするのは君に悪いから、ちゃんと倒させてもらうよ。しつこいようだけど、くれぐれもケガをしないでくれ」
聞きようによっては嫌味を言っているように聞こえるが……ヴァイスは本心からシュバルツの身を案じて、申し訳なく思っているのだろう。
ヴァイスは王族に生まれたとは思えないような純朴で優しい性格を持っており、悪意や嫌味とは無縁な人間なのだ。
そんな双子の弟の気遣いは、シュバルツにとって心を切り裂く刃にしかならないのだが。
(完全に格下扱いか……馬鹿にしてくれるよな。双子の兄だというのに、もう、お前と対等な場所にはいないんだな?)
シュバルツは奥歯を噛みしめて、決壊しそうになる感情を抑えつける。
かつては同じ目線、同じ場所で生きてきたはずの双子の弟は、いつの間にかはるか遠い場所に行ってしまったようだった。
(もしも、この決闘で俺が勝利すれば、昔のような対等な関係に戻れるだろうか?)
「準備が整ったようですので、王位継承戦を始めさせていただきます。両者とも試合開始位置へと移動してください」
騎士団長の誘導に従い、双子の兄弟は20メートル程の距離をとって向かい合う。
決闘のはじまりを前にして、重苦しい空気が会場を包み込む。
「よーし、頑張るぞー!」
弟のヴァイスは余裕綽々。肩から力を抜いてリラックスした様子で決闘に臨んでいる。
その表情には気負った様子はまるでなく、まるでこれから散歩に出かけるような穏やかな表情で立っていた。
「フー……」
一方、シュバルツは固く強張った面持ちで長く息を吐き、肩から力を抜いてしっかりと呼吸を整える。
いつでも飛び出せるように腰を低くして構え、利き腕の右手で鞘に収まった剣の柄を握りしめた。
「それでは…………始め!」
騎士団長が勢いよく手を振り下ろして決闘の開始を宣言する。
同時にシュバルツが地面を蹴り、砲弾のように前方に飛び出した。
「ハアアアアアアアアアアッ!」
腰を低くした姿勢から弾かれたように走り出したシュバルツは、地面を滑るように対戦相手との距離を詰めていく。
20メートルあった距離が見る見るうちに縮んでいき、あまりのスピードに戦いを見守っていたギャラリーも驚きに息を呑んだ。
(呪文を詠唱する時間は与えない! 一撃必殺の速攻──俺がこの戦いに勝利する手段はそれしかない!)
通常、魔法を発動させるためには呪文の詠唱を必要とする。
シュバルツはヴァイスが呪文を唱え、魔法を発動するよりも先に間合いに踏み込んで斬撃をぶつけるつもりだった。
15メートル
10メートル
5メートル
瞬く間に距離を詰めたシュバルツは、剣を握りしめた手に力を込めた。
あと1歩でヴァイスが剣の間合いに入る。全身全霊の一撃で全てを終わらせる――確固たる意志を込めて最後の1歩を踏み出そうとしたシュバルツであったが、そこでようやくヴァイスが動き出す。
「『エーテルバースト』」
ヴァイスは右手を挙げて、ただそれだけを口にした。
「ガッ!?」
瞬間、ヴァイスの右手から放たれた不可視の砲弾がシュバルツの腹部に突き刺さる。
それが風の魔法による一撃であるとシュバルツが理解するよりも早く、受け流すこともできずに喰らってしまった衝撃により後方に吹き飛ばされた。
「グウ……ガッ……」
シュバルツは地面を何度も転がってようやく停止する。
右手に握り締めた剣はどこかに飛んで行ってしまった。もはや戦いを継続することは不可能だった。
「無詠唱、だって……!」
地面に倒れたまま、シュバルツが弱々しくうめく。
呪文の詠唱を破棄して魔法を発動させる高等技術――『無詠唱魔法』。才能に恵まれた魔法使いがさらに気の遠くなる努力と鍛練の果てにたどり着く、魔法の奥義と言ってもよい技である。
ヴァイスが魔力量に恵まれていることはもちろん知っているが、まさか無詠唱魔法まで修得しているとは知らなかった。
「フム……」
地べたを這いつくばるシュバルツを見下ろして、騎士団長が深く頷いて口を開く。
「そこまで! 勝者――ヴァイス・ウッドロウ殿下!」
ワッと周囲のギャラリーから歓声が上がった。誰もが喜びの表情になって勝者となったヴァイスに祝福の声を送る。
そんな観客に手を挙げて答えながら、ヴァイスは倒れている兄に歩み寄った。
「大丈夫かい、シュバルツ」
「っ……!」
シュバルツは答えない。敗北の悔しさから、文字通りに地べたを舐めさせられた屈辱から、這いつくばった姿勢のまま表情を歪める。
ヴァイスはそうやって無言で背中を震わせている兄へと、柔らかな笑みを浮かべたまま追い打ちの言葉を言い放つ。
「ごめん。やり過ぎてしまったようだね。
「…………!」
「もっと余裕をもって戦っていればケガをさせることもなかったのにね。本当に悪かったよ。早く医務室で治療してもらうといい」
労わりに満ちた言葉に、シュバルツは身を斬られるような痛みを感じた。
弟の言葉は気遣いに満ちており、本心から倒れた兄のことを案じていることがわかってしまう。
それは即ち、シュバルツがヴァイスにとって敵と呼ぶに値しないことを意味していた。
(全力で剣を磨いた。身体を鍛えた。血もにじむような厳しい鍛練に耐えたというのに……! それでも、お前にとっては取るに足りない児戯だったというのか!? 本気を出すに値しない弱者でしかなかったというのか!?)
「そんなに悔しがらなくてもいいんじゃないかな?
挙句の果てに決闘を『余興』呼ばわりして、ヴァイスは和やかな顔のまま去っていく。
ヴァイスが会場から1歩出るや、戦いを見守っていた大勢のギャラリーが勝者に駆け寄っていく。
「流石はヴァイス殿下! 素晴らしい戦いぶりでございます!」
「無詠唱からの強力な魔法。次期国王たる御方の才覚を存分に見せていただきました!」
「シュバルツ殿下も『魔力無し』のわりに頑張っていたようですが……やはりヴァイス殿下には遠く及びませんね!」
多くの貴族が次期国王となったヴァイスを囲み、称賛と祝福の声をかけている。
対して、倒れたシュバルツには助け起こす者すらいない。誰もが次期国王の歓心を少しでも得ようと勝者に媚びへつらっており、敗者に見向きすらしていなかった。
「見事であったぞ。ヴァイスよ!」
それは戦いを見ていた観客だけではない。今回の継承戦の主催者である国王もまた同じである。
ウッドロウ王国国王――グラオス・ウッドロウ。
その人物が声を発するや、青年の周囲に集まっていた人の波が左右に分かれて道を作る。
父王は王妃を伴って悠然とした足取りでヴァイスのところまで歩いていき、勝者の肩を優しい手つきで叩く。
「まさに神に祝福された力よ。お前こそが次期国王にふさわしい! 頼もしき後継者を得ることができて心より誇りに思うぞ!」
「もったいない御言葉です。国王陛下」
「父上と呼ぶがよい。我が愛しき息子よ!」
国王は上機嫌にヴァイスの背中を叩き、会場中に響き渡るような声を発した。
「聞け、皆の者よ! 此度の王位継承戦の結果として、ここにいるヴァイスが次期国王として王太子の位に就くことになった! 皆もそのつもりで息子に仕えるように!」
「「「「「ハハアッ!」」」」」
打てば響くように、会場中から従属を誓う言葉が返ってくる。
ある者は瞳を輝かせ、ある者は跪いて深々と頭を下げて、次期国王の誕生を迎え入れる。
「ヴァイス! ああ、貴方は自慢の息子よ!」
王妃もまた喜びの声を上げてヴァイスに抱き着き、涙を流しながら抱擁をした。
「…………」
そんな中……いまだ地面に膝をついた姿勢のまま、シュバルツは両親と弟の仲睦まじい姿を見つめていた。
まるで世界から自分だけ取り残されたかのような気分である。1人としてシュバルツを顧みることはなかった。
(俺は何のために生まれてきたんだ? ろくに魔力も持たず、どうして王家に生まれてきたというんだ……)
シュバルツは孤独と絶望に唇を噛みしめながら自問する。
せめて王族ではなく平民として生まれていれば、たとえ魔力量が少なかったとしても差別されることはなかっただろう。
血のにじむような努力を積み重ねてもヴァイスには遠く及ばず、存在そのものを無視されている。
こんな絶望と屈辱を与えられるために、自分はこの世に生まれてきたというのだろうか。
「父上……」
その声が聞こえたわけではないだろうが――王がふと振り返ってシュバルツを一瞥する。
視線が交わったのはわずか一瞬。
すぐに国王の方から目を逸らしてしまい、何事もなかったかのように弟に笑顔を向けていた。
「…………!」
その一瞬だけで理解させられてしまう。
父王の瞳に浮かんでいたのは心からの憐み。まるで道端で倒れている野良犬に同情するような目だった。
「……いっそのこと、無能な息子を罵ってくれた方が良かったかもしれないな」
シュバルツは胸を掻きむしりたくなるような痛みを堪えて、地面から立ち上がる。
一瞬たりともこの場には居たくない。少しでも早く立ち去りたい。ケガをした身体を引きずるようにして、ヴァイスと反対側の出口に向かっていく。
「王太子殿下、万歳! ウッドロウ王国、万歳!」
「我らが新たなる王太子に女神の祝福を! 偉大なるヴァイス殿下に栄光を!」
惨めな負け犬として会場を去るシュバルツの背中に、喜びと祝福の声が突き刺さる。
シュバルツは胸を抑えて、奥歯を強く噛んで会場から出て行った。
それは忌まわしい記憶。
シュバルツ・ウッドロウの半生を『敗北者』の人生として決定づけた過去である。
王位継承戦から数日後。
誰にも姿を見られることなく、シュバルツ・ウッドロウは王宮から姿を消すことになる。
シュバルツの行き先を知る者は誰もいない。『魔力無しの失格王子』と呼ばれたシュバルツの行方を積極的に探す者は誰もいなかった。
唯一、双子の弟だけは気にかけていたが……実の両親である国王や王妃すらもシュバルツを捜索しようとはしなかったのだ。
まるで最初から王子はヴァイスだけだったかのように……シュバルツがいなくなった王宮には何の変化も起こらなかったのである。
そして……5年の歳月が過ぎた。
運命の円環が再び回りはじめ、一度は闇に消えたシュバルツ・ウッドロウが再び表舞台へと戻る日がやってきた。
シュバルツがウッドロウ王国にもたらすものは、混沌か、それとも……
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