第34話 モブにはやらねばならぬ時がある

 僕は教室から誰もいなくなったことを確認し、拳で自分の胸を叩いた。


『動け、動けッ!』


 何度も何度も叩き、強引に呼吸する。


『うごけぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ!!』


 そして、ついに。


「ゲホッ、ゴホ、ゴホッ!」


 動いた。


 停止していた心臓が、ドクン、ドクン、と鼓動を再開する。


『モブ式奥義十分間の臨死体験(ハート・ブレイク・モブ)』


 心停止から微細な魔力により脳血流を保ち、通常ではありえない長時間の心停止状態を後遺症なく達成する奥義である。


 一歩間違えばそのままあの世逝きのハイリスク奥義だが、命を懸けてでもやらねばならぬ時があるのだ。


 それが今日だった。ただそれだけの話だ。


「いってぇ……」


 背中の傷を確認する。間近で見られる危険性があったため、今回は実際に斬られているのだ。


 もちろん致命傷は回避したが、リアリティを出すためにそれなりの深さで調節した。


 魔力によって傷の応急処置を試みる。魔力は限りなく細く加工することで、阻害を無視して行使できるようだ。他にも、おそらく圧力をかけて開放すれば阻害を強引に排除できると思う。


「こんなとこかな」


 傷を完全に塞ぐのは時間がかかるし、後で見られたときにまずい。動きに支障のない程度で留める。


 あとは奇跡的に一命を取り留めたパターンでいけば大丈夫でしょ。


「よっこらせ」


 僕は立ち上がり、肉体と魔力の動きを確認する。顔の血痕を拭い、制服の乱れも正す。


 窓からは爽やかな午後の風が流れ込み、白いカーテンを大きく膨らませていた。


 カーテンの動きに合わせて、強い日差しと黒い影がその形を変えた。


 倒れた椅子と乱れた机、壊れた扉と床に残った血痕。それは、日常が終わったことを告げていた。


 僕は一度目を閉じて深呼吸し、


「さて、行くか」


 教室を出て、誰もいない静かな廊下を歩きだした。


  

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 シェリー・バーネットはペンダント型アーティファクトの解読に集中していて、その騒ぎに気付くのが遅れた。


「これは……」


 アーティファクトを手に取って、間近に眺めるシェリー。


 その桃色の瞳が何かに気づいて細まった。


「まさか……そんな」


 視線はアーティファクトに集中しながら、紙の上ではペンが躍る。


 彼女は周囲の喧騒にまるで気づいていない。


 爆発音も、廊下の足音も、全て意識の外にあった。


「どうだった」


「何者かが学園を襲撃しています」


「魔力が使えんとなると、下手に動けんな」


 二人の騎士の会話すら、耳に入らなかった。


「まさか……まさか……」


 それほどまでに、彼女はアーティファクトに集中していた。


 普段から彼女は研究に集中すると周りが見えなくなる性質を持っているが、いつもはここまでではない。このアーティファクトには彼女の意識を奪う重大な何かがあったのだ。


 カリカリと羽根ペンが動く。


 桃色の瞳は、もうアーティファクトの真実に、あと一歩まで迫っていた。


 その時。


 突然、窓が吹き飛び、研究室に一人の黒ずくめの男が乗り込んできた。


 ガラス片が、シェリーの頬を少し切った。


「いたっ……!?」


「何者だ!」


 二人の騎士が剣を構える。


 頬の痛みに、シェリーはようやく状況に気づいた。


「え? え?」


 シェリーはアーティファクトを抱えて机の下に隠れた。


 そっと頬を撫でると、少し血が付いた。


「我らはシャドウガーデンっと。シャドウガーディアンだっけか? まあいい、俺はレックス、『叛逆遊戯』のレックス様だ」


 黒ずくめの男は仮面の奥で嗤って、


「邪魔だな、これ」


 仮面を投げ捨てた。くすんだ赤髪の軽薄そうな男が、飢えた野良犬のような目で嗤っていた。


「ひっ」


 シェリーの足元にその仮面が転がって、彼女は身を隠したまま後ずさる。


「シャドウガーデン、貴様らが噂の……」


「何が目的かは知らんが学園を襲撃してタダで済むと思っているのか」


 二人の騎士の言葉に、レックスは笑った。


「ただじゃすまねぇだろうなぁ。シャドウガーデンさんは大変だ。ちなみに……」


 レックスはそこで言葉を切って、


「襲撃の目的は俺も忘れた」


 カカカ、と笑う。


「ふざけているのか?」


「いや、ふざけてねえよ。どうでもいいだけさ。ただ、俺の仕事はペンダント型のアーティファクトの回収だ。あれを回収したら後は好きに暴れていいって話なんだけどよ……」


 レックスの瞳が鋭く細められた。


「てめぇら知ってるか?」


 そして、二人の騎士を睨みつけた。


「ッ……さあ、何のことだか」


「我々は何も知らんよ」


 騎士たちの答えにレックスは満面の笑みだった。


「その顔は知ってる奴だぁ……!」


 魔力が空気を震わせた。レックスの膨大な魔力が周囲を威圧する。


「ッ……!」


 シェリーは悲鳴を上げそうになる口を押さえて床を這う。


 もう少し、もう少しで扉だ。


「さぁて、まずは誰からいこうか」


 レックスは飢えた野良犬のような眼で研究室を見渡し、


「そこのお嬢ちゃんからだな」


 そして消えた。


 気づくと、シェリーの目前にレックスがいた。


「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」


「あばよ」


「いやっ!」


 シェリーは目を閉じて、頭を抱えて丸まった。


 しかし。


「させんよ」


 振り下ろされたレックスの斬撃が、床を叩いた。


 恐る恐るシェリーが目を開けると、獅子の鬣のような髭をした大柄の騎士が、シェリーの前で剣を構えていた。


「へぇ、魔力も使えないのに、やるな」


「魔力だけがすべてではない。実力差があれば受け流すのは容易い」


「実力差があれば……? まさかてめぇ、俺より強いとでも思ってんのか?」


 レックスが大柄の騎士を凶悪な形相で睨んだ。


「思っているさ」


「名前だけは聞いておこうか」


「紅の騎士団副団長『獅子髭』のグレン」


 グレンの隣にもう一人の騎士が並ぶ。


「紅の騎士団マルコ」


「てめぇには聞いてねぇ」


 最後にマルコはシェリーの方を見た。


「逃げな」


 そして、戦いが始まった。


 シェリーは床を這って廊下に出ると、そこから全力で走った。


 後方から断末魔の叫びが聞こえてきて、シェリーは耳を塞いだ。 

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