第73話 翡翠色の竜(上)


「ヤシュ……まさか本当に来てくれるとはな」


 空から地上に降り立ったドラゴンを見て、シュバルツがわずかに表情を歪める。

 エメラルド色の美しい鱗を全身に纏った竜。それこそがヤシュ・ドラグーンの化身した姿である。


「改めて見ると……美しいな。なんと雄々しく、逞しい姿だ。あれが生物の頂点に君臨するとされる伝説の幻獣か……!」


 シュバルツの隣でシンラもまたドラゴンに見蕩れている。

 『雄々しい』という表現は女性であるヤシュにふさわしくはないが、確かに視線の先にいるドラゴンは美しかった。

 鳥の羽よりも歪な形状の翼も、鋭く尖っている凶暴な爪も……恐ろしいはずの姿はどこか神秘的であり、目を離せなくなるような美しさを讃えていた。

 シュバルツとシンラが見つめる先、ドラゴンがのっしのっしと滝の方に歩いていき、マナによって輝く滝の水に鼻先をつけた。


『クルルルルルルル……』


 ドラゴンの喉から澄んだ声音が漏れてくる。

 外見よりも繊細そうな鳴き声はどこか悲しげ。胸を締め付けるような切ない響きがあった。


「…………やるか」


 シュバルツは剣の柄を握りしめた。

 いつまでもヤシュをあんな姿にしておくわけにはいかない。彼女を悲しませている原因を取り除いてみせる。


「やるのか、我が殿よ」


「当然だ……援護は任せたぞ、シンラ」


「承知した。竜と戦える機会などそうはない。存分に剣を振るわせてもらおう」


「……やりすぎて殺すなよ。アレは俺の女だぞ」


 シンラを背中に引きつれ、シュバルツはドラゴンの方に足を踏み出した。

 あえて足音を消すことなく歩いて行くと……ドラゴンがこちらに気がついて長い首をこちらに向けた。


「よお、探したぞ……ヤシュ・ドラグーン」


『クルッ!?』


 ドラゴンの瞳がわずかに見開かれる。

 爬虫類によく似た相貌は感情が読めないが、おそらく驚いているのだろう。

 『どうしてきたの?』……そんなふうに問いかけてくるヤシュの声が聞こえるようだ。


「悪いが……俺は狙った女を逃したことは一度もないんだ。飯屋で匂いだけ嗅いで帰る客が何処にいる。たらふく喰わせてもらうから覚悟しろよ?」


『クルルルルルルルルッ……!』


 ドラゴンの瞳から徐々に感情が消えていく。

 わずかに残っていた理性が失われていき、獣の本能に支配されていった。

 どうやら、シュバルツの姿を目の当たりにしたことで竜の本性が力を増しているのだろう。

 惚れた男を殺す。肉を喰らい、精を奪う。

 ドラゴンの本能がヤシュの理性を押しのけていくのがハッキリと分かった。


(このまま無抵抗で逆鱗を剥がさせてくれるんじゃないかと期待したが……そう都合よくもいかないらしいな。やはり一戦交えるしかないか)


 新月で獣人の本能が弱っているとはいえ、完全に消えてなくなることはないようだ。やはり戦って逆鱗を剥がすしかない。


「クルルルルルッ……!」


「来るぞ! 構えろ!」


 竜となったヤシュ・ドラグーンがシュバルツめがけて飛びかかってくる。

 シュバルツは剣を構えて、猛スピードで接近してくるドラゴンを迎え撃った。


ッ!」


 狙うは顎の下にある逆さの鱗。『逆鱗』と呼ばれる部位。

 伝承通りであるならば……それを剥がせばドラゴンを人の姿に戻すことができるはず。

 下からすくい上げるような斬撃がドラゴンの下顎めがけて放たれる。


「クルッ!」


「グッ……!」


 だが……シュバルツの一撃はドラゴンの牙によって受け止められた。

 鋭くとがった凶暴な牙がシュバルツの剣にガッチリと噛みつき、引き抜くことすらかなわない。


「ヤアッ!」


 しかし、そこでシンラが切り込んできた。

 羽のようにふわりと宙を飛翔したシンラは、ドラゴンの頭部めがけて刀を振り下ろす。


「ギャンッ!」


「クッ……!?」


 ドラゴンが短く悲鳴を上げるが……顔を歪めたのはシンラも同様である。


「何という堅さだ! 竜の鱗は鋼鉄以上か!?」


「クルアアアアアッ!」


「ッ……!」


 ドラゴンがお返しだとばかりに爪で切りかかる。

 シンラはバックステップで後方に飛び退き、大鉈のような爪を回避した。


「我が殿!」


「わかってる!」


 ドラゴンがシンラに気を取られたことで生まれたわずかな隙。

 シュバルツは緩んだ牙から剣を引き抜き、今度こそ下顎に一撃を叩き込む。

 切っ先が狙い通りに逆鱗に吸い込まれるが……それはカチリと音を鳴らして弾かれた。


「防御魔法だと!?」


 顎の下にある逆さの鱗――その表面部分を覆うようにして、青白く半透明の盾が展開していた。

 それは薄氷のように薄っぺらくて脆そうな盾であったが、シュバルツの渾身の一撃を軽々と受け止めている。


「クルッ!」


「チッ……!」


 ドラゴンが反撃の爪を繰り出した。

 シュバルツは大きく舌打ちをして、後退を余儀なくさせられる。


「あのナリで魔法を使うのかよ……反則だろうが!」


「どうやら、予想以上に楽しい……否、厄介な敵のようだ。どうする、我が殿よ?」


 シンラが戦闘狂の顔を覗かせながら訊ねてきた。

 薄い笑みを向けてくるシンラに、シュバルツは振り向くことなく答える。


「まずは相手の手の内を探さなくちゃならない。魔法の発動条件に予備動作。何ができて、何ができないか……徹底的に丸裸にするぞ!」


「つまり……攻めろということだな! 実に私好みの命令だ!」


 シンラが歓喜の声で叫んで魔法を発動させる。右手に握られた刀が逆巻く風を纏っていく。


「魔法剣――孔雀風天!」


 シンラの必殺技。

 剣に纏わせた風を斬撃として放つ奥義である。


「受けよ、我が刃! ヤアアアアアアアアアアアアッ!」


 風を纏ったシンラの剣がドラゴンに向けて振り下ろされる。


「クルルルルルルルルッ!」


 しかし、ドラゴンの前に現れた半透明の盾が風の斬撃を受け止めた。

 激しい魔法の一撃によってわずかに盾が揺らぐが……破れることはない。シンラの必殺を見事に受け止めてみせる。


「硬い! 見事だ!」


「クルッ!」


 ドラゴンの意識がシンラに向く。

 巨大なアギトで噛みつこうとした。


「おいおい、俺を忘れるなよ!」


 瞬間、シュバルツがその死角に回り込んだ。

 この位置からでは逆鱗は斬れないが……構わない。

 逆鱗を剥がすためには、多少の荒っぽいことをしてでも動きを封じなくてはいけない。


「俺は過激なプレイこういうのもいける口だ! クセにならないように気をつけろ!」


 シュバルツはドラゴンの後ろ脚――その関節部分に斬撃を叩きこむ。

 いかに固い鱗に覆われたドラゴンの肉体とはいえ、全身が余すところなく鎧に覆われているわけではない。

 動作の支点となる関節部分は鱗も薄くなってるはず。


「クルッ!?」


 ガギンッと鈍い音が鳴り、ドラゴンの身体がわずかに傾ぐ。

 出血こそなかったが……ほんの少しだけダメージを当てることができたようだ。


(やはりドラゴンも生き物には違いはない。どれほど丈夫であったとしても、決して不死身ではない! ならば……!)


「シンラ!」


「我が殿!」


 シュバルツとシンラが目配せをして、ドラゴンを挟んで対角線上になるように位置を取る。


「破アアアアアアアアアアアッ!」


「ヤアアアアアアアアアアアッ!」


 シュバルツとシンラは両側から同時にドラゴンを挟撃した。

 縦横無尽に動き回りながらも、常にドラゴンを挟むような位置取りで剣を振るう。

 ドラゴンは鱗で身体をガードし、時には魔法の盾も使って斬撃を受け止めるが……どうやら、同時に二方向に魔法は使えないらしい。

 防ぎきれない攻撃をいくつも浴びてダメージを重ねていく。

 ドラゴンの強靭な肉体にとって一撃一撃のダメージは微々たるものだが、それは雨垂れが石を穿つようなもの。無数に積み重なればやがて目に見えた効果を生じさせる。


「クルルルルルルルルッ……!」


「これは……!」


「勝てるぞ……このまま攻めろ!」


 前後左右から攻撃を浴びせるうちに、ドラゴンの動きが少しずつ鈍っていく。

 どうやら……蓄積したダメージが身体に影響を与えているようである。

 今は守りきることができているが、この調子で弱らせていけば押し切ることができるだろう。

 守りも崩れ、逆鱗を剥がす隙だって生じるはず。


「グルルルルル……!」


 だが……そう都合よくはいかなかった。

 ドラゴンが首を引っ込め、わずかに力を溜めるような動作を取ったかと思ったら……次の瞬間、その巨大なアギトから閃光が放たれる。


「グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


「なっ……!」


 シュバルツの口から驚きの声が漏れた次の瞬間。

 竜の口から放たれた灼熱の炎により、山の一部が森ごと消し飛んだのである。

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