第20話 『アイ・アム……』

 全身に纏った漆黒、フードを深く被り、顔には奇術師の仮面。


 その男は悠然と歩みを進め、間合いの一歩外で止まった。


「漆黒を纏いし者……。君が近ごろ教団に噛み付いてくる野良犬か」


 ゼノンが鋭い眼光で漆黒の男を睨む。


「我が名はシャドウ。陰に潜み、陰を狩る者……」


 深く、低く、深淵から発せられたような声だった。


「なるほど。小規模拠点を幾つか潰していい気になっているようだが、君たちが潰した拠点に教団の主力は1人もいない。ただ雑魚を狙っているだけの卑怯者だ」


 シャドウと名乗った男はどうやらゼノンと敵対しているようだった。それはアレクシアにとって朗報だ。しかし、この男が味方だとも思えない。


「何奴を狩ろうと何処で狩ろうと同じ事だ」


「残念だが同じにはならない。教団の主力はここにいる。君は今日、私の手によって狩られる運命にある」


 ゼノンがシャドウに剣を向けた。


「次期ラウンズ第12席ゼノン・グリフィ。君の命、ラウンズへの手柄とさせてもらおう」


 そして、疾風の突きをシャドウに見舞う。


 しかし。


 シャドウの姿がかき消え、刺突は虚空を切る。


「なッ……!?」


 直後、ゼノンの背後にシャドウが立っていた。


 たった一瞬で、完全に背後を取られたのだ。


 動けない。


 ゼノンは時を忘れたかように、剣を止め、呼吸すら止めて背後に全神経を集中した。


 誰も動かない。


 そう、シャドウはゼノンと背中合わせに、ただ腕を組んで立っているだけだった。


 そして一言、


「それで……教団の主力とやらは何処だ」


 ゼノンの顔が屈辱に歪んだ。そして振り向き様に剣を薙ぎ払う。


 が、誰もいない。


「バカなッ……!」


 パサッと、コートの靡く音がした。


 見ると、シャドウは最初の場所で何事もなかったかのように立っていた。


 外から見ていたアレクシアですら、シャドウの動きが全く見えなかった。これが種も仕掛けも無いのだとすれば、相当な実力者……いや、規格外と言っていい実力だ。


 ゼノンは動揺を抑えてゆっくりと振り返る。


「なるほど、少し見くびっていたようだ。さすが、小規模とはいえ幾つもの拠点を壊滅させただけはある」


 そして今度は油断なくシャドウを見据え魔力を高める。


 高まった魔力が大気を震わせた。それは、アレクシアの剣を砕いた一撃以上の高まり。


 シャドウは確かに規格外の実力者だ。


 しかしゼノンもまた、尋常ではない実力者なのだ。幼い頃から神童と騒がれ、数多の大会で優勝し、剣術指南役にまで登りつめた男だ。この国でゼノン・グリフィの名を知らぬ剣士などいないのだ。


「見せてあげよう。これが、次期ラウンズの力だ」


 速いッ……!


 アレクシアはゼノンの剣をかろうじて目で追うことしか出来なかった。


 白刃の残像が空を裂き、シャドウの首へ迫る。


 しかし。


「鈍い剣だ……」


 いつの間にか抜かれた漆黒の刀に、容易く受け止められた。


「くッ……!」


 ゼノンは鍔迫り合いで押し勝とうとする。


 しかし逆に力を抜いたシャドウは、ゼノンの勢いを利用し容易く投げ飛ばした。


「フッ……!」


 ゼノンは壁に叩きつけられる寸前で、かろうじて受け身を取って剣を構え直す。


 だがその表情からは動揺が隠せないでいた。


 両者動かない。


 だが、シャドウはただ動かない。


 対してゼノンは動けない。


 総ての動きが封じられたような、そんな錯覚の中に彼はいた。


「来ないのか、次期ラウンズ」


「ッ……!」


 ゼノンの表情が憤怒に染まった。敵への怒り、そして何よりも自身への怒りに。


「舐めるなァァァァァァァアッ!!」


 咆哮と共に剣を薙ぐ。


 疾風の如く剣を突く。


 烈火の如く連撃を繰り出した。


 しかし。


 その総てが通じない。


「アアアアァァァァァァァアッ!!」


 気合いの咆哮が虚しく聞こえた。


 まるで大人と子供の稽古だった。


 アレクシアはその戦いを衝撃と共に見ていた。


 未だかつて、ゼノンがこのような姿を曝すことがあっただろうか。余裕の笑みも人格者の仮面も脱ぎ捨てて、それでも尚まるで届かない。アレクシアの知る最強の存在は姉だった。その姉ですら、ゼノン相手にこれほど圧倒出来るとは思えなかった。


 カン、カン、カンと。


 場違いなほど軽い剣の音が辺りに響く。


 それはまさしく稽古の音だった。


 漆黒の刃と白刃が描く剣の軌跡。


 いつしかその稽古にアレクシアは見入っていた。


 漆黒の刃に魅入られて、目が離せないでいた。


 なぜなら、それは……。


「凡人の剣……」


 アレクシアの剣の、その先にある姿だったから。


 幼い頃、アレクシアが考え抜いた理想の剣の完成形。それは才能でも、力でも、速さでもなく、ただ基本の積み重ねによって辿り着ける持たざる者の剣だった。


 しかしそれは姉と比べられて、凡人の剣と揶揄されて、アレクシアは道を見失った。


 それでも、捨て切れなかった。


 その凡人の剣が今、ゼノン・グリフィという天才を圧倒していた。


「凄い……」


 アレクシアはこの剣が好きだ。


 剣を見れば、その人の歩んできた道が見える。


 この剣はひたむきに、まっすぐに、積み重ねた剣だ。


 もしかしたら、姉も。自分と同じ思いを抱いたのだろうか。


「姉様……」


 いつかの姉の言葉。


 その意味がようやく分かった気がした。


「ガッ……く、クソッ……!」


 ゼノンの身体が宙を舞い、叩きつけられた。もう何度目になるかわからない。


 ゼノンは荒い息を吐きながらシャドウを睨む。


 憤怒の瞳はまだ、この現実を受け入れきれないでいた。


「き、貴様、いったい何者だ……! それだけの強さがありながらなぜ正体を隠す!」


 シャドウほどの強さがあれば、富も名誉も思うがまま。その強さも世界に知れ渡るだろう。


 しかし誰もシャドウの剣を知らない。例え顔を隠しても、シャドウの剣を一度でも見れば、その剣筋を決して忘れないだろう。しかしゼノンも、アレクシアも、これほどの剣を使う存在を今日初めて知った。


「我らはシャドウガーデン。陰に潜み、陰を狩る者。我らはただ、それだけの為にある……」


「正気か貴様ッ……!」


 ゼノンとシャドウの視線がぶつかる。


 アレクシアは完全に蚊帳の外だった。


 なぜ彼らが戦っているのか、その理由も目的も何もわからない。


 血、魔人、そして教団。


 キーワードはいくつもあった。


 しかしその意味がアレクシアには分からない。狂人の戯言だとしか思えなかった。


 しかし、もし。


 もし戯言ではなかったとしたら。 


 世界の裏側でアレクシアの知らない重大な何かが起きているのだとしたら。


「いいだろう。貴様が本気だと言うのなら、私もそれに応えようじゃないか」


 ゼノンはそう言って懐から赤い錠剤を取り出した。


「この錠剤によって、人は人を超えた覚醒者となる。しかし常人ではその力を扱いきれず、やがて自滅し死に至る。だがラウンズは違う。その圧倒的な力を制御できる者だけが、ラウンズになる権利を得るのだ」


 ゼノンは錠剤を一気に飲み込んだ。


 そして。


「覚醒者3rd」


 魔力が暴風となって吹き荒れた。


 一瞬にしてゼノンの傷が治っていく。


 筋肉は締まり、瞳は充血し、毛細血管が浮き出る。


 圧倒的なまでの力の重圧に押し潰されそうになる。


「最強の力を見せてやろう」


 余裕の笑みを取り戻したゼノンが言う。


 確実に、今のゼノンはアイリス王女すら超えた力を持っているのだ。


 紛れもない世界最強、アレクシアはそう思い、萎縮し、絶望しただろう。そう……シャドウの剣を知る前のアレクシアなら。


 しかし今のアレクシアには、このゼノンの姿が最強だとは到底思えなかった。


 それどころか、


「醜い……」


「醜いな……」


 アレクシアとシャドウの声が重なった。


 2人の目指す剣は同じ。ならば抱く思いも同じ。


「醜いだと……?」


 笑みを消してゼノンが問う。


「その程度で最強を騙るな。それは最強への冒涜だ」


「貴様ッ」


「借り物の力で最強に至る道はない」


 シャドウの魔力がこの日初めて高まった。これまでシャドウは殆どその魔力を使っていなかったのだ。


 シャドウの魔力は緻密。あまりに緻密で、その存在を知覚できないほどに。


 しかし、何だこれは。


 その高まった魔力は青紫の線となって姿を現した。


 細い、細い、幾筋もの線。それが稲妻のように、血管のように、シャドウを取り巻き、美しき光の紋様を描いていた。


「綺麗……」


 アレクシアはその光景に見惚れた。光の美しさにではない、その緻密に練られた魔力の美しさに見惚れ、憧れた。


「何だ、これは……」


 ゼノンもまた、衝撃を受けていた。未だかつて、魔力をこのような形態にした者などいなかった。


「真の最強とは何か……その眼に刻め」


 漆黒の刃に魔力が集い紋様を刻む。


 それは螺旋を描きながら力を集約させていく。


 まるで、総てがその螺旋に吸い込まれていくように。


 凄まじい力が漆黒の刃に込められた。


「これが我が最強」


 シャドウが刀を構える。


 それは突きの構え。


 それはただ突くためだけにある構え。


「や、やめ……」


 カタカタと震えるのは、大地か、大気か、ゼノンか。


 否、総てだ。


 総てが震えているのだ。


 アレクシアも自身が震えていることに気づく。


 しかし彼女のそれは恐怖ではなく、歓喜だった。


 これが到達点。


 これこそが……最強の剣。


「刮目せよ……」


 光を纏いし漆黒の刃が引き絞られ、


『奥義アイ・アム・アトミック』


 そして放たれた。


 音が消えた。


 光の奔流がゼノンを飲み込み、アレクシアの横を通り過ぎた。


 壁も、大地も、総てを貫き、飲み込み、遙か夜空の彼方へ。


 そして、爆ぜた。


 夜空に光の紋様が刻まれ、王都が青紫に染まった。


 遙か遠くから……爆風が遅れて王都に届き、雨雲を吹き飛ばし、家屋を揺らし、大地を揺らし、通り過ぎた。


 後に残るのは美しい星空と満月。


 ゼノンは塵も残さず蒸発した。


 壁に開いた大穴は、地上まで続いている。


 そして……シャドウは漆黒のコートを翻し姿を消した。




 かつて……核に挑んだ男がいた。


 男は肉体を鍛え、精神を鍛え、技を鍛えた。


 だがそれでも届かぬ遥か高みに核はあった。


 しかし諦め切れぬ男は、狂気の修行を重ねた末、答えに辿り着く。


【問題】核で蒸発しない為には。


【答え】核になればいい。


 その単純明解な思考から生まれたのが究極奥義『アイ・アム・アトミック』なのだ。




 どれだけの時間、佇んでいただろう。


 アレクシアはふと、自分を呼ぶ声に気づいた。


『アレクシア……アレクシアッ……!』


 遠くで、誰かが息を切らして叫んでいた。


 アレクシアはその声に聞き覚えがあった。


「姉様……アイリス姉様ッ……!」


 叫んで、走り出した。


 大穴を走り抜け、外に出る。


「アレクシア、アレクシアッ!!」 


 アイリスが駆けてきた。


「姉様、わ、私……ッ」


 有無を言わさずアレクシアは抱きしめられた。


 アイリスの身体はびしょ濡れで、それが冷たくて温かい。


「無事で良かった……本当に」


 ギュッと抱きしめられる。


 アレクシアもおずおずとアイリスの背中に手を回した。


「ごめんなさい、冷たいでしょう」


 アレクシアはアイリスの胸の中で首を振った。


 涙が溢れて止まらなかった。

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