第115話 堕ちた琥珀
「フウ……終わったか」
決闘を終えて、弟と母親の死を見届けて……シュバルツは仮宿として寝泊まりしている琥珀宮へと戻ってきた。
決闘の後始末……ヴァイスとヴァイオレットの死体の片付けや、騒ぎに動揺する臣下への取り成しなど、面倒事はグラオスらに任せている。
息子と妻の死にグラオスは消沈していたが……それでも、覚悟はしていたのだろう。
顔を青ざめさせながらも、淡々として配下に指示を出していた。
寝室にいるのはシュバルツだけ。
肉体も精神もかつてないほど疲労している。
それなのに……不思議と、少しも眠いとは思わない。
むしろ、興奮冷めやらぬといったふうに己が昂っているのを感じた。
「…………」
ベッドに座り、顔の前で拳を握りしめる。
右手にはいまだにヴァイスの胸を刺し貫いた感触が残っていた。
どこか物悲しく、それでいてやり遂げたという達成感があって……胸の内をチリチリと焦がしてくる感情の正体は罪悪感だろうか。
ずっと殺してやりたいという弟の弑逆を成し遂げたというのに、胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
「……魔力が戻って来て良かったな」
もしも取り戻した魔力に満たされていなければ、胸に開いた空白にもっと虚しさがあったかもしれない。
「失礼いたします……まだ起きておられたのですね」
「……アンバーか」
ドアが開き、一人の女性が部屋に入ってきた。
琥珀宮の主であるアンバー・イヴリーズだ。
アンバーは両手で銀のトレーを持っている。ワインのボトルと硝子製のグラス、チーズやハムなどを盛った皿が置かれていた。
「晩酌をお持ちいたしました。一杯いかがですか?」
「助かる……ちょうど眠れなかったんだ」
「そうだと思いました……どんな気分でしょう。自分の弟を殺めるというのは」
アンバーがテーブルにトレーを置いて、グラスにワインを注ぐ。
そのまま手渡してくるのかと思いきや……一口、自分で口にして毒味をしてからシュバルツに差し出してくる。
「どうぞ」
「律義だな……今さら、お前に毒を盛られるなんて思ってないぞ」
「規則です。王の口に入るあらゆる物には毒味が必要ですから」
「…………」
シュバルツは言い返そうとして……やめた。代わりにグラスのワインを飲み干す。
アンバーの言い分にも一理ある。王になろうというのだから、警戒が過ぎるくらいでちょうど良いのかもしれない。
アンバーがすぐにお代わりの酒を注いでくれる。
そして、つまみを盛った皿を差し出してきて……やっぱり、毒味をしてきた。
「問題ありませんね」
「お前が持ってきたんだろうが」
「そうだとしても、用意したのは琥珀宮の侍女ですから。どこで誰が手を入れているのかわかったものではありません」
「そうかよ……まあ、いいさ。お前も飲めよ」
別のグラスにシュバルツが手ずからワインを注ぎ、アンバーに渡す。
アンバーもクイッと酒を飲み……「フウッ」と溜息を吐く。
「美味しいですね」
「ああ、美味い……質問の答えがまだだったな。弟を殺した感想だったか?」
先ほどのアンバーの問いかけを思い出して、シュバルツが皮肉そうに笑う。
「悪くない。思っていた以上に感慨深いが、同時に物悲しくもあるな。今さら罪の意識なんて感じるような関係じゃないってのに……」
「そうですか……傷はどうでしょう? まだ痛みますか?」
「いや、ちっとも。とっくに治っているよ」
シュバルツが軽く腕を回す。
ヴァイスとの戦いで、シュバルツは胸を刺されている。
他にも大小の傷を負っていたが……すっかり、傷は癒えていた。
「すごいな。『竜血』の力は。本当に不死身になったみたいだ」
シュバルツはヴァイスとの決闘に臨むにあたって、いくつかの下準備をしていた。
そのうちの一つが竜の血の摂取。竜……すなわち、翡翠妃であるヤシュ・ドラグーンから血を貰って飲んでいる。
竜の血には癒しの力がある。シュバルツは決闘前にヤシュの血を取り込むことにより、一時的に不死身に近い生命力を手にしていた。
もちろん、厳密には不死ではない。
首を落としたり、心臓を抉りだされたりしたらさすがに死ぬ。脳を潰されても同じである。
それでも……治癒魔法を使うことができないシュバルツにとって、竜血による効果は大きかった。
「ヤシュだけじゃない。クレスタにもシンラにも、お前にだって世話になったな」
水晶妃クレスタ・ローゼンハイドが魔力を蓄積するマジックアイテムを入手して、紅玉妃シンラ・レンがシュバルツと剣を交えて極限まで技を磨き上げ。
そして……琥珀妃アンバー・イヴリーズがヴァイスの行動パターンを『予知』した。
「予知能力か……まったく、とんでもない能力だよな。まさか自分のあらゆる行動が読まれているとは、ヴァイスも思ってはいないだろうよ」
アンバー・イヴリーズは予知能力者である。
彼女は未来を視ることができ、それによりヴァイスの行動を予測していた。
(俺が
「まったく……本当に末恐ろしい話だよな」
「ええ……その力ももう失われていて、ありませんけど」
アンバーが持っていた予知能力はすでに無くなっている。
どういう理屈なのかはわからないが……未来予知の能力には制限があり、自分が視た未来について他者に話すことができないそうだ。
他者に予知の内容を伝えてしまうと、代償により未来予知の能力が消えてしまうのだ。
アンバーは今回の決闘について予知して、ヴァイスの使用する魔法や行動パターンについて記録。それらをシュバルツに伝えることで勝利に導いた。
「しかし……もったいないな。せっかくの未来予知を捨ててしまって、本当に良かったのか?」
「そうしないと、貴方が死んでいましたから」
「……それがわからないんだよな。せっかくの能力を捨ててまで、どうして俺を助けたんだよ」
未来予知にどれほどの価値があるのか……それは助けられたシュバルツが誰よりも知っている。
たいして親しくもなかったシュバルツのため、貴重な能力を捨てた理由がわからなかった。
「……知りたいですか?」
「是非とも」
「…………」
シュバルツが答えると、アンバーがシュバルツの手からグラスを取る。
そして、自分が使っていたグラスと一緒にテーブルに置いて……そして、正面から抱き着いてくる。
「んっ?」
「んんっ!」
シュバルツに抱き着いたアンバーが唇を奪ってくる。
いかにも不慣れな様子で舌を動かして、濃厚なキスを交わす。
「おいおい……これまで拒んでたくせに、急に積極的だな」
シュバルツが怪訝な表情をする。
これまで、何度かアンバーのことを誘っているのだが……そのたび、さりげなく袖にされていた。
「……だって、仕方がないではありませんか。ヴァイス殿下を倒すよりも先に抱かれてしまったら、貴方が負けてしまいましたから」
アンバーが拗ねたように唇を尖らせる。
落ち着いた令嬢であるアンバーにしては珍しく、子供っぽい仕草である。
「本当はずっと怒っていたんですよ……シュバルツ殿下が他の女性を口説いて、抱いているのを見て……」
「あー……そりゃあ、悪かったな……」
「ダメです。許しません!」
アンバーが再びキスをしてきて……そのまま、シュバルツをベッドに押し倒した。
「だから、貴方が皆さんにしたことを全てしてもらいます……それで許してあげます」
二人の身体がベッドの上で重なった。
柔らかく、豊満な身体がシュバルツの腰の上にのしかかってくる。
シュバルツは「やれやれ」と苦笑して、アンバーが纏っているナイトドレスをそっと脱がしたのである。
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