第30話 〇〇野郎


 学園の庭園を見下ろして、ニューは眼鏡の奥の目を細めた。 


 本来なら彼女はここの二年生として通っているはずだった。悪魔憑きとして捨てられるその日まで、平和で順調な未来があると信じて疑わなかった。


 結局、全ては幻想だったのだ。


 家族も、友達も、平和も、ニューが信じて疑わなかった当たり前は、薄い薄い氷の上に築かれた塔にあって、彼女は氷の下に何があるかなんて知らずにはしゃぐ子供だった。


 羨望と憐情の混じりあった瞳で、彼女は庭園を行く学生たちを眺めた。


 その中には見知った顔もある。


 ニューは侯爵家の令嬢で、社交界では顔が広かった。


 煌びやかな日々を送っていた。


 それも今は昔。


 彼女は侯爵家の歴史から抹消され、いなかったモノになった。


 かつて親しくした友人たちの中に、ニューのことを覚えている人はどれだけいるのだろう。


 そういえばあんな子いたね、と。


 親しみよりも侮蔑を込めて噂されるぐらいだろう。悪魔憑きとはそういうものだ。


 シャドウに会うためだけに、わざわざ日中の学園に訪れる必要なんてない。


 ただ、ほんの僅かな希望を捨てきれなかったのだ。


 この平和な学園の片隅に、まだ彼女の居場所が残っている。そんな愚かな夢を見たかったのだ。


 ニューは笑った。


 世界の表に居場所がなくとも、彼女には同じ志を持つ仲間たちがいる。


 そして……隣には敬愛する主がいる。


 彼はたった一人で戦いを始めた。


 そして最後の一人になっても戦い続けるのだろう。


 彼の存在がシャドウガーデンを支えているのだ。


 人は誰もが弱いから、絶対の存在に縋りたくなる。


 世界にとっての絶対が神ならば、シャドウガーデンにとっての絶対が彼なのだ。


 でも、神よりずっといい。


 目を開けばそこにいて、手を伸ばせば触れるのだから。


「ん、どうした?」


「ゴミがついています」


 ニューは彼の肩に付いた糸くずをとった。


 そのまま彼の横顔を見つめて話す。


「ガンマ様にはナイショにして下さい。日中の学園に潜入したなんて知られたら怒られてしまいます」


「わかった。でも驚いた、化粧で変わるんだね」


「顔の造りが薄くて印象を変えやすいんです。それと昔取った杵柄といいますか、化粧が得意なので」


「へぇ、じゃあこのミツゴシ商会での姿も?」 


「はい、実年齢より上に見せています」


「そっか、ちなみに何歳?」


「秘密です」


 ニューは艶やかに微笑んだ。


「昨日の黒ずくめの男について報告いたします」


「ふむ」


「黒ずくめの男を尋問いたしましたが、情報は引き出せませんでした。強い洗脳によって既に精神が壊れていました。その他の特徴からも、黒ずくめの男はディアボロス教団のチルドレン3rdであると思われます」


「ふむ?」


 ディアボロス・チルドレン。


 ディアボロス教団は孤児や貧しい平民の子から、僅かでも魔力適性が見つかれば攫い専門の施設で育てるのだ。そこでは厳しい訓練と洗脳教育、そして薬剤投与が繰り返され、生きて施設を卒業する者は一割に満たないといわれている。チルドレン3rdとは、その中でも出来損ないと呼ばれ、捨て駒として使い捨てられる存在だ。精神が壊れているため情報が漏れることもなく、しかし戦闘力はそこらの騎士を遥かにしのぐ。


 2ndになるとその精神は安定し、数少ない1stになると世界有数の実力を持つという。


 当然、ニューはこの程度の知識を彼に説明するまでもないだろうと省く。


「一連の事件の裏に教団の影があるのは明らかです。そしてその目的は我らを誘い出すことであると想像できます」


「ふむ」


「しかし目的はそれだけではありません。先日、王都でネームドのチルドレン1stが確認されました。確認されたのはチルドレン1st『叛逆遊戯』のレックスです。彼らは何らかの目的をもって集結していると思われますが、レックスを見失い現在調査中です」


「ふむ?」


 ネームド・チルドレン。


 ディアボロス・チルドレンの中でも特に組織の貢献した者に与えられる名前。ほとんどのネームドが1stだが、ごく稀に2ndでネームドとなった者もいる。


 さらに、ネームドからナイツオブラウンズにまで上り詰めた者もおり、組織の中ではネームドがラウンズへの登竜門とも言われている。


 そして。


 元チルドレン1stのネームドが、シャドウガーデンにいる。


 これらの情報もすべて彼女から提供されたものだ。


 当然、ニューはこの程度のことを彼に説明するまでもないと省く。


「お気を付けください。教団は何か企んでいます。我々も調査を続け、何かわかったら報告に参ります」


「ふむ」


 夕日が地平線の向こうに落ちていく。


 残照が雲を茜に染める。


 少し汗ばんだ首筋を扇いで、ニューは立ち上がった。


 彼も隣で伸びをして立ち上がる。


 もしかしたらこうして、二人で恋人みたいにおしゃべりして学園生活を送る未来もあったのかもしれない。


 ニューは未練がましい自分に笑った。


 でも、今だけは。


「ほら君、女性をエスコートしなさい」


「エスコート? こんな感じ?」


 差し出された彼の左腕に、ニューは腕を絡めた。


 そのまま二人より添って歩き出す。


 きっと、こんな未来もあったはずだと、ニューは微笑んだ。


 遠くの方で男子生徒が何か叫んでいた。


『ウンコ野郎ーーーー!!』


 ニューは舌打ちした。


 雰囲気をぶち壊したその男子生徒の顔には見覚えがあった。かつて社交界でニューにしつこくアプローチしてきたゴミだ。後で必ず叩きのめすと決めた。


 隣の彼は、なぜか目を泳がせていた。


 ニューは彼の左腕をギュッと抱きしめた。

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