第19話 遠い記憶
「あ、あなた、どうしてここに……」
角を曲がったアレクシアの目前に、見知った顔が現れた。
「なぜって、ここは私の施設だからだよ。私があの男に投資した。それだけのことさ」
金髪に端正な顔立ち、自信に満ちあふれた笑み。ゼノン先生がそこにいた。
「よかった。私、あなたのこと頭おかしいんじゃないかってずっと思ってたのよ。やっぱりおかしかったのね」
アレクシアは一歩、二歩、後ろへ下がりながら言った。
ゼノンの背後に階段がある。おそらく、外への道。
「そうかな。どうでもいいさ。君の血があれば」
「どいつもこいつも血の話、吸血鬼の研究でもしているのかしら」
「君にとっては似たようなものかもしれないな」
「説明はいらないわ、オカルトに興味ないもの」
「だろうね」
「分かっていると思うけど、もうじき騎士団が来るわ。あなたもお終いよ」
「お終い? いったい私の何が終わるんだ」
変わらぬ笑みでゼノンが言った。
「地位も名誉も剥奪、当然処刑。ギロチンの刃は私が落としてあげる」
「そうはならないさ。私は君と隠し通路から脱出する」
「ロマンチックな誘いだけど、私あなたのこと大嫌いなの」
「来てもらうさ。君の血と、研究があれば私はラウンズの第12席に内定する。剣術指南役などというくだらない地位ともおさらばだ」
「ラウンズ? 狂人の集まりか何かかしら」
「教団の選び抜かれた12人の騎士ナイツ・オブ・ラウンズ。地位も名誉も富も、これまでとは比べ物にならないほど手に入る。私は既に実力を認められている。後必要なのは実績だけだが、それも君の血と研究成果で満たされる」
ゼノンは大仰に手を広げて笑う。
「どうでもいいけど、いい加減血の話はうんざり」
「本当はアイリス王女の方が良かったが、君で我慢するさ」
「ぶっ殺す」
「失礼、君は姉と比べられるのが嫌いだったね」
「……ッ!」
アレクシアの気迫の一撃が戦闘開始の合図となった。
それは一直線にゼノンの首へと迫るが、
「恐い恐い」
ゼノンは寸前で弾き返す。
そして後に続くアレクシアの追撃も受け止める。
2本の剣が衝突し、空中で何度も火花を散らす。
そのせめぎ合いは、宙で踊る2本の剣だけを見れば、互角と言っていい様相だった。
しかし、剣を操る2人の表情は対照的。
アレクシアは険しく、ゼノンは余裕の笑み。
果たして、嫌がったのはアレクシアだった。
彼女は小さく舌打ちして間合いを外す。
「しばらく見ないうちに、安物の剣を使うようになったね」
ゼノンの視線の先はアレクシアの剣。アレクシアもまた、苦い表情でそれを見ていた。戦いが始まって間もないと言うのに、アレクシアの剣には既に無数の刃こぼれが出来ていたのだ。
「達人は剣を選ばないって言うでしょ」
アレクシアは硬い表情で強がる。
「なるほど。達人ならそうだろうね」
ゼノンは嗤った。
「でも君は凡人だ。それは剣術指南役の私が保証するよ」
アレクシアの顔が目に見えて歪んだ。
一瞬、泣き出しそうに、そしてそれをかき消すかのような怒りに。
「だったら見てなさい。本当に私が凡人かどうか」
そして、気迫と共に仕掛けた。
アレクシアは知っていた。自身の実力では普通に戦ってもゼノンには勝てないということを。しかも今回の得物は安物の剣、そう長くは保たない。
だが、アレクシアは日々漠然と剣を振ってきたわけではない。姉を目標に自分に足りないものを理解し、それを埋める努力をしてきた。そして誰よりも姉の剣を間近に見てきた。
アレクシアは既に姉の剣を寸分の狂い無く思い描く事が出来るまでになっていた。
ならば、それを振るのは容易い。
「ハアアァァァッァ!!」
その一刀は、まさしくアイリス王女を彷彿させた。
「ッ……!」
ゼノンの顔から初めて笑みが消えた。
受け止める剣にも魔力が籠もる。
二つの剣は激しくぶつかり、そして互いに弾けた。
互角……いや。
僅かにアレクシアか。
ゼノンの頬に一筋の赤い線が刻まれていた。
ゼノンは驚愕の表情で頬を拭い、血を確かめた。
「驚いた」
それは何の含みもない言葉だった。
「こんなものを隠しているとは思わなかったよ」
ゼノンは血の色を確かめるかのように、角度を変えて掌を眺める。
「私を侮ったこと後悔させてあげるわ」
「ククッ」
しかしゼノンは笑った。
「驚いたのは確かだが、所詮は猿真似。本物には遠く及ばない」
ゼノンは首を振る。
「言ってくれるじゃない」
「せっかくだから、少し本気を出そうか」
そう言って、ゼノンは剣を構える。
「……ッ!」
空気が変わった。
ゼノンの纏う魔力が、より鋭く濃密に質を変えた。
「一つ言っておこう。私は今まで一度も部外者の前で本気を出したことはない。これから見せる剣こそが、正真正銘の私の剣であり、次期ラウンズの剣だ」
そして、大気が震えた。
「そんな……」
格が違う。
ゼノンの剣はまさしく、アレクシアが今まで見たこともない威力を秘めた一撃だった。
天才と凡人の、絶望的なまでの差がそこにはあった。
それは、あるいは彼女の姉にすら匹敵しているのかもしれない。
圧倒的な剣圧で迫るその刃を、アレクシアは防ぐ術を持たなかった。
ただ、長年の修練で染み付いた反射的な動きだけで受けた。
衝撃は無かった。
剣と剣がぶつかり、ただ砕けた。
アレクシアの剣が一方的に砕け、粉々に舞い散った。
キラキラと輝くそのミスリル片を、アレクシアはどこか遠くの方から見ているような気がした。
どこか遠く。
剣を振るのが楽しくて仕方がなかった幼い頃の遠い記憶が、アレクシアの脳裏に蘇った。
アレクシアの隣にはいつも姉が居た。
それは、ずっと昔に忘れたはずの遠い記憶。
「君は姉のようにはなれない」
アレクシアの瞳から一筋の涙が零れた。
「一緒に来てもらうよ」
その手から柄だけになった剣が落ちた。
乾いた音がした。
その時。
カツ、カツ、と。
ゼノンの背後の階段から音が響いた。
カツ、カツ、カツ、と。
誰かが階段を降りてくる。
カツ、カツ、カツ、カツ。
そして、音が止まったそこに……。
漆黒のロングコートを纏った男がいた。
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