第92話 帰還の報


 ヴァイス帰還。

 双子の弟の帰郷を告げられたシュバルツであったが……自分でも不思議なほどに、驚きはなかった。


「そうか……ヴァイスが帰ってくるのか」


「驚かないのですね?」


「まあ、な……何となくではあるが、そろそろのような気はしてたんだ」


 北方にある別の大陸でヴァイスが発見されたという話は聞いていた。いずれ帰ってくることも聞いている。

 だが、それ以上に……双子の兄弟の絆とでも言うべきなのだろうか。刻一刻と近づいてくる弟の影をシュバルツは感じ取っていた。


「鬱陶しいことだ……他人の方が遥かにマシだな」


 とっくに千切れていたはずの『縁』を再確認させられ、シュバルツは大きく舌打ちをする。

 自分の人生を踏みにじった男との絆なんて邪魔なだけだ。心の底から忌々しく感じられてしまう。


「それで……どうして、お前がそのことを知っているんだ? どこからの情報だよ」


「情報元は明かせません。しかし……間違いなく確かであると、断言いたしますわ」


「…………」


 アンバーがここまで言うのであれば、それは事実なのだろう。

 ヴァイスが帰ってくる――これは一つの決定事項に違いなかった。


「……だったら、なおのこと外に出してもらいたいな。奴と戦う準備が必要だ」


 シュバルツは即座に覚悟を決めた。再びヴァイスと戦い、五年前の雪辱を果たす。


(もう二度と、俺はあいつに譲ることはない。今度は俺が死ぬか、奴を潰すか……それ以外に道はない……!)


 かつて、シュバルツはヴァイスと戦って敗北したことで王宮を去ることになった。

 今度はそうはいかないだろう。すでに後宮にいる上級妃に手を出していることもあり、敗北はすなわち死を意味している。


(ヴァイスが俺に情けをかけたとしても、親父や宰相。そしてあの毒婦……ヴァイオレット王妃は俺を見逃しはしないだろう。確実に殺しにかかってくる……!)


 五年前、シュバルツが王宮の外に出ても追手がかからなかったのは、生かしておいたところで何の脅威にもならないと侮られていたからだ。

 シュバルツがヴァイスの地位を脅かす存在であるとわかれば、今度は全力で始末しにかかってくるだろう。

 生きるか、死ぬか……もはや後戻りのための道はなかった。


「はい、存じております。ですが……それでも、この場に留まっていただきます」


 しかし、シュバルツの覚悟を聞いてなおアンバーは首を振った。


「断言しましょう。琥珀宮から出て行った場合、シュバルツ殿下は命を落とすことになります。間違いなくそうなると保証いたしますわ」


「……お前に何がわかる。まるで未来でも見通しているような言い草だな」


「わかるのではなく視えているのですよ。確実にそうなると」


「…………」


 アンバーの言葉は確信に満ちている。

 その自信満々な態度に、流石にシュバルツも眉をひそめた。

 アンバーは何かを隠している。その上で、琥珀宮を出たら確実にシュバルツが命を落とすと断言しているのだ。


「御心配なく。シュバルツ殿下はこのまま牙を磨いていれば良いのです。いずれ時はやってきます。その時までの辛抱です」


「その言葉を信用しろという方が無理だと思うがな……信用に値する根拠がない」


「根拠でしたら行動で根拠を示しましょう……このようにして」


「…………!?」


 何を思ったか、アンバーが食卓の上のナイフを手に取る。

 そして……その切っ先を迷うことなく、自分の右目に突き刺した。


「なっ……!」


「クッ……これが、私にできる最大限の証明になります」


「何をしてやがる! 気でも触れたか!?」


 ボタボタとテーブルに血が落ちる。

 シュバルツはアンバーの右目に刺さったナイフを引き抜こうとするが、すんでのところで手を止めた。

 ナイフを抜けばさらに出血してしまう。大量の失血によってショック死してしまうかもしれない。


「ご安心ください。治療の準備はできておりますから」


 アンバーが開いたドレスの胸元から小瓶を取り出した。

 そして……顔を上に向け、ゆっくりとナイフを引き抜きながら小瓶の中の液体を右目に注ぐ。


「ッ……これで失血死することはありません。特注の軟膏を毎日塗り込んでいれば、一週間ほどで失われた眼球も再生するでしょう」


「お前、まさか……!」


「ええ、眼球が再生するまでの間で構いません。琥珀宮に留まりください」


 行動で根拠を示すとはそういう意味なのか。

 言葉で信用してもらえないのであれば、傷と痛みをもってして証明するという意味のようだ。


(イカレてやがるな……そこまでして、俺をこの場に留まらせようとする目的はなんだ……?)


 シュバルツの命を助けたいなどと言っているが……それを鵜呑みにするほど、シュバルツもお人好しではない。

 だが……そうまでして引き留めようとする女の覚悟を前にして、袖を振り払う気にはなれなかった。


(俺がそういう選択をすることも読まれているんだろうな……その見透かした態度、心の底から腹が立つな)


「……了解した。その傷に免じて、もうしばらく世話になってやる」


 シュバルツは琥珀宮に留まることを受け入れた。

 それが相手の思うつぼであることを知りながら……ヴァイスとの決戦よりも、目の前の女に向き合うことを優先させる。


(気に入らないが……気に入った。この女、絶対に押し倒してやる……!)


 シュバルツは心の中で決意を固めると、食卓に置かれていたナプキンを手に取ってアンバーの顔についた血をぬぐってやった。

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