幕間 シュバルツ襲撃事件(上)
水晶妃であるクレスタ・ローゼンハイドを味方につけて、シュバルツの後宮征服は順調に進んでいるように思われた。
しかし、『好事魔多し』という言葉があるように、物事がうまく進んでいる時にこそ足元には落とし穴があったりする。
シュバルツにもまた、1つのトラブルが降りかかろうとしていた。
その日、シュバルツはいつものように後宮に訪れていた。
朝早くから後宮に訪れて、4人の上級妃に順番に面会して機嫌を窺った。ちょっとしたお茶とお菓子を御馳走になり、余った時間で何人かの中級妃に会って軽く世間話に興じて……夕方になると後宮から出て帰路につく。
後宮から王宮へ続く道に人影はない。
シュバルツと後ろに続くユリウスの2人きりである。
「やれやれ……女と会うだけ会って、何もせずに帰るとか蛇の生殺しだよな。親父も無体なことをしやがるぜ」
今日1日で10人近い女性と顔を合わせてちょっとしたデートをしているが……そのまま誰にも手を出すことなく引き返すなんて、これまでのシュバルツではあり得ないことである。
色街で浮名を流し、100人以上の女性と一夜の恋を交わしたシュバルツも、後宮では首輪をつけられていると同じ。
見張り役であるユリウスや女官長の目が合って、何もできずに引き下がることしかできなかった。
「しょうがないじゃないですか! 後宮はあくまでもヴァイス殿下のためのもの。シュバルツ殿下は代理人でしかないんですから!」
「だからってなあ……これだけ女と言葉を交わして何もできないとか生殺しじゃねえか。せめて色街に出て鬱憤を晴らしたいのだが?」
「ダメですよ! 万が一のことがありますから、王宮から出ないように言われているじゃないですか!」
ユリウスが腰に手をあてて、なだらか過ぎる胸を張る。
ヴァイスの代理として後宮に通っているシュバルツであったが、王宮から出ることは許されていなかった。
シュバルツが逃げ出すことを警戒されているのか。それとも、ヴァイスと瓜二つのシュバルツが外で目撃されることで、余計なトラブルが生じるのを恐れているのか。
「チッ……こっちはこの国のために嫌な役を押しつけられているんだ。多少の自由は許されていいと思うがな…………ん?」
ぼやきながら王宮へ戻るシュバルツであったが、ふと途中で立ち止まった。
鋭く周囲を見回したかと思うと、前を歩くユリウスの首根っこを引っ張る。
「……動くな。ユリウス」
「ふあっ!? な、何ですか!?」
「黙れ」
短く命じ、シュバルツは腰にさげた剣に手をかける。
先ほどよりもいくらか声のトーンを下げて、鋭い言葉を発した。
「そこの奴ら、何か用か?」
「へ……?」
ユリウスが慌てて周囲を見回す。
すると、少し先の曲がり角から3人の人影が現れる。現れたのは黒ずくめの男達。黒い服を着て漆黒の頭巾で顔を隠していた。
一見すると隠密の義賊である『夜啼鳥』の仕事着と似ているが……彼らから発せられているのは明らかな殺気。味方でないことは明らかである。
「なっ……王宮内にどうして賊が!?」
ユリウスが泡を喰ったように叫んで、混乱しながらも腰の剣を抜く。
王宮と後宮をつないでいるこの道もまた王宮の敷地内である。ここにたどり着くためには騎士や兵士の警備を抜けなくてはいけない。
つまり、目の前にいる賊は警備をかいくぐってここにいることになる。
「……前だけじゃなくて後ろもか。千客万来だな」
前方の3人に加えて、さらに後方から2人の黒ずくめが現れた。どうやら、先ほど通り過ぎた路地に潜んでいたようである。
道の前後に敵が立ちふさがり、逃げ道を失くしてしまった。
「そんな……どうやって警備を抜けてきたんですか!? この方が王族であると知っての狼藉ですか!?」
「…………」
ユリウスが肩を震わせながらもシュバルツの前に出て、前方の黒ずくめに問いかけた。
男装の女騎士の問いを受けた黒ずくめは無言。何も話すことなく、問答無用とばかりに剣を向けてくる。
(暗殺者か。『夜啼鳥』の連中が忍び込むことができる以上、警備がザルなのは知っているが……妙だな)
目の前の連中は暗殺者のように黒ずくめをしているが、『夜啼鳥』と違って殺気はビンビン。気配を隠しきれていない。
察するに、隠密を専門とする人間ではないのだろう。そんな人間がどうやって手薄とはいえ王宮の警備をかいくぐることができるのか……シュバルツの脳裏に疑惑が浮かぶ。
「ひょっとして……貴方達は王宮の関係者。ひょっとして、王宮の警備を任されている騎士の誰かですか?」
「ッ……!」
念のため『ヴァイス・ウッドロウ』の面を被り、鎌をかけるつもりで問いかける。すると、前方の黒ずくめから息を呑む気配が伝わってきた。
どうやら、図星だったようだ。目の前にいる黒ずくめの正体は王宮に自由に出入りすることができる騎士のようである。
警備の騎士が襲撃者であるとすれば、王宮への侵入など容易いこと。いくらでも暗殺を謀ることができるだろう。
「どうして騎士が私を襲うのかは知りませんが……大人しく殺されてやるわけにはまいりませんね。抵抗はさせてもらいますよ?」
「…………黙れ」
黒ずくめの1人が忌々しそうにつぶやく。
まるで親の敵を前にしたような敵意を込めた声音である。
「『魔力無し』の出来損ないの分際で、ヴァイス殿下のような口をきくな! 恥を知れ!」
「む……?」
シュバルツが怪訝に眉をひそめた。
どうやら、目の前の襲撃者はシュバルツの正体を知って襲ってきたようである。
シュバルツが双子の弟になりすまして後宮に通っていることを知っているのは、王宮でも一部の人間だけのはずなのだが。
「どうしてそのことを……! まさか、あなたは近衛騎士なのですか!?」
「…………」
ユリウスが叫ぶように問うと、黒ずくめが無言で剣を構えた。
これもまた図星の様子。襲撃者はヴァイスの失踪を教えられている近衛騎士の誰かのようだ。
「どうやら……これ以上の問答は無用のようだな。ここから先は斬り合うしかなさそうだ」
前後から肌を刺すような殺気が浴びせられた。
慣れ親しんだ感覚。この5年間で幾度となく味わった殺し合いの空気である。
シュバルツは唇を三日月形に吊り上げて、剣を握った右手に力を込めた。
「後宮で女を抱くことができなかった鬱憤は、コイツらにぶつけさせてもらうとしよう。そういうわけで……とりあえず、死んどけ?」
揶揄するような言葉と同時に、黒ずくめが襲いかかってくる。
シュバルツは凶暴そうに牙を剥いて笑い、斬りかかってくる敵を迎え撃つのであった。
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