第74話 翡翠色の竜(中)
「
目の前で起こった破壊行為にシュバルツが唸る。
すんでのところで回避することができたが……まともに喰らっていたら、骨まで焼き尽くされていたかもしれない。
ドラゴンの口から放たれた灼熱の炎。それによって森の木々が焼き払われ、霊山の一部が消し飛んでしまった。
一撃で地形を変えるほどの威力。人間にはとても不可能なそれはまさに伝説の生き物の所業。神にもっとも近いとされた獣の御業である。
「そういえば……忘れていたな。コレはヴァイスを殺すために亜人連合が放った刺客だった……!」
亜人連合国がヤシュを送り込んだのは、彼女を竜化させて愛する男……本来の王太子であるヴァイス・ウッドロウを暗殺するためである。
歴代の王族の中でももっとも魔力が強いとされているヴァイスを殺すために、このドラゴンは送り込まれたのだ。
あの最強無敵な男を殺すための存在なのだ……これくらいの力は持っていて当然と言えよう。
「やれやれ……またしても厄介な女に惚れられちまったようだな。最近の俺はこんなことばっかりだ」
「その厄介な女に私も含まれているのかな、我が殿よ」
「シンラ、無事だったか?」
シュバルツの横にひょっこりとシンラが現れた。
シンラは服を泥で汚してはいるものの目立った外傷はない。どうやら、シンラも上手くブレスを避けたようである。
「戦略も何もない。ただ『撃つ』というそれだけで戦況を変えてしまう一撃。もはや自然災害と変わらぬな。我が殿よ、アレをかいくぐって逆鱗を剥がす自信があるか?」
「さあな……連射はできないと信じたいが、考えるだけでうんざりするな」
シュバルツは首を振って、ドラゴンの方に目を向ける。
「クルルルルルルル……!」
翡翠色のドラゴンは両目を爛々と輝かせ、巨大な口からは火の粉がこぼれている。
先ほどの応酬でドラゴンを追い詰めることができたと思ったのだが……どうやら、見当違いだったようだ。
「明らかに先ほどとは雰囲気が違う……俺達がやったのは竜を本気にさせただけ。これからが本番というわけだ」
先ほどまでの戦いはドラゴンにとってまとわりついてくる羽虫を払うようなもの。『戦闘』ではなかったのだ。
しかし……今は違う。
ドラゴンは本気で俺達を殺そうとしている。羽虫でもなく、餌でもなく、本気で殺すべき脅威としてみなしている。
「ブレスを撃たせるな! 撃つ前に潰すぞ!」
「承知!」
シュバルツとシンラが地面を蹴った。
シュバルツもまた『逆鱗を剥がすだけ』という甘い考えを捨てる。
本気で戦う。刺し違えるつもりで戦って倒す――それくらいの覚悟がなければ、すぐに目の前の怪物に踏みつぶされてしまうだろう。
「ヤシュ、本気で
「クルルルルルルル……!」
ドラゴンが首を引っ込めて息を吸うような動作をする。
またブレスを撃とうとしている――そう考えるや、シュバルツが宙に跳んだ。
「覇ッ!」
渾身の力を込めた一撃を眉間に叩きこむ。
硬い鱗、頭蓋骨に阻まれてほとんどダメージにならないが……ドラゴンがわずかに怯んだ。
「孔雀風天!」
そして、同時にシンラが魔法の一撃を放つ。
空を切る風の刃がドラゴンの口元へと命中する。
「クルアッ!?」
結果、ドラゴンの口の中で小さな爆発が生じた。
撃ち放とうとしていた炎が口内で破裂してしまったのである。
「よし、やったぞ!」
撃つ前にブレスを封じることができた。シュバルツが会心の笑みを浮かべる。
「クルルルルルルルッ……!」
しかし、ドラゴンがギョロリと怒りの目を向けてくる。
「クアアッ!」
「ッ……!」
ドラゴンの口から炎が放たれる。人間の頭部ほどの火球がシュバルツめがけて飛んできた。
口内を焼きながら放ったそれは、先ほどのブレスとは比べ物にならないくらいの威力だったが……それでも、人間一人を焼くには十分である。
シュバルツは慌てて横に跳んで火球を回避する。
「クアッ! クアッ! クアッ! クアッ!」
「うおっ!?」
「くっ……!」
ドラゴンが火球を何発も、何十発も撃ってくる。
シュバルツとシンラは浴びせられる無数の火球を慌てて回避する。
「攻撃の規模を小さくして手数に回したか……対応が早い!」
「一撃必殺よりもよほど厄介だな……どうやら、竜というのは知恵が回る生き物らしい」
強力な攻撃を放つためにはそれだけのタイムラグを必要とする。
先ほど、山を吹き飛ばしたような強烈極まりない一撃であったのならば、撃つ前にスピードで封殺できたことだろう。
しかし、攻撃の威力を小さくして手数に回されると、かえって厄介である。
あの火球は溜め無しで放つことができるらしく、無数の攻撃がシュバルツとシンラを襲う。
「クルルルルルルルッ!」
おまけに……ドラゴンがダメ押しの一手を放ってきた。
火球を撃ちながら翼を動かしたかと思うと、そのまま宙に浮きあがったのだ。
「逃げるつもりか……!?」
ここでドラゴンを……ヤシュ・ドラグーンを逃がしてしまえば、もう捕まえられる保証はない。
焦るシュバルツであったが、ドラゴンがそのままどこかに飛んで行ってしまうようなことはなかった。
それどころか……爬虫類の瞳は完全にシュバルツをロックしている。
「ああ……そうかよ、俺を喰うことをあきらめてないわけか」
シュバルツは顔を引きつらせた。
惚れた雄を喰らうというのがドラゴンの本能。逃げるつもりはないようだ。
ドラゴンが空を飛んだのは逃亡のためではない。
むしろ……シュバルツらを確実に殺すために飛んでいるのだ。
「クアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「ッ……!」
空を飛んだドラゴンが炎を吐いて攻撃してくる。
威力を押さえているのか地形を変えるほどの威力はないが……火球よりも範囲が広い。
完全に避けることができず、シュバルツは腕に火傷を負ってしまった。
「我が殿!」
「問題ない……今のところはな」
慌てて駆け寄ってきたシンラに応えながら、シュバルツは顔を歪めて頭上を見上げた。
剣の届かない位置に移動したドラゴンは、炎を吐いて一方的に攻撃してきている。
反撃を受けないのだから『溜め』のタイムラグはあってないようなもの。いくらでも大技を繰り出すことができる。
「本格的に厄介だな……ミディアムにしちまったら精気も食えんだろうに」
「どうするつもりだろうか、私の風だったら届くと思うが……」
シュバルツとシンラは木の陰に隠れて炎をやり過ごしながら、この場を切り抜けるための算段を話し合う。
「いや……近距離から浴びせても大したダメージにならないんだ。地上から撃っても牽制くらいにしかなるまい。どうにかして、ドラゴンを地上に引きずり落とさないと……」
「クアアアアアアアアアアアアアアッ!」
こうしているうちにも周囲が火の海になろうとしている。
霊山であるこの山に生えている樹木は普通のものよりも堅く、燃えづらい。
おかげで山火事にもならず、木の陰に隠れているシュバルツらも無事でいるのだが……それも時間の問題だろう。
「無事な場所といえば滝の周りくらいだろうか? いざとなれば、飛び込むか?」
シンラが滝の方に目を向けた。
七色に輝く不思議な色彩の滝、その下にできた泉は炎に焼かれることなく無事である。
最悪の場合、水の中に飛び込めば炎を回避することができるかもしれない。
「威力を上げて滝ごと吹き飛ばされたら終わりだけどな…………ん?」
ふと一つの奇策がシュバルツの頭に浮かぶ。
可能性は低いが……成功すれば、空から炎を浴びせてくるドラゴンを引きずり落とすことができるかもしれない。
「……シンラ、俺に考えがある。乗ってくれるか?」
「我が殿の申し出となれば否とは言うまい。何なりと命じれば良い」
「そうか……だったら、しばらくドラゴンの注意を引いてくれ。五分……いや、三分でいいから」
「アレを相手に三分か……命がけだが、了解した」
シュバルツの命を受けて、シンラが木の陰から飛び出した。
「貴殿の女にして剣……シンラ・レンが比類なき無双の剣士であることを御覧に入れよう! 御照覧あれ!」
シンラが炎をかいくぐり、風の斬撃を空に向けて放つ。
鋭い一撃がドラゴンに向かって突き進むが……半透明の魔法の盾によって防がれる。
「クアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「甘い! 私の攻撃はまだ終わってはいないぞ!」
シンラが丈の高い木に足をかけ、垂直の幹を上に向かって駆けていく。
「フッ!」
そのまま太い枝を蹴って宙に向かって飛びあがる。
一瞬ではあるが、空を飛んでいるドラゴンに肉薄した。
「ハアッ!」
シンラがドラゴンに向かって刀を振るう。
地を這うことしかできない人間が空を飛ぶドラゴンに一矢報いようとする。
「クルウッ!?」
ドラゴンはわずかに驚いた様子を見せるが、翼をはためかしてシンラの攻撃を回避した。
そのまま空中にいるシンラに尻尾をぶつけ、地面に向けて叩き落とす。
「クッ……やはり容易にはいかぬな! だが……わかったであろう?」
受け身を取って衝撃を殺し、シンラは地面から起き上がってドラゴンに切っ先を向ける。
「空を飛んだくらいで勝ったと思っているのならば認識を改めよ! このシンラ・レンの刀は貴様に届くぞ!」
「クアアアアアアアアアアアアアアッ!」
刀で斬られそうになったことに警戒心を抱いたのか、ドラゴンの意識がシンラの方に集中する。
シュバルツの存在が意識の外へと弾かれた。その隙に、シュバルツは滝の方へと素早く移動した。
「……この滝の水には大量のマナが溶け込んでいる。魔力の源泉となるマナが」
『マナ』というのは地下を走っている霊力の流れ――『龍脈』から溢れ出るエネルギーであり、それが生物の身体に取り込まれることによって『魔力』が生成される。
シュバルツの魔力が生まれつき少ないのは、マナを体内に貯めこむことができる器が小さいからだった。
(俺は魔力無しの『失格王子』。だが……魔力が本当に零というわけではないし、魔法を使うことができないわけでもない。ただ、マナと魔力の受け皿が小さいだけのこと)
「ならば……このマナに溢れた滝の中であれば、魔法を使うことができるはず。使い切ることができない大量の魔力がここにはある」
滝に飛び込んで、シュバルツは体内の魔力を練り上げる。
普段であれば下級魔法を一度使っただけでシュバルツの魔力は尽きてしまう。中級魔法以上なら魔力欠乏症によって命を落とすことだってあり得るだろう。
しかし……いくら魔力を体外に放出しても、尽きることなく魔力が湧いてくる。
滝の水に含まれるマナがシュバルツの体内に流れ込み、無限の魔力に変換されているのだ。
「これは……」
人生で味わったことのない無尽蔵の魔力を扱いながら、シュバルツは崩れ落ちそうになる膝に力を入れた。
(思ったよりもキツイ……というか、俺ってこのまま死ぬんじゃないか?)
無限の魔力といえば聞こえは良いが……それを扱おうというのは人の身にはあまる所業である。
尽きることなく湧いてくる魔力により、今にも身体が爆散してしまいそうだ。
「あの化け物め……アイツはこんな状態で平然と生きてやがるのかよ」
シュバルツは弟――ヴァイス・ウッドロウの顔を思い浮かべた。
ヴァイスは生まれながらに底無しの魔力を持っている。
シュバルツがマナの滝によって一時的に得た力を、普段から当たり前のように行使しているのだ。
同じ力を得たことにより、改めて弟の人外さが思い知らされる。
「だったら……尚更に負けるわけにはいかねえよ! あの愚弟が平然と耐えているものに俺が押し潰されて堪るものか!」
シュバルツは今にも吹き飛びそうになる意識に喝を入れて、なおも魔力を練り上げる。
プライドと根性だけで膨大な魔力の圧力に耐えきって、一つの魔法を完成させた。
「待たせたな……さあ、出し切ろうか?」
シュバルツは右手を掲げ、空から炎を吐いているドランゴンに向けた。
ドラゴンの意識は脅威とみなしたシンラの方に向けられているが……大量の魔力を込めた魔法の気配を察して、シュバルツの方に目を向ける。
「クルッ!?」
「もう遅い。すでに十分な力は溜まっている」
シュバルツの魔法使いとしての実力は三流以下。
一般人の半分ほどしか魔力がなく、魔力による身体強化という基本的な技さえもまともに使うことはできない。
だが……幼少時から魔法の鍛錬、魔力を操る訓練は欠かさずやっている。
何も持たぬ人間であるがゆえの努力は積んでおり……ひょっとしたら、魔力の制御に関しては弟のヴァイスすらも上回っているかもしれない。
「無駄な努力も重ねておくものだな……役に立つ時がやってきたらしい!」
「クアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「撃ち抜け……『雷帝』!」
シュバルツが魔法を発動させた。
マナの滝から汲み上げた無尽蔵の魔力が雷へと変換され、天を衝いてドラゴンに向かって放たれる。
同時にドラゴンがブレスを吐いてきた。
炎の範囲を狭める代わりに威力を強化した炎が光線となり、シュバルツの魔法と激突する。
「
「クアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
激突した二つの攻撃が均衡する。
赤と黄の光が夜空に弾けて闇を照らす。
「クアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
最終的に勝利したのはシュバルツの雷だった。
炎を押しのけた雷撃がドラゴンに迫り、その身体を撃ち抜く。
「アアアアアアアアアアアアアアアアア……ッ!!」
ドラゴンの咆哮が霊山に響き……そして、消えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます