第18話 舞台の下から眺めてろ
いったい何が起きているというの。
アイリスは赤い髪をなびかせながら深夜の王都を疾走する。
建物が斬れた、と。最初の報告は耳を疑うものだった。しかし半信半疑で現場へと向かうアイリスの下に、次々と続報が届く。
王都で大規模な同時襲撃事件が起きている。
その結論へとたどり着くのに時間はかからなかった。だが襲撃先に統一性がまるでない。商会、倉庫、飲食店、貴族の私邸……。計画性のある犯行でまず間違いないだろうが、その目的が見えてこない。
しかし事実として、王都は揺れていた。
騎士団には緊急出動がかかり、要人の避難もはじまっている。市民は深夜にもかかわらず窓から様子を窺い、野次馬に向かう者も少なくない。
アイリスは出歩く市民に家に戻るよう叫びながら、現場へと急ぐ。
何かが起きている。
間違いなくこれは、普通の事件ではない。
アイリスの直感がそう告げていた。
と、その時。
アイリスの耳に悲鳴が届いた。
「ば、化物だッ!! 応援を……!!」
騎士団の声だ。そう遠くない。
アイリスは方向転換し、悲鳴の下へと駆けつける。
角を曲がり、路地裏を進み、大通りに出るとそこに化物がいた。
醜悪な巨体の化物だ。
それは肥大した血塗れの右爪を振り回し、騎士達を肉塊に変える。
「何よこれ」
呟きながらも、アイリスは動いていた。
「離れなさいッ!」
流れるような抜刀、そして闇夜に白刃が煌めき、化物の胴を通り抜けた。
両断。
化け物の巨体をたった一太刀で両断した。
「怪我はない?」
アイリスは倒れゆく化物を後目に、騎士団へと声をかける。
「アイリス様だ、助かった……!」
「流石アイリス様だ! あの化物が一太刀だ!」
彼らの身体は無傷だった。ここにいる生きている騎士は皆、ほぼ無傷だった。
そう、生きている騎士は。
「8人殺られました」
死者はいずれも一撃。
その凄惨な遺体に、ワインレッドの瞳が悲しみで揺れた。
「あなたたちは遺体を回収し下がりなさい。隊長に報告を……」
「アイリス様ッ!」
突然、騎士の1人が叫んだ。
アイリスの後ろを指差しながら、他の者達も声にならない叫びを上げた。
「何ッ……!」
アイリスは後方に振り返りながら、咄嗟に剣を振る。
アイリスの剣と、化物の右腕が衝突した。
「くッ……!」
アイリスは一瞬力負けしそうになりながら、即座に膨大な魔力を解放し、その豪腕を見事に受け止めた。
そしてそのまま化物の懐へと潜り込むと、今度はその脚を切り裂き、化物の反撃を先読みして間合いを外す。
直後、化物の右腕がアイリスのいた空間を凪払い、彼女の長い赤髪を数本巻き込んだ。
「再生している……?」
彼女が先程両断した傷は既に無く、たった今つけた脚の傷も再生をはじめていた。
「バカな……アイリス様に両断されて再生するなどと……」
「嘘だろ……」
「下がりなさい」
動揺する騎士達にアイリスは声をかけ、化物の追撃を受け止めた。
その一撃は、速さもある、力もある、重さもある。
だが単調。
「所詮は化物」
アイリスの反撃は容赦が無かった。
腕を切り刻み、脚を落とし、首を飛ばす。
再生できるならやってみろと、そう言わんばかりの連撃を浴びせた。
反撃など許さない。ただ一方的に切り刻んだ。
しかし、それでも。
「まだ再生するというの」
化物は生きていた。
アイリスの連撃が一瞬止まった隙に体勢を立て直し、右腕を振り回してアイリスを追い払った。
そして。
夜空に甲高い咆哮を放った。
それに応えるかのように、月の隠れた空から雨が降り出す。
最初はポツリ、ポツリと。次第に勢いを増し、化物の血に当たると白い煙を上げていく。
「少し時間がかかりそうね……」
アイリスは早期決着を諦めて、腰を据えて戦う道を選んだ。
負けるとは思わない。未だかつて、アイリスは自身が負けると思ったことは一度もない。
が、相応に時間はかかるだろう。
アイリスは剣を構え、再生を終えた化物へ疾走する。
直後。
甲高い音と共にアイリスの剣が弾かれる。
凄まじい衝撃に、アイリスの腕が痺れた。
遠く、後方へ、回りながら飛んでいく愛剣を後目に、アイリスは突然の乱入者を睨む。
乱入者もまたアイリスを一瞥する。
両者の視線がぶつかり、先に沈黙を破ったのは乱入者だった。
「それが、苦しめるだけだと何故わからない」
それは漆黒のボディスーツを身に纏った女だった。顔は隠れて見えないが、声はまだ若い。
「何者だ」
アイリスは油断なく、漆黒の女性と化物の両方を視界に入れながら問う。
「アルファ」
女性は一言そう言って、もう興味は失せたとばかりにアイリスに背を向けた。
「待て、いったい何のつもりだ。騎士団に敵対するのであれば容赦は……」
「敵対……?」
アルファはアイリスの言葉を遮って、背中を向けたまま笑った。
クツクツと、嘲るように。
「何がおかしい」
「敵対……これほど滑稽な言葉があるかしら。何も知らない愚者が敵対などとおこがましい」
「何だと……!」
アイリスの魔力が膨れ上がった。その莫大な魔力は波となって広がり、雨をかき消し風を起こした。
だが、そんなアイリスに、アルファは一瞥すらしなかった。変わらず背中を向けたまま、
「観客は観客らしく舞台を眺めていればいい。我々の邪魔をするな」
ただそう言い残して、化け物へと歩く。
その後ろ姿には気負いも何もなく、もうアイリスの事など眼中に無かった。
「観客だと……」
アイリスはその後ろ姿を、未だに痺れる掌を握り締め睨む。
「かわいそうに。痛かったでしょう」
アルファはただ歩きながら、化物へと語りかけた。
「もう苦しむことはない。悲しむこともない」
漆黒の刀が伸びた。アルファの背丈を超えるほど、長く。
「だから、もう泣かないで」
そして、ただ自然に一歩踏み込み化物の身体を両断した。
誰も、反応できなかった。
アイリスも、化物も、反応すら出来ずに斬られるのを見ていた。
あまりに自然だった。殺気も何もなく、ただ斬られるのが当然の結果としてそこにあった。
化物の巨体が倒れた。それは白い煙を上げながら萎んでゆき、少女ほどの大きさにまで小さくなった。そして、その左腕から短剣がこぼれ落ちる。
それは赤い宝石の入った短剣。
『最愛の娘ミリアへ』
柄にはそう刻まれていた。
「願わくば……来世では安らかな生を」
アルファはそう言って、白い煙の中へと消えた。
遠くの方で雷の音がした。
アイリスは呆然と立ち尽くしていた。降り注ぐ雨が髪を伝い顔を流れていく。
身体が震えていた。
この震えの意味を、アイリスは知らなかった。
「アレクシア……」
アイリスは呟いた。この騒動の中心に、妹がいる。そんな予感がアイリスを動かした。
「アレクシア、無事でいて……」
アイリスは剣を拾って走り出す。
雨は強く降り続いていた。
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