第3話『失格』と呼ばれた王子


「人間があ! 我に喧嘩を売ってタダで済むと思っているのかあ!?」


 オーガの男が野太い男で怒鳴り散らす。

 憤怒に顔を真っ赤にした姿はまさに『赤鬼』。まるで東国の昔話に登場する怪物のようである。


「タダで済まさないのならどうするつもりだ。背中の棒きれで殴りかかるのかよ」


 痴話喧嘩に割って入ってきた青年――シュバルツ・ウッドロウは、オーガの背中の大剣を指差して挑発するように唇を吊り上げる。

 シュバルツの背丈は5年前よりもさらに成長しており、身長は180センチに届いていた。

 しかし、2メートルを超えるオーガの前に立つと、そんな長身も小柄に見えてしまう。


「背中のそれは飾りかよ。そんなにデカい棒切れはチャンバラごっこには大袈裟すぎやしないか?」


「我の武器を馬鹿にするなあ! これは誇り高き鬼の一族に伝わる魔剣だぞお!?」


「きゃあっ!?」


 オーガは掴んでいた女を突き飛ばし、両手で背中の大剣を抜き放つ。

 大剣の刃には血痕のような紅い斑紋が明滅している。ただの武器ではなく特殊な製法で生み出されたマジックアイテムであることがわかった。


「危ない!」


 引き抜かれた魔剣を見て、ユリウスは思わず叫んだ。

 オーガという人間の身体能力を超越した亜人が魔法武器を持っているなど、まさに鬼に金棒である。

 魔力が極端に少なく、『失格王子』などと蔑まれていたシュバルツが勝てるわけがない。

 ユリウスが慌てて駆け寄って助太刀に入ろうとするが……そこで予想外の事態が生じた。


ッ!」


「え……?」


 シュバルツの身体が消失した。

 次の瞬間、一陣の風とともに白い閃光が駆け抜ける。


 気がつけば、シュバルツはユリウスのすぐ隣にいた。オーガを挟んで反対側にいたはずなのに、瞬きをするほどの時間で高速移動してきたのだ。

 シュバルツが手にしている剣からはポタポタと赤い雫が流れて地面に落ちている。それが血液であることに、ユリウスは遅れて気がついた。


「ガアッ!?」


 さらに数瞬ほど遅れて、野太い悲鳴が上がる。

 ボトリという音を鳴らしてオーガの両腕が地面に落ちた。大剣の柄を握りしめた2つの手首が地面の上でピクピクと別の生き物のように痙攣していた。


「魔法もろくに使えない『失格』だが……この間合いは俺にとっての『絶対』だ。相手が鬼であろうと、鬱陶しいほど魔力の大きいどこぞの王子様であろうと……一足一刀の間合いで俺に勝てる奴はいないと断言しよう」


「グウウウウウウウウウウッ!? よくも、ヨクモ! 人間ごときガアアアアアアアアアアア!」


「学習をしない奴だ……ハアッ!」


 再び、白刃がひるがえされる。放たれた2発の斬撃がオーガの胸元をバツ字に切り裂き、鮮血が舞った。

 目で追うことすらも許さない。音を置き去りにした速度の早業である。


「グウッ……ガアッ……」


 オーガの巨体が大きな音を立てて地面に沈む。

 ぐったりと仰向けに倒れた巨体はまるで死んでいるようだが……よくよく見ると、わずかに胸が上下していた。


「大鬼族は身体もデカければ生命力も無尽蔵。これくらいで死にはしない。すぐに手当てをすれば、腕だって繋がるだろうよ」


 シュバルツは倒れたオーガを一瞥し、剣を鞘に収めた。

 息切れすらすることなく、余裕に満ちた表情で倒れた巨体に背中を向ける。


「命が惜しければ、2度と俺のナワバリを荒らさぬことだ。図体に似合わぬ小さな脳みそにしっかり刻んでおくように」


 言い捨てて、シュバルツは颯爽と歩き去っていこうとする。

 周囲で戦いを見守っていた野次馬が自然と道を開けて、勝者に進むべき花道を作った。


「すごい……全然、剣筋が見えなかった……」


 ユリウスは目を奪われたようにその背中を見送っていたが……やがて色街に来た目的を思い出し、慌てて声を上げる。


「あ……ああっ! もし、お待ちを! お待ちください……シュバルツ殿下!」


「あ……?」


 ユリウスに名前を呼ばれて、シュバルツが怪訝な声を発した。

 嫌そうな……それはもう、とにかくウンザリとしたような目をして少年騎士を振り返る。


「国王陛下より火急の知らせを持って参りました! どうかお聞きくださいませ、シュバルツ王子殿下!」


「…………」


『王子』……5年前に捨て去ったはずの敬称で呼ばれ、シュバルツはこれでもかと嫌そうな顔になった。


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