第104話 でしゃばるな小娘

 ミリアはかつて『血の女王』エリザベートの配下だった。


 それは世界の夜を吸血鬼が支配していた頃の話。当時からエリザベートは始祖の中でも強い力を持っていた。


 吸血鬼たちは遊びでもするかのように人間を狩り食い散らかしていた。多くの吸血鬼にとって人間は下等な家畜でしかなく、吸血鬼が人を支配する国まであったのだ。


 吸血鬼にとって黄金の時代だった。


 しかしそんな時代の中で、エリザベートだけは必要以上に人を狩ることを嫌っていた。生きていくために必要な分だけ狩りむやみに命は奪わない。そんな彼女のやり方に反発する吸血鬼も多く、彼女は大きな力を持ちながらも配下は少なかった。


 しかし時代は吸血鬼にとって暗黒の時代へと移る。


 人が吸血鬼を狩る、吸血鬼にとって悪夢のような時代。吸血鬼の王国が壊滅したのを皮切りに、人は次々と吸血鬼に反旗を翻し瞬く間にその数を減らしていった。


 その頃エリザベートとその配下は人の治める小さな国の領主として国境を護っていた。人と手を取り合って畑を耕し、魔物と戦い、領地を治めていた。


 彼女の領地では吸血鬼は人を見下さず、人は吸血鬼を恐れない。そんな関係を築けたのも、彼女たちが人の血を吸わなかったからだ。


 吸血鬼は人の血を吸わねば生きていけない。


 常識だったその考えを、エリザベートは自ら血を断つことで誤っていると証明したのだ。


 始祖の吸血衝動は通常の吸血鬼の何十倍も強い。彼女の苦痛は計り知れなかったはずだ。しかし彼女は自分の腕を噛み切るような苦痛の中で成し遂げた。そして配下たちもそれに従った。


 血を断った吸血鬼は次第にその力を失い、人と大して変わらぬ力しか持たなくなった。


 しかし、かわりに得たものもあった。


 それは太陽の下で暮らす力。血を断った吸血鬼は人と同じように光の差す美しい世界で暮らすことができたのだ。


 そしてもう一つ、安らかな心を手に入れた。血を断ち、陽の光を浴びて暮らすことで、吸血衝動が次第に薄れていき、彼らは人と変わらない精神を持つようになった。


 しかし、そんな中でも始祖エリザベートだけは変わらず強い力を持っていた。


 陽の光を浴びれば肌が爛れ、黒い日傘無しでは外を歩けない。灰にこそならなかったが、始祖の多くは元から陽の光に耐性があった。


 そしていくら血を断とうとも、彼女の狂おしいほどの吸血衝動は消えなかった。


 だがそんな苦痛の中で、彼女は黒い日傘を差して皆と同じように日中活動し、そして配下を集めて話した。


「ここに安息の地を作ろう。吸血鬼も人も、分け隔てなく幸せに暮らせる地を……」


 そして、彼女は人に追われてきた吸血鬼を保護し配下に加えていった。


 もちろんそれは血を断つことが条件だ。中には彼女を蔑み反抗する吸血鬼もいた。そんな時、彼女は悲しい顔で追放した。従わなければ、彼女自ら手を下した。


 いつしか世界中の吸血鬼たちが人に追われ彼女の下に集うようになっていた。人口が増え、人と吸血鬼が混じりあい、領地は繁栄した。強い力を持ち国に保護された彼女の領地には吸血鬼ハンターも現れなかった。


 そこに、彼女が目指した『安息の地』は確かに存在した。


 そこにいた誰もが幸せであるように、彼女は願った。


 しかし『安息の地』は一夜にして崩壊した。


 それは『赤き月』が浮かぶ夜だった。


 彼女は日増しに強くなる吸血衝動を抑えるため城に閉じこもっていた。


 当時ミリアはナンバー1の幹部で、ナンバー2の幹部がクリムゾンだった。


 二人は交代でエリザベートの部屋に食事を運んでいた。そして事件は、クリムゾンが食事を運んだ時に起きた。


 彼はエリザベートの食事に人の血を混ぜたのだ。


 普段のエリザベートなら食す前に気づいたかもしれない。仮に食しても衝動を抑えることはできたかもしれない。


 しかしその日は『赤き月』だった。


 長い間血を断っていた彼女は抑えきれず暴走し、そしてクリムゾンとその配下たちが反旗を翻した。


 人を家畜としか見ていなかった吸血鬼が、人と暮らすことなどできなかったのだ。


 彼女の夢は……『安息の地』は幻想だった。


 暴走したエリザベートとクリムゾンたちは、ほんの数時間で領地の人間を食い殺した。


 血を断ち力を失ったエリザベートの配下は何もできず逃げまどい殺されていった。


 たった一人、ミリアを除いて。


 彼女はエリザベートを止めるため、泣きながら死肉の血を吸った。


 そして領地を出たエリザベートを追った。


 エリザベートたちの勢いは止まらず、彼女はその日のうちに彼女が護った小さな国を壊滅させ、心優しい国王を八つ裂きにした。


 ミリアは間に合わず、殺された国王と王妃の前で泣いて許しを請うた。


 そしてエリザベートの暴走は三日間続き、さらに三つの国が壊滅的な被害を受けた。


 ミリアがエリザベートを見つけたのは、すべてが終わった夜だった。


 エリザベートは自分が滅ぼした国を眺めて泣いていた。


「もう二度と過ちを犯さぬように、もう二度と蘇らぬように、灰を海へ捨ててくれ……」


 彼女はそう言って自らの心臓に剣を突き刺し倒れた。


 そしてエリザベートは灰になるはずだった。


 しかし彼女は灰にならなかった。彼女の剣は、急所を僅かに外していたのだ。


 呼吸もなく、心臓も止まっている。


 まるで死んでいるかのようだった。


 しかし、まだ生きている。


 その口に人の血を含ませれば、たちまち彼女は息を吹き返すだろう。


 逆にその剣を僅かに押し込めば、たちまち彼女は灰へと変わるだろう。


 ミリアにはどちらもできなかった。


 主の意思に逆らうこともできず、主を殺めることもできなかった。彼女は永遠の眠りについた主を棺に隠し、それを永久に守り続けることを決めたのだ。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「愚かな選択だった。血を断った私にエリザベート様を守る力はなかったのだ。エリザベート様はクリムゾンに奪われて再び利用されようとしている。私は千年前の過ちを償わなければならない。もしエリザベート様が暴走してしまったら、私は主に何と謝ればいいか分からない……」


 ミリアは悲しい顔で笑った。


「これが私の全て。隠していてすまない……」


「いいの。私も同じよ。私、悪魔憑きかもしれないの。昔、背中に黒い痣ができて、どんどん広がっていった。でもある日を境に急に良くなって、気づいたら嘘みたいに黒い痣は消えていた。もし、あの黒い痣が悪魔憑きだったとしたら私はいずれ……。だから私がいなくなってしまう前に、弟を騎士団に入れたくて無理やり連れてきたの。でも私が目を離した隙に攫われて……もしシドに何かあったら私も何て謝ればいいか分からない……」


「そうだったの……」


 二人はしばらく押し黙った。


「その……私は『安息の地』が幻想だったとは思えない。過ちが繰り返されるとも限らない。もう一度、エリザベートと話すことはできないの?」


 しかしミリアは首を横に振った。


「私はもう主の意思に逆らいたくない」


「だったら私がやるわ。エリザベートを攫って『赤き月』が終わってしまえば彼女は暴走しない。そうでしょ?」


「おそらく……」


「じゃあ『赤き月』が終わったら私の血で彼女を目覚めさせるの。そこでもう一度話してみましょう。きっと何かが変わるはずよ。全部私が勝手にやることだからミリアは関係ないわ」


「でも……エリザベート様にこれ以上辛い思いはさせたくない」


 ミリアは俯いて考えていた。彼女の中で様々な葛藤が巡っているのだ。


「もう一度だけ話してみましょう。こんな終わり方じゃ悲しいわ。ミリアも、エリザベートも、そして死んでいって人たちも」


 クレアはミリアの瞳を覗き込み微笑んだ。


 ミリアの瞳は迷っていた。彼女も本心ではこのまま終わることを望んでいないのだ。


 ただ、怖いのだ。


 同じ過ちを繰り返してしまうかもしれないことが。そしてエリザベートに辛い思いをさせてしまうかもしれないことが。


「あなたたちが目指した『安息の地』は幻想なんかじゃなかった。私はそう思う。だからみんな笑って終わりましょう」


「すまない……迷惑をかける」

 

 ミリアは俯いていた顔を上げて頷いた。


「いいの、私が勝手にやることだから」


「それから……ひどいこと言ってごめん。悪魔憑きは治らないなんて……その、昔の仲間が作った吸血鬼の隠れ里があるの。何か知っているかもしれないから、聞いてみる」


「気にしないで。それから、ありがとう。さて、クリムゾンをぶっ飛ばして眠れる女王を攫いますか」


「うん。クレアの弟も必ず助け出すわ」


「シドを助けるのは私だから。でしゃばらないで」


「あ、うん……」


「美しく華麗な救出劇をサポートしてね」


「……わかった」


 そして二人は塔を上っていった。

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