第60話 花の下の罠(中)


 フードを被った人影が襲いかかってくる。

 シュバルツは抜き放った剣を構え、跳びかかる襲撃者を迎え撃つ。


「疾ッ!」


「ッ……!」


 真っ先に飛びかかってきたのは正面の大柄な男。

 シュバルツが目にも止まらぬ速さで振るった刃が、男の胴体を斬りつける。


「…………!」


 しかし……その感触は固い。筋肉や骨、あるいは金属製の防具などとは別種の手応えが感じられた。


「この感触……お前、やはり人間ではないな!」


「ウヌウッ!」


 その問いに答えるように、大柄な男が右腕を下から振り上げてくる。

 シュバルツは咄嗟に側方に跳んで躱した。先ほどまでいた空間を獣の爪が引き裂いていく。


「やはり……獣人! 亜人連合国の獣人か!」


「如何にも……もはや正体を隠す意味はあるまい」


 大柄な男が自分の身体を覆ったローブをむしり取る。

 灰色のローブの下から現れたのは二本足で立ち、人間の服を着た1匹の虎だった。


「お察しの通り。我は亜人連合が『獣士隊』――ネムル・タイガーと申す者なり!」


「随分と簡単に素性を明かすじゃないか……さっきまで正体を隠してたっていうのに」


「貴殿はここで命を落とす。己を殺す者の名すら知らぬのは不幸であろう?」


 獣面人身の大男――ネムル・タイガーは鋭い爪が生えそろった両腕をシュバルツに向け、腰を低くして構える。

 以前、道でシュバルツを襲ったときには剣を使っていたが……あれは素性を知られないための処置。これが本来の戦い方なのだろう。


 ネムルに続いて、他の4人の襲撃者がローブを取って投げ捨てた。牡鹿、狼、蝙蝠、馬……新たに4体の獣面人身の獣人が姿を現す。


(ヤシュの関係者だから亜人が出てきたのは驚かない。しかし……『獣士隊』か)


『亜人』と一括りにされているが、その種類は数多い。

 そもそも、亜人と呼ばれる存在に明確な定義はないのだ。人間と同等の知恵や言語機能を有した人間以外の種族……それを人間の亜種――『亜人』と称しているだけである。

『淫魔』であるクロハのように限りなく人間に近い外見の者もいれば、目の前にいる獣面人身のように動物に限りなく近い姿の者もいた。


(聞いたことがある……亜人連合国には『獣』に近い姿をしており、それと引き換えに大きな戦闘能力を有した者達で構成された精鋭部隊がいると。それが『獣士隊』。亜人連合国の最精鋭部隊か!)


「どうして亜人連合国の兵士がこの国にいる!? ヤシュ・ドラグーンの……いや、連合国の『盟主』の命令か!?」


「どちらも不正解なり。我らは我らの意思でヤシュ様をお救いする。恨みはないが……貴殿にはここで死んでいただく!」


「チッ……」


 ネムルが問答無用とばかりに言い捨て、5匹の獣が一斉に飛びかかってきた。シュバルツは舌打ちをして敵を迎え撃つ。


「ヌウンッ!」


 先頭で飛び込んできたネムルが両腕の爪で斬りかかる。

 その胸元には先ほど、剣で斬られた傷跡があるが……ダメージは薄い。堅い獣毛で覆われた獣人は防御力も鎧並みに高いのだ。


「ッ……!」


 シュバルツは左の爪を身体をかがめて躱し、右の爪を剣で受け流す。

 そのまま返す刀で反撃をしようとするが、狼獣人が剣に噛みついてきて受け止められた。


「グルルルルルルルルッ!」


「離しやがれ! 駄犬の玩具じゃねえんだよ!」


「ギャンッ!?」


 シュバルツは剣に噛みついている狼獣人のアゴを下から蹴り上げ、その隙に己の武器を引き抜いた。

 そして、瞬時に上にジャンプして横から突進してきた鹿獣人の角を避ける。


「クッ……速い!?」


「ああ、知ってるよ……っと!」


「グアッ!?」


 鹿獣人の背中を踏みつけ、さらに頭上に飛びあがる。

 意味もなく飛んだわけではない。そこに敵がいることはすでに知っていた。


「よう、お前の気配には気づいていたぜ?」


「ギイッ!?」


 飛びあがった先にいたのは、頭上を羽ばたいていた蝙蝠獣人。

 ネムルらが仕掛けた隙に空に飛び立ち、上方から自分に奇襲を仕掛けようとしていたことにシュバルツは気がついていたのだ。


「流石に空を飛ぶ敵を放置しておくのは厄介だからな。最初はお前だ……とりあえず死んどけ」


「キュイイイイイイイイイイイイイッ!?」


 シュバルツは蝙蝠獣人の身体を掴んで剣を突き刺し、そのまま重力に任せて落下する。

 そのまま空中で姿勢を入れ替え、蝙蝠獣人を地面に叩きつけるようにしてさらに深々と剣を突き刺した。


「まずは1体。次は……」


「よくも仲間をおおおおおおオオオオオオオオオッ!」


 3体の獣人が一斉に襲いかかってきた。

 正面から鹿獣人が角を向けて突撃してきて、同時に左右から馬獣人と狼獣人が襲いかかってくる。鹿獣人の背後には虎獣人――ネムルも控えており、シュバルツの動きに合わせて臨機応変に攻撃するべく構えていた。

 仮に先ほどのように上に跳んで攻撃を避けたとしても、ネムルが下から攻撃を仕掛けてくるだろう。


「フンッ……」


 息の合った攻撃と言えるのだろうが……シュバルツは唇を歪めて嗤う。

 命懸けの闘争。熾烈な戦いの中で、5年間を暗殺者として費やした感覚が研ぎ澄まされていくのがわかる。


「この殺気。堪らないな……! だが、シンラと戦ったときと比べると、まだまだ軽いぜ!」


「「「…………っ!?」」」


 シュバルツが剣を振り乱して斬撃を放った。

 剣が向けられたのは襲いかかってくる獣人ではない。背後に立っていたライラックの木。その枝に向けてである。

 斬撃によって斬り裂かれてライラックの花びらが飛び散った。無数の花びらがシュバルツの身体を覆い隠す。


「ッ……!」


 舞い散る花びらによってシュバルツの身体を見失ったのはわずかに一瞬。獣人兵士がそれに動きを鈍らせたのも一瞬である。

 だが……シュバルツにとっては、それは十分な隙だった。


「隙ありだ」


「クアッ!?」


 シュバルツは体勢を低くして、地面スレスレの位置を駆けだした。

 まるで低空飛行する燕のように、突進してきていた鹿獣人の懐に潜り込む。


ザンッ!」


「ガハアッ!?」


 下からの刺突によって鹿獣人が喉を貫かれる。

 突き刺された首から噴水のように真っ赤な血液が噴き出した。


「貴様っ!」


「遅えよっ!」


 左右から2匹の獣人が襲いかかってくるが、シュバルツは今しがた殺害した鹿の身体を蹴って馬獣人の進路を阻む。

 そして、一対一になったところで狼獣人に斬撃を浴びせる。


「破ッ!」


「グウウウウウウウウッ!?」


 狼の爪よりも速く、牙よりも鋭く、一閃された斬撃が狼獣人の胴体を深く斬り裂く。

 そして、そのまま腰をひねって回転して、背後から迫ってきていた馬獣人の胴体を薙ぎ払う。


「ヒヒイイイイイイイイイイインッ!?」


「悪くはなかったが……その程度の攻撃で敗れるほど俺の剣は温くはない! アクビが出るんだよ、お前らの技は!」


「強い……まさかこれほどとは」


 瞬く間に三人の獣人を蹴散らしたシュバルツに、残った最後の敵――虎獣人のネムルが称賛の言葉を漏らす。


「ヴァイス・ウッドロウは魔法の達人であると聞いていたが……まさか剣術にもこれほど精通していようとは。どうやら、貴殿を舐めてかかっていたのはこちらのようだ」


「ああ……やけに距離を取って構えていると思ったら、魔法を警戒していたのか。仲間を盾にするつもりだったんだな?」


 おそらく、ネムルが後方に構えていたのは魔法を警戒してのことなのだろう。

 仲間の獣人を盾にして飛びかからせて魔法を使わせる。そして、魔法発動直後に生まれた隙を突いてトドメを刺してくるつもりだったのだ。

 勝利のために仲間すらも囮にする貪欲な覚悟は、まさに精鋭部隊と言えるだろう。


「とはいえ……それすらも失敗に終わったらしい。4人の仲間を犠牲にしても、貴殿に魔法の1つも使わせることができなかったとは……無念だ」


「…………」


 そもそも、シュバルツには魔法をほぼ使うことができないのだが。

『ヴァイス』の魔法を警戒して勝機を逃したとなると、目の前の獣人らが哀れにも思えてくる。


「それで……どうするつもりだ? まさか今さら投降するつもりじゃないよな?」


「無論。私だけ命欲しさに降参するなど、死んでいった部下に申し訳が立たん。たとえこの身が千切れようとも、最期まで全身全霊でお相手いたす!」


 ネムルは大きく息を吸い、姿勢を低くして構えた。

 獣の口が大きく裂け、左右の鋭い犬歯が剥き出しになる。


「獣人拳法奥義――【月下人獣】!」


 途端、ネムルの身体が変化が生じる。

 人間と獣――半々の姿をしていた獣人の戦士であったが、その姿が完全な獣へと変貌していく。

 身体が膨れ上がって服をビリビリと破り、腕や脚の太さが倍近くまで膨れ上がる。身体を沈めて二本足から四本足になり、三メートル近い巨体の大虎が姿を現した。


「半獣じゃない。完全な獣の姿に……! おいおい、どういう理屈だよ!?」


『これぞ獣人拳法の奥義。己の身体に宿る獣の血を覚醒させることにより、戦闘能力を数倍にまで引き上げることができるのだ!』


「数倍とは恐れ入ったな……だが」


 シュバルツはスウッと目を細めて、虎の怪物となった男の姿を冷静に観察する。


「それほどの大技となれば、代償も重いんだろ? 対価無しで使うことができるのなら、これまで温存しておく理由がないからな」


『然り! 一度この姿となれば、もはや人の形には戻ることはできぬ。いずれ肉体のみならず心までもが獣に支配され、理性も記憶も失われるだろう』


 大虎となったネムルが青く輝く瞳でシュバルツを睨みつけた。


「それよりも先に貴殿を討つ! たとえ刺し違えたとしても、その身を喰ろうてくれようぞ!」


「ッ……!」


 大虎が地を蹴り、シュバルツめがけて飛びかかってきた。

 先ほどよりもスピードが増しており、まさしく獲物を狩る獣の動きである。


「チッ、面倒な……!」


 シュバルツは忌々しげに表情を歪めて、月を背にして飛びかかってくる大虎を迎え撃った。

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