第119話 盲目の大狼

 豪華な部屋の中に二人の男がいた。


 一人はカエルのような太った商人。もう一人は盲目の獣人。


「『四つ葉』が殺られた――だと?」


 盲目の獣人が低い声で唸る。


 艶のある漆黒の毛並みに、精悍な顔立ちの狼族だった。彼の目は深い一文字の刀傷で潰れている。


「『四つ葉』のうちの一人、月丹様も目にかけていた獣人です。盗賊に扮してミツゴシ商会の馬車を襲っていた任務中に襲撃されたようです」


 カエルのように太った商人は、月丹と呼ばれた獣人の顔色を窺いながら話す。


『四つ葉』はガーター商会の私兵団の中で、月丹が抜擢した四人の腕利きだ。 


「奴が死んだか……ガーター、誰の仕業だ?」


「不明です。死体は一太刀で首を断ち切られています。相当な手練れです。状況から考えるに、ミツゴシ商会に雇われた魔剣士の仕業かと……」


 カエルのように太った商人は、ガーター商会の商会長のガーターだ。


 商会長のガーターと、雇われの獣人である月丹。しかし、二人の態度はまるで逆だった。


「ミツゴシ商会……しぶといな」


 月丹の呟きは、狼の唸り声のように低かった。


 ミツゴシ商会を潰す作戦は上手く進んでいるはずだった。


 盗賊に扮した私兵団によって、行商人はミツゴシ商会の商品を買い控え、用品は売れ残り行商人はミツゴシ商会の紙幣を使わなくなった。代わりに彼らが使うようになったのが、大商会連合の商品と紙幣だ。


 そして、大商会連合の紙幣は思惑通り普及していった。


 すべて、うまくいっているはずだったのだ。


 しかし、ミツゴシ商会は揺るがなかった。


 ガーター商会は行商人の馬車だけでなく、ミツゴシ商会の輸送馬車も襲撃したが、彼らの馬車には相当な腕利きが護衛に付いていた。襲撃部隊は誰一人生きて帰らない。


 その結果、都市部のミツゴシ商会は変わらず営業を続けており、影響を受けたのは地方へと荷物を運ぶ平民向けの行商だけだった。


 都市部と地方の経済規模には大きな格差がある。


 都市部には貴族や富裕層が集い、日用品だけでなく娯楽品を買い漁る。


 しかし地方の平民は、そのほとんどが農家だ。食事は基本自給自足、足りないものは自分で作り、どうしても必要なものにしかお金を払わない。月に一度来る行商だけしかお金を使う機会がなく、そもそもお金を使う習慣がない。


 ミツゴシ商会は、いい商品を安く地方へ送ることで、その習慣を変えようとしたが、それもまだ途中の話だ。


 現状、地方の売り上げが滞ったところで、ミツゴシ商会の商売にそれほど大きな影響は無かった。それだけの基盤を、彼らは都心部に作っていたのだ。


 大商会連合が紙幣を発行し、ミツゴシ商会の類似品を販売すればすぐに客は大商会連合に流れる。


 当初の予定ではそうなるはずだった。


 しかし、ミツゴシ商会の客は流れなかった。ミツゴシ商会の商品は、類似品では真似できないクオリティを持っていたのだ。


 さらに、大商会連合ではどうしても真似できない、製造法が不明の人気商品も多数ある。それらの商品はミツゴシ商会の馬車を襲撃することで製造法を手に入れるはずだったが……。


「チッ……」


 月丹が舌打ちし、ガーターの肩が震えた。


 所詮は底の浅い商会だと侮っていた。商は上手くとも、商い以外を攻めれば容易く崩れるだろうと予想していた。


 だが、ミツゴシ商会の護衛は強かった。


 このままでは奴らは崩れない。そして、時間がかかればかかるほど、大商会連合には取り付けのリスクが増す。


 月丹は動かざるを得なかった。


「残った『四つ葉』を全て使い、ミツゴシ商会を襲撃しろ」


「はっ」


「奴らの資金と商品の製造法を奪い取れ。失敗は許さん」


 ガーターは無言で頭を下げ、月丹の前から逃げるように部屋を去る。


 月丹はその潰れた目で、まるで見えているかのようにガーターの姿を追った。


「役立たずどもが……」


 一人残った月丹は、鋭い牙を剥き出しにして唸る。


 彼はその圧倒的な力で全てを奪ってきた。奪うことが彼の生き方で、何もかも思い通り手に入れた。


 ……だというのにッ!


 月丹の目の傷が痛む。この傷を負ったのは遥か昔、とうに塞がった傷口が過去の過ちを思い出させる。


「……ッ!」


 彼は、小さく人の名前を呟いた。その名は、彼の人生で初めての汚点。


 そして今、ミツゴシ商会が彼の歩みを止めている。


 それは、奪い続けてきた彼の人生で、二度目の汚点だ。


 ギリッと、彼の牙が軋む。過去の憤怒が蘇る。


 許し難い。


 許し難い罪だ。


 もし、次も失敗するようだったら――。


「必ず奪い、蹂躙する」


 彼にはもう、手段を選ぶ気は無かった。


 かつて『大狼』と恐れられた伝説が、その力を解き放つだろう――。

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