幕間 愚者の末路
『お前の秘密を知っている。バラされたくなければ、今夜、指定された場所まで来い』
「……何だ、こりゃ?」
王宮にある自室。
テーブルの上に置かれていたのは、そんな書置きである。
シュバルツにとってこの部屋は、自分のものではあってそうでないもの。
五年前に置いてきた過去の残骸のような場所だった。
それ故にこの部屋で過ごす時間はそう長くはなく、寝泊まりするのも王都郊外にある色街が多い。
仮にも王子が色街に入り浸っているなど本来であれば許されることではないのだが……弟のフリをしろなどという無理難題を押しつけている手前、父王――グラオス・ウッドロウも文句をつけてくることはなかった。
「差出人の名前はなし。何処のどいつがこんなものを書きやがった?」
シュバルツは眉をひそめて手紙を裏返したりするものの、差出人の手掛かりになるようなことは書いていなかった。
『お前の秘密を知っている』――明らかな脅迫の文言だが、はたして、その秘密とは
シュバルツには秘密が多い。
裏社会で恐れられる義賊――『夜啼鳥』に所属するメンバーであること。
悪事に手を染めた貴族の暗殺に関わっていること。
そして、何よりも後宮にいる上級妃らに手を出しており、すでに四人中三人を篭絡していること。
どれも公になれば首が飛びかねない秘密である。
『夜啼鳥』の力を使って上手い具合に隠蔽しているが……どんな秘密も知る者がいれば露見することはある。
(組織のメンバーが漏らしたのか、俺を
あるいは、上級妃らが漏らしたということも考えられる。
彼女達が裏切ったなどとは考えたくはないが……うっかりミスをしてしまった可能性はゼロではない。
(どちらにしても、呼び出しを無視するという選択肢はないな。手紙の送り主を突き止めて、場合によっては口を封じなければ)
「……また、クロハに借りを作ることになる。やれやれだ」
シュバルツは肩を落として、『夜啼鳥』のリーダーである女に連絡を取るべくマジックアイテムを取り出した。
〇 〇 〇
その日の夜、手紙に指定されていた場所にシュバルツは向かった。
手紙にご丁寧に地図付きで指示されていたのは王都の郊外にある邸宅。とある貴族が愛人の女を住ませている家だった。
「屋敷の持ち主はラード・メルカン子爵。絶賛、没落中の下級貴族か……」
あまり手入れがされておらず、壁に蔦の生えた建物を見上げてシュバルツがつぶやく。
その男の情報はすぐに出てきた。
数年前に権力争いに敗れて宮中を追われ、地方の小さな領地からの収入で細々と暮らしているという下級貴族だった。
没落と同時に愛人の女性からも見放されてしまい、その屋敷もいつ売りに出されるかという状況である。
(この男が俺の情報を掴んで脅しをかけている……? 冗談だろう、誰か黒幕がいるはずだ)
シュバルツの秘密。
『夜啼鳥』との関係や後宮の上級妃らとのことは、国王や宰相も気づいていないことである。たかが下級貴族ごときにバレるようなことではなかった。
(おそらく、メルカン子爵は利用されているだけ。この屋敷を貸しているだけで、俺を呼び出したのは別の人間だ)
鬼が出るか蛇が出るか。
屋敷の中で誰が待ち受けているかもわからない。
シュバルツは覚悟を決めて、屋敷の扉を開いた。
ノックはしない。勝手に扉を開けて自分から入る。
玄関には誰の姿もなく、待ち伏せなどはされていないようだ。埃っぽい空気の匂いがシュバルツの鼻腔をくすぐってくる。
「フン……」
耳を澄ませると、少し離れた場所から人の話し声や物音が聞こえた。
気配や音を隠すつもりもないようだ。シュバルツは音を頼りにして廊下を進んでいく。
「お待ちしていましたぞ、ヴァイス殿下!」
「…………」
たどり着いたのは少し広めの空間。パーティーホールとして使用される部屋だった。
部屋の中央には白髪交じりの茶髪の男がワイングラスを掲げており、その周囲にはガラの悪そうな破落戸風の男達が立っている。
「いや、シュバルツ殿下とお呼びした方がよろしいかな? 呼び出しに応じていただき、光栄ですなあ」
「……誰だ、お前は」
知らない顔である。面識はなさそうだ。
ワイングラスを持った男は身なりが良く、いかにも貴族といった服装である。
「おっと……名乗り遅れましたね。私の名前はラード・メルカンと申します。シュバルツ殿下?」
「……お前がメルカン子爵? この屋敷の持ち主の?」
シュバルツは怪訝に目を細めた。
メルカン子爵は「フフンッ」と鼻を鳴らし、小馬鹿にしているかのように笑った。
シュバルツのことを『殿下』と呼んではいるものの、敬意を有しているようにはとても見えない。
「フッフッフ……驚いているようですなあ。よほど秘密がバレたのが意外だったのですかな?」
「…………まあ、な」
本当にメルカン子爵がシュバルツを脅迫しようとした黒幕だったのか。
それとも、メルカン子爵を前に出して、本当の黒幕がどこかに隠れているのだろうか?
「それよりも……話せよ。お前が握っている秘密というのは何のことだ? お前が俺の何を知っているというんだよ」
「フッフッフ……わかっているでしょう。私が貴殿が『シュバルツ殿下』であることを知っている時点で、明白ではありませんか!」
メルカン子爵がぐんっと胸を張って得意げに言う。
「私は知っているのですよ……貴方が本物のヴァイス殿下を殺害して入れ替わっていることをね!!」
「…………は?」
シュバルツは目を瞬かせた。
ヴァイスを殺害した……シュバルツが?
「お前……何言ってんだ?」
「フフンッ、しらばっくれるつもりですか!? 魔力無しの失格王子と呼ばれた貴方がどのようにしてヴァイス殿下を殺害したのかは知りませんが……この私の眼は誤魔化せません! 貴方の正体はシュバルツ・ウッドロウなのでしょう!?」
「…………そうだけどさ」
そうだけど……大事な部分を決定的に勘違いしていた。
シュバルツは確かに双子の弟に成りすましていたが、それは父王の命令であって、ヴァイスのことを殺してなどいない。
メルカン子爵が鬼の首を取ったように主張している事実は、完全に間違っていた。
「もしもこの事実が露見すれば、シュバルツ殿下は死罪となることは間違いない。ですが……私も鬼ではございません。無能扱いされ、王宮から追い出されるようにして出奔した貴殿の境遇には同情の念もあります」
シュバルツが呆れて言葉を失っている間も、メルカン子爵はどんどんヒートアップしていた。
「貴殿が王となった暁に、私を宰相として取り立ててくれるのであれば、この事実は黙っていましょう! どうせ宮廷に貴殿の味方などはいないのです、悪い取引ではありますまい?」
「……もういい、わかったから黙れ」
シュバルツは頭痛を堪えるように眉間を指で押さえ、深く溜息をついた。
「どうやら……俺が神経質になっていたらしい。阿呆に踊らされて余計な心配をしてしまったようだな」
「な……阿呆とはまさか私の……!?」
「いいから黙れ。お前と会話をするのは疲れるんだよ!」
シュバルツは勢いよく足を踏み出した。
姿勢を低くして、重力を利用することで急加速して前方に飛び出す。
「
「グッ……!?」
一瞬で飛び出したシュバルツが剣を抜き、メルカン子爵を囲っていた破落戸の一人を斬り裂いた。逆袈裟に胴体を斬られた男が仰向けになって倒れる。
「なあっ!?」
「恨むのなら馬鹿な雇い主を恨め。とりあえず……全員、死んでおけ」
「で、殿下……こんなことをして……」
「
「ギャッ!?」
「グウッ!」
「ガアッ!?」
「ただで済むと……………………は?」
メルカン子爵が言い終わるよりも先に、周囲にいた破落戸の全員を斬る。
護衛として雇われたであろう男達は武器を構える間すら与えられず、血を流して地面に倒れた。
「さて……これで残すところはお前だけ。覚悟はできているよな?」
「ば、馬鹿な!? 貴殿は何もできない無能者のはず……それなのに、どうしてこのようなことが……!?」
「少なくとも、お前よりは強い。『魔力無し』ではあるが『無能』ではない。そのあたりを勘違いするなよ」
「そうか……その早業でヴァイス殿下のことも殺したのだな!? やはり私は正しかった! 貴様は王太子殿下を殺害した犯罪者……」
「不愉快だ……黙れと言っただろうが!」
「グアッ……!?」
シュバルツは横薙ぎに斬撃を放ち、メルカン子爵の首を斬り飛ばす。
最後の最後まで勘違いをしたまま……シュバルツを利用して立身出世を成し遂げようとした悪辣な貴族は絶命した。
「まったく……とんだ時間の無駄だったな。こっちは忙しいってのに、手間を取らせやがって!」
首を失ったメルカン子爵を見降ろして、シュバルツは本気で苛立ったように吐き捨てる。
あと少しでヴァイスが帰ってくるかもしれないというところで、勘違いをした貴族の妄言に振り回されてしまった。
「……クロハを外で待たせてるってのに、どう説明しろって言うんだよ」
シュバルツは念には念を入れて、クロハを通じて『夜啼鳥』に援軍を要請していた。
彼らは外で待機しており、シュバルツの合図を受けて突入する手はずになっていたのだ。
「ハア……」
シュバルツは仲間に無駄足を踏ませてしまったことを申し訳なく思いつつ、彼らに謝罪するべく屋敷の外に出ていくのであった。
これはシュバルツが後になって知ったことだが……メルカン子爵は権力争いで負けて王宮を追われた。
しかし、彼の娘は侍女として王宮で働いており、遠目ながらシュバルツを目にする機会があったのだ。
娘はヴァイスの大ファンであり、シュバルツを一目見た途端に偽物であると気がついた。
父親であるメルカン子爵に報告した結果、シュバルツがヴァイスを殺害して成りすましているのではないかと思い至ったのだ。
それがこの茶番劇の真相であると知り、シュバルツは大きく肩を落としたのである。
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