第91話 琥珀宮での生活


 自分の命を狙ったのは実の母親だった。

 その事実を告げられたシュバルツは憤怒に表情を歪めるが……実のところ、内心では納得もしていた。


(あの女であればやりかねない……そうか、ヴァイスが帰ってくる前に、俺のことを消すつもりだな?)


 シュバルツにとって母親とは、血がつながっているだけの他人である。

 ウッドロウ王国の王妃――ヴァイオレットは『魔力無し』として生まれたシュバルツのことをほとんど無視しており、弟のヴァイスだけを寵愛していた。

 ヴァイスが王宮に戻ってくれば、偽物として活動していたシュバルツの存在が邪魔になる。必要なくなった不要の息子を始末しようとしていても、おかしくはない。


「……疑わないのですね。私が嘘をついていると」


「百パーセント信用したわけではないが……命を助けられたのは事実だからな。あの母親よりは信用できるさ」


 少なくとも、アンバーにはシュバルツに対する敵意はない。

 自分の味方であると信じたわけではないが……先ほど、身体を拭いてくれた手つきは献身的で悪意は感じられなかった。


「ただ……解せないな。どうして、お前が俺にここまでするんだ? お前は俺のことを嫌っているのではなかったのか?」


 それは心からの疑問だった。

 アンバーはこれまで、シュバルツに対して冷たい態度を取り続けていた。シュバルツも彼女が自分を嫌っていると思っていたのだ。

 わざわざ刺客に襲われそうになっているのを助け出し、かくまおうとするだなんて、これまでの態度からは考えられないことである。


「いったい、何を企んでいる? 俺に『借り』を作るメリットがあるのか?」


「…………」


 シュバルツの問いにアンバーは答えない。

 いつものように仮面のような笑みを浮かべたまま、椅子から立ち上がる。


「……それについては、『今』は話す時ではありませんわ」


「おい……」


「『今』は、と申しました。時が来れば必ず説明いたしましょう」


「む……」


 笑顔で言い切られてしまうと、それ以上の追及ができなくなってしまう。

 ただでさえ、命を救ってもらったという弱みがあるのだ。


「……まあ、いいさ。それよりも外部と連絡が取りたいのだが……ここは琥珀宮で良いんだよな?」


「ええ、そうですよ」


 アンバーが頷いた。

 男子禁制の後宮の内部。

 先日、ヤシュが何者かに拉致されて行方不明になったことで警備も強化されていることだし、いかに王妃と言えど簡単に手出しはできまい。


「それと……真珠妃様と紅玉妃様、それと翡翠妃様には手紙を出して連絡しておきました。いずれこちらにやってくることでしょう」


「は……?」


「シュバルツ殿下が出入りしている娼館……そこを拠点にしている『夜啼鳥』にも連絡していますので、いずれ応答があるでしょう。怪我人の手を煩わせることはいたしませんのでご安心ください」


「…………!」


 他の三人の上級妃、さらに『夜啼鳥』との関係まで知っているというのか。

 ならば……シュバルツが秘かに後宮を支配して、この国を手に入れようとしていることにも感づいているのだろう。


「お前……本当に何者だ?」


「お食事をお持ちいたしますわ。栄養をつけなければ怪我も治りませんから」


 シュバルツの問いを無視して、アンバーは木桶を抱えて部屋から出て行った。


 アンバーが部屋を出る寸前に浮かべていたのは悪戯っぽい子供のような笑顔。

 普段の仮面のような笑みとはかけ離れた顔をしていたのである。



     〇          〇          〇



 それから一ヵ月。シュバルツは外出を許されることなく、琥珀宮で過ごすことになってしまった。

 怪我自体は二週間も養生したら回復したのだが、アンバーが外出を許してくれなかったのだ。


「まだ殿下の御命を狙っている人間がいますから。琥珀宮にいれば安心ですから出ないでください」


 一度、外に出たいと訴えたところ、アンバーは仮面のような笑顔を貼りつけて言ってきた。


「いや……いくら何でも、部屋に押し込められるのは窮屈なんだが。それに安否を知らせておきたい人間もいるし……」


「他の上級妃には私の方から知らせておきますので、ご心配なく。殿下は自分の御身体のことだけ考えてくださいませ」


「む……」


 シュバルツは顔をしかめるが……相手は命の恩人である。

 おまけに、シュバルツに重傷を負わせたのは魔法で洗脳されたユリウス。誰が敵で誰が味方なのかもわからない現状では、出歩くのは得策ではなかった。

 シュバルツ自信が裏社会の人間なので、良く知っている。暗殺というのは防ぐのがとても大変なのだ。

 純粋に戦闘能力が高ければ暗殺を免れることができるわけではない。ユリウスが道具として利用されたように、相手の警戒の外を縫って命を奪う手段などいくらでもある。


「時が来るまではここにいてください。それとも……私のことが信じられませんか?」


「グッ……そう言われると……」


 シュバルツは押し黙る。

 普段は仮面のように変わらない笑顔を浮かべているアンバーであったが、この時だけは不安そうな、シュバルツの顔色を窺うような表情をしていた。

 いつも同じ表情を浮かべているだけに、ギャップによる威力は大きい。

 シュバルツは何も言えなくなってしまい……結局、琥珀宮に留まることになってしまったのである。


 アンバーが運んでくる料理を食べ、用意してくれた寝床で就寝し。決まった時間に持ってきた菓子をおやつとして食べて、アンバーと一緒にお茶を飲んで……。


「ヒモかよ、俺は……」


 流石にいたたまれない気持ちになり、怪我が治ってからは剣術の鍛錬や筋力を鍛えるようになった。

 外出は許可されていないため屋内でのトレーニングになるが、幸い、与えられた部屋は広々としていて剣を振るう余裕すらある。訓練をするのに支障はなかった。


「はい、食事を持って参りました。今日も鍛錬をして精が出ますこと」


「……他にすることがないからな。ヒモというよりも愛玩動物ペットだな、これじゃあ」


 夕食の時間になって、いつものようにアンバーが料理を載せたトレイを持ってきた。

 上半身裸で筋力トレーニングをしていたシュバルツは、水で濡らしたタオルで身体を拭きながら出迎える。

 怪我をしたせいで鈍った身体もすっかり元通りになっていた。汗で濡れた上半身からはうっすらと湯気が出ている。


「…………」


「どうした? さっさとテーブルに着けよ」


「……ああ、失礼いたしました。私としたことが、少しボーっとしていました」


 ジッとシュバルツの裸を見つめていたアンバーであったが、言われたとおりに部屋にあるテーブルに料理を並べる。

 見蕩れていたのだろうか自惚れたりはしない。箱入り娘のお嬢様だ、純粋に男の裸身が珍しいのだろう。


「はい、今日はシュバルツ様の好きなビーフステーキです。どうぞ、召し上がれ」


「ああ……いただきます」


 両手を合わせ、感謝を述べてから食事を摂る。

 この「いただきます」というのは東国の習慣らしく、クロハに教えてもらった。

 料理を作ってくれた人、食物を育てた人。材料となった動物や植物に感謝をして食べ物をいただくという考え方を気に入って、シュバルツも同じようにしてから食事を摂るようになったのだ。


「…………」


 ビーフステーキをナイフで切って口に運んでいると、アンバーがこちらを見つめているのに気がついた。

 何が面白いのだろう。ジッと、一切目を逸らすことなくシュバルツの食事風景を見守っている。


「……面白いか、人が飯を食っているのが」


「いえ? 別に面白いということはありませんが?」


「そうか……」


 だったら、どうして見つめているのだ。

 そう思ったシュバルツであったが、おそらく訊ねても納得するような回答は帰ってこないだろう。

 短い付き合いではあるものの、一ヵ月も一緒にいたら、それくらいはわかるようになっている。


 この一ヵ月間、アンバー以外の人間とは接触していない。だからといって、アンバーと親しくなったとも思えなかった。

 アンバーのガードは固い。抱き寄せるどころか、手を握ることすら出来ていないのが現状である。

 怪我をしていた頃はともかく、身体も癒えた今ならば強引に押し倒すこともできそうだが……命を助けてくれた相手の好意に付け込み、無理やりに迫るのは人の道に外れる行為だ。


(それに……抱いてやったところで、この女のガードは崩れない気がする)


 アンバーは徹底的な秘密主義者だ。

 どうしてシュバルツを助けたのかと尋ねても、他の質問を投げかけても、仮面のような笑顔ではぐらかすばかり。

 一ヶ月間、一緒にいたにもかかわらず、アンバーの謎は深まる一方だった。

 押し倒してやったくらいでは鉄の仮面は崩れない……そんな確信がシュバルツにはある。


「いったい、いつまでこんな生活が続くんだか……」


「あら? 何か不満でもあるのですか?」


 思わずつぶやいた独り言に、アンバーが頬に手を添えて首を傾げた。


「生活に必要な物は全て用意しているはずですが……ひょっとして、料理が口に会いませんでしたか? それとも、お酒が足りませんでしたか?」


「いや……足りない物なんてねえよ。満ち足りてないだけだ」


 他人から与えられた料理。他人から与えられた酒。

 自分で苦労することなく、一方的に与えられた食事で腹を満たせば、その分だけ心が飢えていく。

 心を満たすことができるのは自分で手に入れた物だけだ。


(それに……もう一ヵ月も女を抱いてない)


 王宮を出奔してから五年。

 初めて女を抱いて以来、一ヵ月以上も女性を抱いていないのは初めてかもしれない。


「飢えるな……それに乾いている。さっさと外に出たいものだ」


「……そんな言い方をされると傷ついてしまいますわ。私は善意でシュバルツ殿下を保護しているのですよ?」


「それは感謝している。心からな」


 ただ……どこまで善意かわからないのも不安があった。

 何が目的なのかもわからないアンバーに保護という名目で軟禁されているのも、シュバルツの心を圧迫するストレスとなっている。


「……いい加減に限界だな。そもそも、自由のない生活は合わないんだ。助けてくれたのには感謝しているし、外に俺の命を狙っている人間がいるのも理解している。だが……そろそろ、俺はここを出て行くぜ」


「はあ、そうですか。仕方がありませんわね」


「ん……? いいのか、出て行っても?」


 あっさりと了承されて、シュバルツは怪訝な顔をする。

 これまで何度も外に出たいと訴えても、アンバーは許してくれなかった。それなのに……どういう心境の変化だというのだろう。


「ええ、構いませんわ。ただし……来週になってからですが」


「来週だと……?」


 どうして、来週なのだろう。

 わざわざ時期を指定する意味とはいったい……?


「来週、何かあるのか?」


 シュバルツが訊ねると……秘密主義であるはずのアンバーが、薔薇色の唇を開いてあっさりと告げてくる。


「はい。来週、ヴァイス殿下が帰ってきます。もう、隠れている意味もなくなりますわね」






――――――――――

新作小説を投稿いたしました。


ペンギン転生

自分をイジメていたクラスメイトが異世界召喚されて「ざまあ」と思ってたら遅れて召喚された。魔獣になって使役されているが美少女に可愛がられているので許すことにする。

https://kakuyomu.jp/works/16817330663919837386



ストックが切れるまで毎日18時に投稿していきます。

是非とも読んでみてください。

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