第101話 噂のシャドウガーデン
ガン、ガン、ガン、と何かを叩くような音が聞こえて、ベータは読んでいた本から視線を上げた。
広い書庫の中を見渡すと壁の一部が音と一緒に振動していた。
誰かが外から壁を叩いている?
そう思った瞬間、壁が突然崩れてそこから土砂と二人の女性が落ちてきた。
「いだッ!?」
「ぁう」
黒髪の少女がベチャッと床で顔面を打ち、その上に赤髪の女性がのしかかった。
「いった~。案外もろい壁だったわね」
鼻を押さえて頭を上げる黒髪の少女の顔にベータは見覚えがあった。彼女はベータの主の姉、クレア・カゲノーだ。
「だからもう少し慎重にって言ったのに……」
赤髪の美しい女性が無表情で言う。
「ちんたらしてたら間に合わないでしょ。ちょっとミリア、そろそろどいてくれる?」
「ぁ、ごめんクレア」
赤髪の女性がクレアの上からどいて、二人は立ち上がり互いに服の土を払う。
「ところでここはどこかしら」
「『紅の塔』の地下のはずだけど……」
「ここは『紅の塔』の地下書庫よ」
二人の疑問に答えたのはベータだった。
その時ようやく、二人は椅子に座る彼女に気づいた。
「……早速バレたみたい」
「だから慎重にって言ったのに……」
「ごめんって。でもこの様子じゃどちらにせよバレてたわ」
二人は同時に剣を抜いて、書庫の椅子に座るベータと対峙する。
ベータは溜め息を吐いて本を閉じた。
「まさか……壁から人が出てくるなんて思わなかったわ。目撃者は始末しなきゃダメなんだけど……」
チラリとクレアを見て呟くベータ。
「ちょっと始末は無理かなぁ。あなた達も手を出さないで」
そしてベータはこっそり指示を出した。しかし、見る限りここにはこの三人しかいない。
「こちらに戦う意志はないわ。剣を納めてくれませんか、クレアさん」
「……ッ! 私を知っているの?」
「武神祭の優勝者、クレア・カゲノーさんよね」
「私もなかなか有名になったものね。いいわ、あなたが何者で何が目的か教えて。敵じゃないと分かればこちらも引くわ」
「ちょっとクレア」
「余計な戦闘している暇はないでしょ。見た感じ『血の女王』の関係者にも見えないし、それに……かなり難しい相手よ」
クレアは視線を鋭くして言った。
何気なく座っているベータだったが、簡単に斬り込めない空気がそこにはあった。
「そうみたいね」
黒いボディスーツに身を包み仮面で顔を隠したベータは、確かに『血の女王』の関係者には見えない。どちらかと言えばクレアと同じ侵入者だ。
「私が何者で、何が目的か……。そうね、あなた達と同じで『紅の塔』に侵入した側よ」
「もっと詳しく」
「少し長くなるけど」
「詳細かつ簡潔に述べよ」
「あら難題ね」
ベータは肩を竦めた。
「私はシャドウガーデンのベータ。少し用があって『紅の塔』にお邪魔しているの」
「へぇ。噂のシャドウガーデンがなぜこんなところに?」
「さて……どこまで話そうかしら。私にも話なせることと話せないことがあるのよ。そうね……我々は訳あって悪魔憑きの研究をしているのだけど、始祖の血のサンプルが欲しいのよ」
「悪魔憑きッ……!?」
「なぜ、始祖の血が必要なの……」
クレアは悪魔憑きに反応し、ミリアは始祖の血に反応した。
「悪魔憑きの血と始祖の血は元は同じで、血が受け継がれる過程で症状が変異していったのかもしれない。研究の中でそんな仮説が生まれたのよ」
「それは始祖に対する冒涜です……」
ミリアの目が厳しくなり、構えた剣に力が入る。
「あくまで仮説。我々に始祖を冒涜する気はないわ。ただ検証のために始祖の血のサンプルが必要なのよ。一つ疑問なのだけど、なぜあなたが怒るのかしら。『最古のヴァンパイアハンター』さん」
「――ッ!? 私を知っているのね……」
「噂は聞いているわ」
「そう……邪魔をしないのであれば、好きにすればいい」
「そうさせてもらうわ」
ミリアはベータを睨んだまま剣を納め、ベータは肩を竦めて読みかけの本を開いた。
「さすが長き時を生きる吸血鬼の書庫。貴重な資料ばかりね。それで、クレアさんも納得して頂けたかしら?」
本を読みながらベータは問いかける。
クレアは何かを考えるかのようにミリアとベータを交互に見た。
「一つだけ教えて」
クレアは真剣な顔でベータを真っすぐ見つめた。
「答えられることなら」
ベータもその視線を感じ顔を上げた。
「悪魔憑きを治す方法はあるの?」
ベータはすぐには答えなかった。
クレアの顔をじっと見つめて、しばらく何かを考えていた。
「それは……私には答えられないわ。ただ、クレアさんが心配する必要はないとだけ言っておきます」
「どういう意味よ」
「そのままの意味です」
ベータはもう話すことは無いとばかりに本のページを捲った。
クレアは小さく舌打ちして踵を返す。
「行きましょう」
しかし、書庫を出ようとする二人をベータが呼び止めた。
「待って。クレアさん、あなたが『最古のヴァンパイアハンター』と組んで『紅の塔』に来た理由を聞いてもいいかしら」
「聞いてどうするの」
「少し気になっただけです」
クレアは眉を顰めて言う。
「弟のシドが『血の女王』に攫われたのよ。早くしないと『血の女王』の贄にされてしまう」
「弟さんが……?」
ベータは首を傾げた。
「それは本当ですか!?」
そして、三人しかいないはずの書庫に四人目の声が響いた。
声の方を見るといつの間にかそこに一人の女性が立っていた。彼女も黒いボディスーツに身を包み、顔は仮面で隠している。
「666番、控えなさい」
「ですがッ……すみません……」
666番はまるで今にも駆けだしそうな感情を抑えるかのように俯き後ろに下がる。
「もういい? いくわよ」
クレアが書庫の扉に手をかけた。
「最後に一つだけ。彼女に……もう一度安息の地を目指す道は無いの……?」
「どういう意味?」
クレアが振り返る。
しかしベータはクレアを見ていなかった。ベータはじっと、ミリアだけを見つめていた。
「あ、ちょっと」
ミリアは顔を背け、何も言わずに扉を開けて書庫を出ていった。クレアも慌てて後を追う。
静かになった図書室に、しばらく本を捲る音だけが響く。
「666番、失態ね……」
本を読みながら、ベータは言う。
「申し訳ありません……」
666番は頭を下げた。
「ラムダもあなたの実力は認めていた。アルファ様もあなたには期待している。これは減点よ。あなたたちもちゃんとフォローしなさい」
「すみませんでした」
「ごめんなさい」
666番の横に二人の少女が現れた。
「666番は今回が初めての実戦訓練よ。664番、分隊長のあなたの責任でもあるわ」
「はい……」
「以後気を付けるように。確認するけれど、我々の任務は研究室からの依頼で始祖の血のサンプルを回収することよ。ただ『血の女王』はシャドウ様が片付けるとおっしゃられたから、我々が勝手に動くわけにはいかないわ。というわけでシャドウ様が来るまでは、書庫での資料調査と重要書類の回収。はい、作業に戻って」
「はい」
指示された三人は速やかに作業を再開する。
666番は一度だけ振り返ってベータを見た。彼女の記憶の中には、ベータとよく似た作家がいた。
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