第4話 王宮からの使者


 宵闇の空。オレンジの魔力灯の明かり。

 薄闇に覆われた色街をシュバルツがズカズカと大股で歩いて行く。

 そして……少し遅れてその後ろを、ユリウスが小走りで追いかける。


「殿下! お待ちください!」


「…………」


 ユリウスが大声で呼びかけるも、シュバルツは振り返りもしない。

 まるで捨て去った何かを断ち切るように、前だけを向いて歩いて行く。


「殿下! 殿下!」


 しかし、ユリウスも諦めることはしない。

 国王の命令を受けてシュバルツのことを探していたのだ。ようやく求めていた探し人を見つけ出したというのに、諦めることなど出来るわけがない。

 何度も、何度も、シュバルツのことを呼びながら背中に追いすがる。

 そんなおかしな2人の姿に、何事かと道を歩く人々の視線も集まっていた。


「どうか話を聞いてください! 殿下! シュバルツ殿下!」


「ああ、畜生が!」


 しつこくついてくる少年に業を煮やしたのだろう。シュバルツが怒りの形相になってようやく振り返る。


「お前に言うべきことは2つ! 1つ目は俺についてくるな! 2つ目は……二度と俺を殿下などと呼ぶんじゃねえ! 叩き斬られたいのか!?」


「っ……!」


 シュバルツの恫喝に、ユリウスが恐怖に息を呑んだ。

 先ほどの戦い……腕を斬り落とされ、胸を十字に切り裂かれたオーガの姿が頭に浮かぶ。


 それでも……いくら怖くても、ユリウスには退くことができなかった。

 ユリウスは王家に仕える騎士。子供のお使いでここまで来たわけではない。

 王命を果たすことなく引き返すなど、許されるわけがなかった。


「ど、どうか……どうか話だけでも……! お願いします、お願いします……!」


「…………はあ」


 涙目になって言い募るユリウスに、シュバルツは辟易したように首を振る。

 ここでユリウスを切り捨てるのは簡単なのだろうが……成人もしていない相手を『ムカつくから』というだけで斬殺できるほど、シュバルツも人間をやめてはいなかった。

 肩を落とし、親指で居並ぶ娼館の1つを指差す。大きく、華やかな装飾が施された立派な店である。


「……わかった。話だけなら聞いてやる。そこの店まで付いて来い」


「え……で、でもあそこは……」


 ユリウスが顔を引きつらせる。

 女を知らない少年騎士が色街に足を踏み入れるのは初めてだったが……『朱の鳥』と屋号が掲げられたその店がかなりの高級店であることは見て取れた。

 ただでさえ色街を苦手としているというのに……最高級の娼婦が待ち構えているであろう娼館に入るなど、不慣れなユリウスには荷が重すぎることだった。


「来ないならさっさと失せろ」


「あ……」


 道にユリウスを置いて、シュバルツはさっさと店の中に入っていってしまう。


「うー……」


 迷っていたユリウスであったが……やがて意を決したように門の中に飛び込んだ。

 ユリウスが娼館に足を踏み入れるや、上品な花の香りがその身体を包み込む。


「お帰りなさいませ、バルトの若旦那」


「っ……!」


 ユリウスがビクリと肩を跳ねさせる。


 先に入ったシュバルツが3人の女性に囲まれており、腕や背中を抱き着かれていたのだ。

 シュバルツに密着しているのはいずれもスタイルが良く、容姿も驚くほどに整った美女ばかりである。

 ユリウスが戦々恐々と後ずさり……一方で、シュバルツが慣れた様子で女の肩を抱いていた。


「客と話がある。部屋を用意してくれ」


「かしこまりました。女性は何人つけましょうか?」


「女はいらん……いや、クロハだけ呼んでくれ」


「はあい、それではご案内いたしますわ」


 甘ったるい声の女に連れられて、シュバルツが受付横の階段を昇っていく。


 置いてけぼりになったユリウスであったが……別の女性がそそっと近づいてくる。


「坊や、こっちよ。案内してあげるわ」


「け、けけっ、結構だ! 自分で追いかける!」


「まあっ……!」


 ユリウスは娼婦を押しのけ、急いで階段を昇ってシュバルツを追いかけた。


 シュバルツと……遅れて追いついてきたユリウスが通されたのは、娼館の奥にある一室である。

 部屋はかなり広く、娼館だというのにベッドなどはない。床は一般的な板張りではなく、薄緑色のよくわからない材質が使われていた。


「畳の部屋は初めてだろう? この国では滅多に見ないが、東国ではこういう床が一般的らしいぞ?」


 先に部屋についたシュバルツが靴を脱ぎ捨て、裸足になって部屋の奥に進んでいく。


「この部屋は土足厳禁だ。靴を脱いで上がってこい」


「しょ、承知いたしました……」


 ユリウスは言われた通りに靴を脱ぎ、恐る恐る『畳』という不思議な床を足で踏みしめた。


「お……?」


 実際に歩いてみてわかったが……意外と踏み心地は悪くない。

 柔らかくも中に芯があり、しっかりとした踏み応えが足裏に返ってくる。この上で寝転がったら気持ちが良さそうである。


「ほれ、こっちだ。そこに座れよ」


「あ、ありがとうございます……」


 勝手知ったる家とばかりにシュバルツが部屋の隅に積まれていたクッションを取り、ユリウスに渡してくれた。

 ユリウスは王族の前で座っていいものか悩んでいたが……シュバルツに促されて、膝を抱えるようにしてクッションに座る。


「面白いだろ? この娼館の主が東国の出身で、店の内装もアチラの国に倣っているんだと。このクッションも『座布団』といって、中に綿が入っているらしい」


「そうなのですか……随分となれているようですけど、殿下はこの店によく……?」


「常連だ。この店だけじゃない。この街にあるほとんどの娼館は俺の行きつけだよ」


 シュバルツは得意げに鼻を鳴らし、座布団の上で胡坐をかく。


 そうこうしていると、部屋の扉が開いて2人の女性が現れた。一方はここまで案内してくれた若い女性。もう一方は……20代後半ほどの黒髪の女性である。


「よくぞお越しくださいました。バルトの若旦那に、新顔のお客さん。当店の楼主をさせていただいておりますクロハと申します」


 黒髪の女性――クロハが畳に手をついて、たおやかに頭を下げる。

 どこかの国の民族衣装を着たクロハの顔は酷く妖艶で、吸い込まれそうなほどに色気があった。

 ユリウスとクロハの間には5メートル以上も距離があるというのに、その身体から香る匂いが鼻を突き抜けて脳を刺激してくる。


「う……」


 ユリウスは酔っ払ったように頭が酩酊するのを感じて、ブンブンと首を振る。


 クロハはニッコリと笑みをこぼして、シュバルツの隣に移動した。


「それでは、私は失礼しまあす。ごゆっくりどうぞ……」


 もう1人の女性がシュバルツとユリウスの前に酒と料理を置き、部屋から出て行った。

 部屋にはシュバルツとユリウス、クロハの3人が残される。


「さて……国王の使いと言っていたが、お前は俺のことを知っているのか?」


 酒を一口飲んで、シュバルツがそんなふうに切り出した。

 ユリウスは酒にも料理にも手を付けることなく、緊張した面持ちで首肯する。


「もちろんでございます。貴方の名前はシュバルツ・ウッドロウ。この国の第1王子であらせられます」


「……その身分は捨てたつもりだったんだがな。まさか5年も経って呼ばれようとは思わなかった」


 シュバルツは苦笑し、傍らのクロハのことを抱き寄せる。


「今の俺は女好きの遊び人――『バルト』と名乗っている。この町で俺をシュバルツとは呼ばないようにしろ。外で呼びやがったらタダじゃ済まないぜ?」


「……はっ、承知いたしました」


 特に拒否する理由はない。ユリウスは素直に頭を下げた。


「それで……国王からの用事というのは何のことだ? 5年間も放っておいた家出息子に今更どんな用事があるというんだ?」


「…………」


 シュバルツが嫌味を込めて言うと、ユリウスは言いづらそうに唇を噛んだ。

 ユリウスは王宮でシュバルツと会ったことはないが……魔力をほとんど持たずに生まれ、『王位継承戦』にも敗北した王子がどんな扱いを受けていたかは聞いていた。


 きっと、シュバルツにとっては色街が王宮よりもよっぽど住みよい所なのだろう。

 それを承知の上で話を切り出さなくてはいけないことが辛かった。


「……国王陛下からの御命令をお伝えいたします」


 それでも、騎士として使命を果たさなくてはいけない。ユリウスは重々しく唇を開いた。


「『ウッドロウ王国第1王子――シュバルツ・ウッドロウは、可及的速やかに王宮に帰参するべし』――とのことでございます」


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