第95話 六花の集い(下)
一通りの事情説明を終えると、何故かシュバルツが部屋から追い出されることになった。
琥珀宮の主であるアンバー・イヴリーズの強い要望によるものである。
「おい、俺を除け者にして密談とは随分と冷たい態度じゃないか。あんまり苛めると泣いちまうぜ」
「あら? 女性同士の会話に興味があるだなんて、シュバルツ殿下もお好きですこと。心配しなくても、殿下を刺す算段なんていたしませんよ」
「刺すって……シャレになってないぞ、それは」
ようやく刺された傷が塞がってきた腹を撫でながら、シュバルツが顔を引きつらせる。
「さあさあ、ここからは乙女のお茶会です。殿方はどうぞお帰りください」
「ム……構わないが、あまりおかしなことを吹き込むなよ?」
シュバルツは渋々といったふうに部屋から出ていき、貸し与えられている寝室へと向かった。
唯一の男が消えて、部屋の中央に置かれた円卓には六人の女性だけが残される。
四人の上級妃と『夜啼鳥』のクロハ、ユリウスだった。
アンバーを除いた上級妃らは何の話が始まるんだと怪訝な顔をしており、クロハは興味深そうな微笑を浮かべている。
ユリウスは単に出ていくタイミングを逸しただけ。気まずそうな顔をしており、身体を縮こまらせて気配を消していた。
「さて……私から皆さんへの話は一つだけ。私が正妃になりますから、皆さんは側妃としてシュバルツ殿下を支えてください。以上です」
「はあ? 何を言うとんねん、自分!」
突然の宣言に水晶妃――クレスタ・ローゼンハイドが立ち上がる。
金と商売を何よりも重んじていたクレスタは、国王の正妻……『正妃』になることでこの国の経済を握ることを目指していた。
そうでなくとも、クレスタは上級妃の中で最初にシュバルツに抱かれた女である。
口にしたことはなくとも内心では「自分が一番!」などと優越感を抱いており、アンバーの成否発言を認めることはできなかった。
「自分、いったい何様のつもりや! 後から出てきといて、何を勝手にウチらの頭を抜いとんねん!」
「別に皆様を軽んじているわけではありませんよ、水晶妃様。私が正妃としてシュバルツ殿下の隣に立つのはただの消去法。それだけのことです」
「はあ? 消去法?」
クレスタがなおも睨みつけると、アンバーは穏やかな表情で視線を受け止める。
「紅玉妃様は戦うことばかりで政治には興味はない。ゆえに正妃になるつもりはない」
「む……その通りだが」
紅玉妃――シンラ・レンが同意する。
実際、シンラは正妃になるつもりなどなかった。自分が選ばれていたとしても、他の妃に譲っていたことだろう。
「翡翠妃様は亜人連合の姫君であらせられます。この国ではすでに亜人差別は古くなっていますが、それでも亜人を嫌っている人間がいないわけではありません。翡翠妃様が正妃となれば、亜人嫌いの貴族が槍玉にあげてくることでしょう」
「…………」
翡翠妃――ヤシュ・ドラグーンは無言で首肯する。
ヤシュもまた自分が亜人であり、周囲から奇異や侮蔑の目で見られる対象であることを理解していた。
また、母親である亜人連合の盟主はヤシュをヴァイス・ウッドロウ暗殺の手駒として利用した経緯もあり、祖国とも折り合いが悪くなっている。
後ろ盾を失ってしまったヤシュが正妃となるのは難しいことだろう。
「そして……水晶妃様。貴方は妃であると同時に神商七家の一つであるローゼンハイド商会の商会長です。正妃としての仕事を片付けながら、商会長の仕事を続けることができますか?」
「それは……」
アンバーの指摘にクレスタが押し黙る。
クレスタが上級妃となったことで、ローゼンハイド商会はウッドロウ王国の経済に食い込んで大きく躍進することができていた。
しかし、それをこれからも続けることができるかと聞かれると、難しいことである。
正妃の仕事に気を取られたことで商会の経営が疎かになってしまうかもしれない。脇が甘くなったところを誰かに商会を乗っ取られてしまうかもしれない。
「すでに十分、利益は得ているでしょう? これ以上は欲張りすぎだと思いませんか?」
「むう……それはそうかもしれんけど……」
だからと言って、正妃になることで手に入るメリットを手放せないのが商人である。
シュバルツに抱かれ、愛する男を見つけてからもそれは変わらない。
「別に利益の追求を諦めろと言っているわけではありません。あくまでも表の権力は私に任せて、水晶妃様は商売人として経済を回していただければ良いのです。正妃の座を奪われるのではなく、面倒ごとを押しつけると思ってください」
「…………ハア、わかったわ。金持ちケンカせずや。意地になってもしゃーないわ」
クレスタは肩を落とし、両手を上げて降参する。
「自分の方が政治に強いことはよーくわかった。広い人脈もあるようやし、正妃の椅子は譲ったる。ただし……金回しはウチに任せてもらうけどど、文句はないやろ?」
「ええ、経済をお任せすることができて、私の荷も軽くなりますわ。当代最高の商人の誉れが高い水晶妃様でしたら安心ですわ」
「はいはい、麗しの琥珀妃はんに褒められて光栄ですよー……しかしなあ、ウチらがいくら将来のことを話し合ったところで、旦那はんが王になれへんかったら意味ないで。絵に描いたパンと変わらんわ」
「…………王になれないなら……一緒に、逃げる?」
ヤシュが消え入るような声で言う。
すでに国に捨てられたようなものであるヤシュにとって、立場を捨てて逃げてしまうことに抵抗はないようだ。
シュバルツと一緒ならばどうでも良い。外国に逃げることも、密林や
「それも良いですが……もっと良い手段があります。シュバルツ殿下を王にすれば良いだけ。殿下も望んでいることではありませんか」
「簡単に言ってくれるな……私も最初からそのつもりだったが」
シンラが肩を揺らして苦笑する。
シュバルツは後宮を征服して、王位を奪うことしか見ていない。
妃らを連れて駆け落ちのように逃げることなど、受け入れはしないだろう。
「ヴァイス殿下は当代最高の魔法使い。シュバルツ殿下が剣の達人であるとはいえ、勝利することは難しいでしょう」
アンバーが嫣然と微笑んで、円卓に居並ぶ女性陣に順繰りに視線をやる。
「ですが……ここにいる全員が協力して手を取り合うことができれば、万一の勝機が十に一つくらいには上昇するはずです! 同じ男を夫とする者同士、シュバルツ殿下の勝利のために手を取り合いましょう!」
「やる気があるようで結構だけど……どうして、貴女がそこまでするのかしら?」
堂々と演説をしているアンバーに、クロハが瞳を細めて尋ねる。
「貴女は彼に抱かれたわけではないのよね? それなのに……どうして、彼のためにそこまでするのかしら?」
クロハはシュバルツの口から琥珀妃アンバーのことを聞いていたが……『何を考えているのかわからないが、おそらく自分のことを嫌っているようだ』などと話していた。
しかし、暗殺されかけたシュバルツを助けたり、彼のために上級妃らをまとめ上げようとしたり……何故だかシュバルツの利益になるように動いている。
事前に聞いていた情報と乖離しすぎている。いったい、アンバーは何を考えているというのだろう?
「……肉体関係だけが男女の全てではありません。身体を重ねずとも、育むことができる絆もあるでしょう。それに……正妃になるのは私です。私なのです。最終的には私が一番になるのですから、どうかそれをお忘れなくっ」
「…………?」
アンバーが口にしたのは誤魔化しとも受け取れる言葉だったが、不思議なほどに強い感情が浮かんでいる。
先ほどまで冷静な口調で話していたはずのアンバーが、最後の言葉だけは苛立ちと対抗心を込めて、先にシュバルツのお手付きになった女性達を睨みつけるようにして言い放っていたのであった。
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