第16話 シャドウ様戦記完全版執筆中!!
「時が満ちた……今宵は陰の世界……」
それが、シャドウの下に訪れたベータを迎えた言葉だった。
シャドウはベータに背を向けたまま足を組み椅子に座っている。
無防備な背中、だがその背中が何よりも遠いことをベータは知っている。
その手にはワイングラスがアンティークランプに照らされて輝いている。そして何気なく呑んでいるワインの銘柄は、酒に疎いベータにでも知っている一流のものだった。
部屋を彩る一級品の数々、そして壁に掛かった絵画を見つけてベータは驚愕した。
幻の名画『モンクの叫び』だ。
いくら財を積んでも決して手には入らないまさに幻の一品だ。
一体どうやって手に入れたのか、ベータは思わず尋ねそうになるが、そんな事に意味はないと気づく。
彼だから手に入れられたのだ。
その一言で全ての説明が付いてしまう。
彼が『モンクの叫び』を所持していることはただ当然の結果なのだ。むしろ彼以外に相応しい主など、世界中どこを探しても見つからないだろう。
「陰の世界。月の隠れた今宵は正に我等に相応しい世界ですね」
ベータは言った。
シャドウはベータを一瞥し、ただグラスに口を付ける。
「準備が整いました」
「そうか」
何もかも知っている。そう錯覚してしまうほど、見透かした声。
いや、事実これから語るベータの言葉は、ほぼすべて見透かされているのだろう。
それでもベータは続けた。それが、彼女の使命だから。
「アルファ様の命により近場の動かせる人員は全て王都に集結させました。その数114名」
「114名?」
「ッ……!」
少なかっただろうか?
シャドウガーデンの戦闘力を考えれば、むしろ十分に思える。
が、しかし。
ベータは思い違いに気づく。
114名の有象無象など所詮は脇役なのだ。事実、適応者は全体の一割にも満たない。今宵の主役は彼だ。主役を彩る脇役として考えた時、114という数は余りにも、余りにも少なすぎる。
「も、申し訳……!」
「エキストラでも雇ったのかな……?」
ベータの言葉を遮って彼は言った。エキストラ、その単語の意味がベータには分からない。
「いや、何でもない、こちらの話だ」
「はい」
ベータはそれ以上問わない。彼の言葉にはすべて、ベータでは想像すら出来ないほど深い理由があり、ベータにはそれを聞く権利も実力もないのだ。
でも、それでも。
いつかその隣に立ち、その全てを支えたいと思う気持ちをベータは抑えきれないでいた。
いつか、その日の為に。
ベータは胸の内を隠して言葉を続けた。
「作戦は王都に点在するディアボロス教団フェンリル派アジトの同時襲撃です。襲撃と同時にアレクシア王女の魔力痕跡を調査、居場所を突き止め次第確保に切り替えます」
シャドウはただ頷き、先を促した。
「作戦の全体指揮はガンマが、現場指揮はアルファ様が取り私はその補佐を。イプシロンは後方支援を担当、デルタが先陣を切り作戦開始の合図とします。部隊ごとの構成は……」
ベータが詳細を語るのを、シャドウは片手を上げて制した。
彼のその手には一枚の手紙。
「招待状だ」
投げられたその手紙を受け取ったベータは、促されるままに中を読む。
「これは……」
そこに書かれた余りに拙い誘いに、ベータは呆れと同時に怒りを抱いた。
「デルタには悪いが……プレリュードは僕が奏でよう」
「はい、そのように手配を」
「付いてこいベータ」
彼はそう言って振り返る。
「今宵、世界は我等を知る……」
ベータは共に戦える歓喜に震えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
招待状に書かれていた場所は林道の奥だった。アレクシア王女が誘拐された現場に近いその場所に、シャドウは学生服姿で現れた。
ベータは彼から少し離れて林の中に気配を消し潜む。
しばらくして、新たに二つの気配が近づいてきた。
そして、何かがシャドウに飛来する。
片手で受け止めたシャドウは、それを一瞥し呟く。
「これは……アレクシアの靴か」
と、その時。
林道から二人の男が姿を現した。
「よう、色男。アレクシア王女の靴なんて持ってどうしたんだ?」
「あーあ。バッチリ魔力痕跡残ってるな。犯人はお前だ、シド・カゲノー」
その二人の男は騎士団の装備に身を包んでいた。
それは間違い無く、シドを尋問した二人の騎士だった。
「なる程、そういうことか」
「ああ、そういうことだ」
シドの言葉に、騎士団の男は言い訳すらせずニヤついた。
「さっさと口を割れば、こんな面倒なことする必要も無かったのによぉ」
「お前も痛い思いをせずに済んだだろうに」
二人は剣を抜き、無遠慮にシドの間合いに詰め寄る。
愚かな……ベータは彼らの愚かさに言葉を失った。
「さて、シド・カゲノー。王女誘拐の容疑で逮捕する」
「抵抗するなよ、抵抗しても無駄だけどな」
一人が笑いながらシドに剣を突きつけた。
その瞬間。
「お?」
シドはその剣を二本の指で止めて、そのまま一閃。
シドの右足が、男の首を撫でた。
男の首から血が噴き出た。
シドの右足には漆黒の短剣が伸びている。
「あッ……あッ………ぁ……!!」
男は首を押さえて倒れる。直に死ぬだろう。
「てめぇ何しやがった!!」
もう一人の男が、慌ててシドに斬りかかる。
だがそれは余りに安易で、拙い。
シドはただ首を傾げてそれを避け、そのまま男の脚を払った。
男の膝から下が取れた。
「あああああああぁぁぁあッ!!」
血が噴き出る膝を押さえて、男が絶叫する。
「俺の、俺の脚ぃぃぃッ……!」
そして、這いずりながらシドから距離を取る。
「て、てめぇ、騎士団にこんな事をしてただで済むと思うなよ……! お、俺たちが死んだら真っ先に疑われるのはてめぇだ!」
シドは、ただゆっくりと血の道を歩きながら男に迫る。
「ひ、ひぃッ……! て、てめぇはもう終わりだ……! 終わりだ……!」
ただ必死で、無様に男は地を這う。
「夜が明ければ……二人の騎士の死体が見つかる」
「そ、そうだ、夜が明ければてめぇは終わりだッ……!」
男は地を這い、シドは血の跡を歩く。
「だが何も心配する事はない」
それは一瞬。
気づくと、男の背後にシドがいた。
「ひぃッ!」
シドは右足を一閃。
「夜が明ければ……総ては終わっているのだから」
男の首が宙を飛んだ。
血の飛沫が舞う中で、シドが振り返る。
その姿に、ベータは震えた。
学生服姿のシドはそこに居なかった。
そこに居たのは全身に漆黒を纏ったシャドウ。
漆黒のボディスーツに漆黒のブーツ、その手には漆黒の刀を携えて、漆黒のロングコートが風になびく。
コートのフードを深く被り、顔の上半分は影に隠れ下半分だけが光に当たる。
その顔も奇術師の仮面に覆われて、素顔が覗くのは仮面の奥の赤い瞳だけ。
ベータは凛々しくも美しいその姿に気絶しかけ、慌てて胸の谷間から自筆の『シャドウ様戦記』メモを取り出しシュババババっとスケッチする。
スケッチの隣に本日のシャドウ様語録を付け加え完成。その間、僅か5秒。
余談だがベータの自室はシャドウ様絵画とシャドウ様語録が壁一面に貼り巡らされており、寝る前にシャドウ様戦記を執筆するのがかけがえのない楽しみである。
と、その時。遠くで轟いた爆音がベータを現実に引き戻した。
「デルタか……ノクターンの始まりだ。ベータ、往くぞ」
「は、はい! 今行きますぅ!」
ベータは胸の谷間にメモを押し込んで彼を追いかける。
当然、彼はそんなベータの生態など知らない。
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