第29話 モブにはモブがわかる


「何かしら、これ」


 研究室で一人の少女が首を傾げていた。


 桃色の髪の美しい少女だ。彼女がすずしげな瞳で見つめるのは、箱に並んだ茶色い物体。


 何やら甘い匂いのするそれを手にとってみるも、正体はわからない。


 確かこれを渡した少年は『ちょこ』と言っていた。


「シェリー、どうしたんだい?」


 彼女に背後から声をかけたのは初老の男性。


 白髪混じりの髪をオールバックにしている。


「ルスラン副学園長……」


「二人の時は父と呼ぶ約束だよ」


「お義父様」


 シェリーは困ったように笑った。


「それで、そのチョコレートはどうしたんだい」


「チョコレート? これは魔剣士学園の男の子から貰ったんです」


「ほう」


 ルスランは口髭を触った。


「それは最近女性に噂の高級菓子だよ。きっと、君へのプレゼントだね」


「えっ? でも、知らない人でした」


「一目惚れ、というやつさ。それは朝から並んでも手に入らない幻の最高級チョコだよ。君のために無理をしたのだろう」


「一目惚れ……」


 シェリーは少し頬を染めて呟く。


「返事はどうするんだい?」


「返事……?」


「きっと彼は君の答えを待っているよ」


「で、でも、私は……」


 シェリーは真っ赤になって目を泳がせた。


「研究だけじゃなく、人との付き合い方も学んだ方がいい。学園とはそういう場所だ」


「……はい」


 俯くシェリーに、ルスランは優しく微笑んだ。


「それで、アーティファクトの件は順調かい?」


「まだ、はじまったばかりです」


 シェリーは少し赤い頬のまま困ったように微笑んだ。


「それもそうだね」


「ただ、一つわかったことがあります。あのアーティファクトには特徴的な暗号が使われているのです」


「特徴的な暗号?」


 シェリーはルスランの前に資料を広げた。


「おそらく、古代の国か組織で使われていたものです。そして……母が研究していた暗号とも酷似します」


「そうか、ルクレイアの……彼女もまた優秀な研究者だった」


 ルスランは昔を思い出すかのように目を閉じた。


「母が死の直前に研究していたこの暗号の意味を、私は知りたい」


 資料を見据える彼女の横顔は、研ぎ澄まされた研究者のものだった。


「いい依頼を受けたね」


「はい」


 ルスランに頭を撫でられて、シェリーははにかんだ。


「それで、アーティファクトは今どこに?」


「それなら別室で騎士の方が守っています」


「手に取らなくてもいいのかい?」


「必要な時だけ。一人で考えるのも大切ですし、騎士の方の前だと緊張しますので」


「そうかい。ゲホッ、ゴホッ、し、失礼……」


 ルスランは顔を背けて咳をした。


「お義父様! 大丈夫ですか?」


 シェリーは慌ててルスランの背をさする。


 ルスランの体は細く、頬は痩けていた。


「だ、大丈夫、大丈夫だよ」


 ルスランは荒い息を整えた。


「最近は調子が良かったのだけどね。病とは、難しいものだ」


「お義父様……」


「そう心配しないでくれ。そんなことよりも、また学術都市から留学の話が来ているよ」


「学術都市ラワガス……」


「世界最高の頭脳が、君の研究を認めてくれているんだ。ラワガスに行けば君はもっと成長できる。とてもいい話だよ」


 シェリーは首を振った。


「病気のお義父様を放って行くなんてできません」


「シェリー、私の事は心配しなくていいんだ」


「母が死んで、お義父様が私を養子に迎えてくれなかったら私はきっと死んでいました。私は……私を救ってくれたお義父様をお助けしたいのです」


 シェリーは潤んだ瞳で訴える。


「シェリー……私はいい娘を持った」


 ルスランは優しく微笑んだ。


「研究がんばりなさい。それと、チョコレートも食べてあげなさい」


「……はい」


 ルスランは研究室を後にした。


 残されたシェリーは頬を染めてチョコを口に入れる。


「甘い……おいしい」


 そして、二つ目に手を伸ばした。


 


  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ヒョロもジャガもアレクシアもいない平和な一日を過ごした僕は、一人帰り道を歩く。


 夕日に染まった庭園を抜けて学生の数が減ると、ふいに女生徒が近づいて来た。


 学術学園二年生の制服、ダークブラウンの髪を団子にまとめて、同色の瞳に野暮ったいメガネをかけている。


 だがモブ歴の長い僕にはわかる。


 これはモブのふりをした目立たないタイプの美人だ。


「ねぇ君、少し話せる?」


 その声に聞き覚えがあった。


「ニューか」


 僕が小声で言うと、ニューはうなずいた。


 上品な大人のお姉さんが、メガネと化粧と髪型で変わるものだ。


 僕らはそのまま小声で話す。


「学園に通うの?」


「いえ、借り物です。制服を着ていれば目立たないので」


「なるほど」


 知っている顔より知らない顔の方が多い学園だ。制服さえ着ていればそうそう見咎められることはないだろう。


「どこで話す?」


「ではあちらのベンチで」


 美しい庭園を一望できるベンチのそばには人気がない。


 少し夕日がまぶしいそこに、僕らは二人で座った。

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