第56話 遺伝か、老いか、ストレスか

 そこは戦場だった。しかし戦士はない。


 幾多の死体が積み重なった夕暮れの戦場で、白衣の男たちが黒い塊を取り囲んでいた。


 オリヴィエの姿もない。


 アレクシアたちはアルファの後に続いてその黒い塊に近づいた。


「何ですかこれは……」


 ローズが呟くように言った。


 その黒い塊は巨大な腕だった。黒く、太く、醜く肥大した化物の腕だ。鋭い爪が伸び、生々しい肉片がこびりついていた。


「ディアボロスの左腕よ。ディアボロスの腕は斬り落とされても尚、生きていた」


 アルファの言う通りその腕はまだ生きていた。


 不用意に近づいた白衣の男が、その爪に貫かれ絶命する。ディアボロスの腕は鎖と杭で拘束されるが、そこから膨大な魔力が漏れ出していた。


「高度なアーティファクトによって教団はディアボロスの左腕を封じることに成功した。しかし封印は完全ではなく、やがて歪みが生じ聖域となる。ま、それはまた別の話ね。教団の目的はディアボロス細胞の驚異的な生命力だった」


 封じられた左腕から白衣の男が血を抜き肉を削ぐ。


 抜かれた血も、削がれた肉も、暫く経てば再生した。


「教団はディアボロスの左腕の研究によって、人間を強化する薬品を開発する。それは副作用もあったが、今までと違って男性でも使用できるものだった」


 アルファが懐から錠剤を取り出し爪で弾く。


 弧を描いて落ちた錠剤は、地を転がりネルソンの靴に当たって止まった。それはアレクシアも見たことのある、赤い錠剤だった。


「これが教団を支える力となるのだが、教団の真の力の源は違った。教団はディアボロスの肉体を封印し、長い月日をかけて研究しその薬を作り出した」


 場面が変わった。


 そこは白い研究室だった。白衣の男たちが机を取り囲み、それが完成する時を待っていた。


 そして小さな器に一滴、何かが落ちた。


「赤く輝くその液体は、まるでディアボロスの血のようだったという」


 それは美しく輝き、鮮やかな赤を放つ、血のような液体だった。


 男たちが喜び、歓声を上げ、代表の男がそれを舐める。


「その液体を舐めれば莫大な力と……不老の肉体を得る。やはり我々の仮説は正しかったようね」


 アルファの視線はネルソンの方を向いていた。ネルソンは顔を隠すように俯き沈黙している。


「さて、そこにいる白衣の男と」


 アルファはそう言って、集団の端の白衣の男を指さす。


「ここにいるネルソン大司教代理はよく似ていると思わない?」


「……ッ!」


 アレクシアは慌ててネルソンの顔を見た。


 アルファの言う通り、ネルソンの顔と白衣の男の顔はそっくりだ。それは似ているという段階を通り越し、本人としか思えないほどだった。


「この素晴らしいお薬は何て名前なのかしら」


「……『ディアボロスの雫』だ」


 ネルソンが呟いた。


「ありがとう。でもこの『ディアボロスの雫』は完全ではなかった。二つの大きな欠陥を抱えていた」


 欠陥の一つはアレクシアも気づいていた。現在のネルソンはハゲだ。しかし過去のネルソンは……。


「過去のネルソン大司教代理は髪がある。不老は完全ではなかったみたいね」


 アレクシアが笑った。


「違うわ」


 アルファが否定した。


「髪が抜けたのはストレスだ」


 ネルソンが断言した。


「ごめんなさい」


 アレクシアが謝罪した。


「二つの欠陥の一つ、それは『ディアボロスの雫』を定期的に摂取しないと効果を失うということ。違う?」


「一年に一度だな」


「でしょうね。そして二つ目の欠陥は『ディアボロスの雫』は一度にごく少量しか生産できないということ」


「ああ、その通り。一年で12滴だ」


「12滴ね。そういえばナイツ・オブ・ラウンズの数も確か12人だったわね」


「フッ……」


 ネルソンが俯いたまま嗤った。


「教団には隔絶した力を持つナイツ・オブ・ラウンズと呼ばれる12人の騎士がいる。教団は誰もがラウンズを目指し、その力と永遠の命を求める。そうよね」


 ネルソンはクツクツと喉の奥で嗤う


「教団は『ディアボロスの雫』を完全なものとするための研究に力を入れている。そしてその鍵は封印されしディアボロスの身体と、英雄の血を色濃く受け継いだ子孫にある。私のような、オリヴィエの血を色濃く受け継いだ子孫がね」


「いかにも。私がナイツ・オブ・ラウンズの第11席『強欲』のネルソンだ」


 顔を上げたネルソンの瞳が赤く輝いた。


 膨大な魔力が渦巻くのを感じ、アレクシアが身構える。


 その瞬間、ネルソンの心臓を漆黒の刀が貫いた。ネルソンを拘束している女が、一瞬にしてその命を刈り取ったのだ。


 力を失くしたネルソンの身体が崩れ落ちる。


「アルファさますいません。でもデルタは、こいつ狩った方がいいと思ったのです」


 その声はどこか気の抜けた感じだった。


「デルタ……」


「デルタは狩りが得意なのです。この前も山でイノシシを……」


「黙りなさい」


 しまった、と周りを見回してデルタは口を押さえた。


「もう遅いわね。それと、獲物をよく見なさい」


 死んだネルソンの死体が割れていく。死体の端から崩れ、虚空に消えていく。


 それは人の死に方ではなかった。


 まるで、鏡が割れていくようなその様は……。


「来るわよ」


 アルファの警告と、デルタの反応は同時だった。


 大剣がデルタを両断する直前、デルタは地に伏せ躱す。


 凄まじい風圧がアレクシアまで届き、地に伏せたデルタが獣のように飛び掛かる。


 デルタの牙と、大剣が交差した。


「獣か……」


「デルタは狩りが得意なのです」


 ネルソンが呟き、デルタが獣のように嗤う。


 デルタの犬歯は血に染まり、ネルソンの頬は裂けていた。しかしネルソンは気にした風でもなく、頬の血を拭う。その傷は既に癒えていた。


 デルタが漆黒の刀を長く伸ばし、身を低く屈めて獣のような臨戦態勢をとる。


 その時。


「デルタ、待て」


 アルファの声にデルタがビクッと震えた。


「耳が出ているわ」


「あッ……!」


 デルタの獣耳がボディスーツの隙間から飛び出ていた。ついでに顔の下半分も見えていた。


 慌ててデルタが隠すと、今度は白いお尻が丸見えになり、上向きの尻尾がフサフサと揺れていた。


「獣人……」


 ローズが呟いた。


「あれ、あの、アルファさま、なんだか魔力が吸い取られるような気がするのです」


「聖域の中心に近づいているのだよ」


 デルタの疑問にネルソンが応える。


「聖域は我らの領域だ。聖域に近づくほど、貴様らは力を失う」


 ネルソンの声がブレていた。いつの間にかネルソンの姿が二つになり、かと思えば一つに戻る。


「もう少し近づいて仕掛けたかったが……このあたりでも十分だろう。改めて自己紹介といこうか」


 ネルソンは人の身長ほどもある大剣を軽く肩に担いだまま軽く頭を下げた。


「ナイツ・オブ・ラウンズの第11席『強欲』のネルソンだ。教団に牙を向けたこと、その身で悔いるがいい」


 その顔に聖職者の面影はない。それは獰猛なの戦士の顔だった。

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