幕間 シンラの剣(上)


 シンラ・レン。

 東方の軍事国家たる錬王朝出身の姫にして、後宮に君臨する四つの宝玉たる上級妃の一人。『紅玉妃』の名を賜っている妃である。

 外見だけならば背の高い凛とした顔立ちの美女。長い手足、グラマラスなボディラインは異性のみならず、同性すらも虜にするほど美しい。


 そんなシンラであったが、彼女の日常生活は『妃』や『姫』と呼ぶには程遠い殺伐としたものである。

 シンラは普段は女の園である後宮で寝泊まりしているものの、頻繁ひんぱんにそこから抜け出して冒険者として活動していた。

 上級妃が冒険者活動をしていること……それ以前に、後宮から抜け出していることがバレたらかなりの問題である。

 しかし、シンラの卓越した身体能力をもってすれば、警備をかいくぐって後宮から出ることなど容易いこと。

 一部の女官は中性的な美貌を持ったシンラに対して恋心を抱き、アリバイ作りなどの協力者になっていることもあり、よほどのことがない限り露見することはないだろう。


「フウ……弱いな」


 その日、いつものようにギルドで受けた依頼を片付けたシンラは不服そうにつぶやき、刀を振って血を払った。

 周囲には十数体の死体が転がっている。いずれも深々と斬撃が刻まれており、真っ赤な血が地面に大きなシミを作っていた。

 それは人間のものではない。『猪鬼オーク』と呼ばれる魔物の死骸である。

 彼らは少し前から峠の街道をナワバリにしており、そこを通る旅人や行商人を襲っていた。

 食い物をなどの荷物を奪うだけならば可愛いものなのだが、猪鬼が奪う物の中には人間の命も含まれている。

 襲われた人間は運良く逃げることができた者を除いて、骨になるまでしゃぶりつくされていた。

 ちなみに、豚鬼の外見は人間の胴体に猪の頭部という『獣人』とよく似た姿をしている。

 亜人種と魔物はまるで別の存在なのだが……豚鬼などの魔物の存在は亜人が差別を受ける原因の一つでもあるのだ。


「やはり我が殿と戦った時ほどの高揚はないな……仕方がないことだが」


 不満そうにつぶやいて、シンラは血をぬぐった刀を鞘に収めた。

 冒険者として猪鬼討伐の依頼を受けて峠に赴いてきたシンラであったが……十数匹の魔物との戦いは、彼女の無謬を満たすには至らない。

 それというのも、シンラはここ最近になって強敵との戦いが続いていた。

 運命の相手。生まれて初めて決定的な敗北を与えてくれた男――シュバルツ・ウッドロウ。

 シュバルツのために戦うことになった獣人の戦士。そして……翡翠妃であるヤシュ・ドラグーンが化身したドラゴン。

 いずれも心が躍るような戦いであり、シンラの心を大いに満たしたものである。

 かつては『修羅』に憑りつかれて血と戦いを求めていたシンラ。すでに彼女の中にいる『修羅』は鳴りを潜めて大人しくなっているが、それでも戦い続ける理由があった。


「こんなものでは何の修行にもならんな。我が殿のためにもっと力をつけねばならぬというのに」


 シンラの戦う理由……それは愛する男のためである。

 シンラには運命の男性――シュバルツ・ウッドロウをこの国の王にしたいという野望があった。

 かつては己を満たすために戦い続けてきたシンラであったが……現在は愛する男のために戦うという意味を見出していたのである。

 シュバルツのため、もっともっと強くなろうと修行に励むシンラであったが……格下の雑魚をいくら斬ったところで強くなどなれるはずがない。

 猪鬼との戦いでも特に学ぶことはなかった。いつものように無造作に剣を振り、あたりを血の海に変えてそれで終わりである。


「……まあ、いいさ。魔物が減れば救える命もある。ならば無意味ではないだろう」


 自分を高めるという目的は達成することができなかったが……それでも、猪鬼が消えることで救われる者がいる。襲われて死んでいった者達の仇討ちもできた。

 シンラは自分を納得させて、その場から立ち去ろうとする。


「おお……これは見事な! まさか、これだけの魔物を御一人で倒したのですかな?」


「ム……?」


 感嘆の声をかけられたシンラが脚を止めた。

 振り返ると、そこには重そうな背嚢リュックを背負った老人の姿がある。

 おそらく、街道を通った旅人だろう。そこにいるのは気配でわかっていたが、特に話すこともないので無視していた。


「ああ、その通りだ。貴殿も私がいなければ襲われていたぞ」


「ええ、ええ。感謝いたします! 冒険者殿、助かりました!」


「構わんよ。依頼されてやったことだ。気をつけて旅を続けるが良い」


「本当にありがとうございます……それにしても、やはり東国の剣士様は強いのですなあ!」


「ん……?」


 そのまま立ち去ろうとするシンラであったが、ふと怪訝に思って立ち止まる。


「よく私が東国出身であるとわかったな? 外見か?」


「いえ、そちらの刀とよく似た者を知り合いが持っていましたので。王都に住んでいる偏屈な老人で、その男が東国出身と聞いておりましたので」


「ほう? この国に流れてきた剣士がいるのか。それは珍しいな?」


 東の軍事国家である錬王朝にとって、『剣士』というのは一種の兵器である。

 許可なく国や領地を出る行為は死罪に相応する罪であり、よほどの事情がない限り、滅多に他国に移住することはない。

 あるとすればシンラのように政略結婚で嫁いできた場合。

 あるいは……


「ええ。八十代ほどの老人でして、名前は……カキョウ・ゼツという男です」


「…………!」


 国を追放された犯罪者だけ。

 行商人の口から語られたその男の名前もまた、かつて錬王朝を追われた罪人のものだった。


「カキョウ・ゼツ――鞨鹿郷ゼッカキョウ老師が王都にいるのか……!」


「はあ? お知り合いでしたか?」


「ああ、知っているとも。良く知っている……!」


 シンラはズキリと痛んだ胸を手で押さえた。

 カキョウ・ゼツ……その男の名前をシンラは良く知っていた。


「我が師……私に剣を教えた師匠の名だ……!」


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