第111話 ミッションコンプリート

 シャドウの纏う空気が変わった。


 青紫の魔力が、シャドウの周囲で荒れ狂う。


「バカな……」


「なんて魔力でありんしょう……」


 シャドウは、コツ、コツ、と漆黒のブーツを鳴らして歩き、無造作に『血の女王』へと近づいていく。


 だが、そんな横暴を『血の女王』が許すはずもなかった。


 凄まじい数の血の触手が、一瞬にしてシャドウを取り囲み襲い掛かる。


 シャドウはその刀で、血の触手を受け流す。


 そして、コツ、と。


 ただ一歩、無造作に踏み込んだ。


「なッ――!?」


「そんなッ――!?」


 その一歩の凄まじさを、その場にいた誰もが理解した。


 そして、また一歩。


 コツ、と。


 シャドウは無造作に踏み込んだ。


 今度は刀すら使わなかった。膨大な数の触手が、まるでシャドウを避けるかのように通り過ぎる。


 まるで手品でも見ているかのように『血の女王』の触手が空を切る。


 シャドウはすべての触手の動きを完全に見切っているのだ。


 そして最小限の動きで躱し、ただ一歩ずつ間合いを詰めていく。


 まるで――触手など眼中にないと言わんばかりに。


『血の女王』が背後に現れても、彼はまるで予測していたかのように躱し、歩いていく。


 反撃はしない。


 それが無駄だと知っているのだ。


 だから彼は、すべてを無視して歩いていく。


 彼はただ、『血の女王』の本体だけを見据えていた。


 コツ、コツ、コツ――と。


 彼のブーツの音が、やけに大きく響いた。


 そして、シャドウは立ち止まる。


 同時に、血の触手も止まった。


 そこは手を伸ばせば届く距離。


 美しき『血の女王』と、漆黒のシャドウはしばらく見つめ合った。


『血の女王』は真紅の月を背負い、シャドウは青紫の魔力を纏う。


 今までの激しさが嘘だったかのように、静寂が辺りを包む。


 その静寂の中で、二人は何かを語り合っているかのようだった。


「死を望むか……」


 深淵から響くかのような、深く低い声が響いた。


「いいだろう……」


 そして凄まじい魔力が漆黒の刀に集う。


 青紫の魔力が、螺旋を描きながら収束していく。


『血の女王』も赤き爪を伸ばす。


 なぜだろう。恐怖の象徴だったその爪が、こんなにも頼りなく見えるのは……。


「待って!!」


 だから、ミリアは飛び出した。


「エリザベート様は、優しい方なのです!! もう一度、やり直せるはずです!!」


 彼女は駆ける。みんな笑って終われるような未来を掴むと約束したのだ。


 だから――!


「お願いッ!!」


 必死で手を伸ばした。


 シャドウが一瞬だけミリアを見る。


 しかし――。


 血の触手が、ミリアを弾き飛ばした。


「アイ・アム……」


 そして無情な声が響く。


 床を転がったミリアはすぐさま顔を上げた。血の触手は、ミリアを貫くことも、切り裂くこともできたはずだ。なのに、ミリアには傷一つなかった。


「エリザベート様ッ!!」


 エリザベートが一瞬、ミリアの方を見た気がした。


 その赤い瞳は、昔と変わらず優しかった。


「……リカバリーアトミック」


 赤き爪と漆黒の刀が交差し、青紫の光りが辺り一面を染めた。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





「うぅ……」


 気を失っていたようだ。


 ベータが目を覚ますと、そこは赤き月の光が降り注ぐ静かな夜だった。


 周りは皆、気を失っている。ベータが最初に目覚めたようだ。


 主の姿はどこにもなかった。


 きっと、次の戦いに向かったのだろう。本当に忙しくて……優しいお方だ。


「ありがとうございます、シャドウ様……」


 傷ついていた自分の身体が治っていることに気づき、ベータは自然と微笑んだ。


 見ると664番の傷も、665番の傷も、666番の傷も完全に治っている。


 当然、主の姉やミリアにも傷一つ残っていない。


 ついでにジャガノートとユキメも治していったようだ。


「イータの仮説は正しかったようね……」


 ベータは小瓶に『血の女王』の血を回収する。


 そしてボディスーツに付着していた自分の血に意識を集中し……浮かした。


「鍛えれば使い物になるかな……? はぁ……なんだか私が実験のサンプルにされそうな予感……えいっ」


 ベータは操作した血を飛ばして、部下を起こしていく。


「いたッ」


「なに!?」


「ここはどこ……?」


「いつまで寝てるの。帰るわよ」


「は、はい!」


 三人を叩き起こすと、彼女たちは慌てて起き上がった。


「くッ何があった……?」


「どうなりんした……?」


 無法都市の二人も目覚めたようだ。


 そして、周囲を見渡し呆然とする。 


「なッ、まさか、これをあいつがやったのか……!?」


「シャドウはん、ぬしはいったい……」


『紅の塔』は消滅していた。


 二人は『紅の塔』があったその場所で空を見上げた。彼の力を、その瞳に焼き付けるかのように……。


「さて、行くわよ」


 そう言って、ベータは踵を返す。


「うぅん……」


「エリザベート様――!?」


 その時、背後でクレアとミリアが目覚めたようだ。


 ベータがちらりと後ろを見ると、ミリアは瓦礫の中から誰かを抱き起こしていた。


「エリザベート様――ッ! あぁ……よかった……もう二度と……」


 そして、彼女の泣き声を背に、ベータは呟いた。


「今度こそ見つけられるといいわね……『安息の地』を……」


 そして夜の闇に紛れていく。


「ミッションコンプリート、ってね」


 クスッと小さな笑い声を残して、ベータの姿は消えていった。

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