第107話 彼女の使命
瓦礫から姿を表した『血の女王』は、血のように赤いドレスを纏っていた。
いや、違う。
彼女が纏っているのは、ドレスのような血だ。
血をドレスのように操り、その裸身を隠しているのだ。彼女の肌の上で、血のドレスはまるで生きているかのように妖しく蠢いていた。
『血の女王』から溢れる凄まじい圧に、ベータは仮面の下で顔をしかめた。
「これが『血の女王』……」
正真正銘の化け物だ。
「ベータ様……」
664番が判断を仰ぐかのようにベータを見た。
ベータは首を横に振る。
逃げられるとは思えないし、そもそも主の姉を置いて逃げる選択はできない。
戦うしか道は無いのだ。
と、その時。
「これはこれは、とんでもない化け物ぇ……。わっちも混ぜてもらいんす」
九本の尾を持つ狐の獣人が現れた。彼女は白銀の髪を靡かせて二本の鉄扇を開く。
「あなたは、『妖狐』ユキメ……」
直に見るのは初めてだったが、無法都市の支配者のことはベータも知っている。
それは、互いに何かを確かめ合うかのように、ベータの視線とユキメの視線が交わった。
「協力感謝する」
それが、ベータの判断だった。
「では共闘といきんしょうか」
そして『血の女王』と対峙する。
そこに、乱入者が現れた。
「俺抜きで進めるんじゃねぇよ」
窓ガラスを割って褐色の巨漢が現れた。彼は巨大鉈を担ぎ『血の女王』を見て鼻を鳴らす。
「てめぇがここの親玉か。俺の街で好き勝手やってくれたじゃねぇか」
「あんたどっから出て来んしたの」
「どこから来ようが俺の自由だババァ。この女は俺が殺る」
「勝手にしなんし」
そして、褐色の巨漢は巨大鉈を構える。
彼のこともベータは知っていた。彼も無法都市の支配者の一人、『暴君』ジャガノート。
この瞬間、無法都市の三人の支配者が集結したのだ。いずれもこの無法都市を支配する実力者である。その中の二人が『血の女王』と敵対しているのだ。
ベータはこの幸運に感謝した。まだ勝機はある。
「おらぁッ!!」
先陣を切ったのはジャガノートだった。
彼は野性的な動きで間合いを詰めて、自慢の巨大鉈を振り下ろす。
『血の女王』は微動だにしなかった。
「何ッ!?」
巨大鉈が『血の女王』を切り裂いたが、驚愕の声を上げたのはジャガノートだった。
彼の巨大鉈は何の感触もなく、『血の女王』を通り抜けたのだ。
「霧化ッ!?」
高位のヴァンパイアのみが使える、身体を霧化させる能力だ。
しかし、『血の女王』のそれは一切の前兆が無かった。しかも『血の女王』は巨大鉈の軌道上だけを霧化させたのだ。
「めんどくせぇ!!」
ジャガノートがさらに巨大鉈を薙ぐ。
しかし、それも『血の女王』は微動だにせずに受け入れた。彼女の首が一瞬だけ歪み、そこを巨大鉈がただ通り過ぎていった。
そして『血の女王』は右手に血の塊を集めた。
凄まじい魔力がそこに集まる。
「あかん!」
「避けてッ!!」
ユキメとベータが叫び、全員が回避行動をとる。
『血の女王』はそれを宙に放ち、その直後に爆ぜた。
血の塊が爆ぜて、血の飛沫が飛び散る。それは瞬く間に飛沫から鏃のように形を変えて、その場にいた全員に襲い掛かった。
血の鏃は空間を赤く染め、回避不可能な密度だった。
「くぅッ!!」
ベータは早々に回避を諦めて、クレアの前に移動した。
スライムボディスーツで急所を強化しつつ、漆黒の刀で鏃を切り裂き自分の身体を盾にした。
彼女の頬に裂傷が走り、腕や太腿に鏃が突き刺さる。
そして、鏃の雨が止んだ。
クレアとミリアは軽い裂傷を負ったものの、鏃による負傷はほとんどない。
しかし、ベータの被害は大きかった。
「あ、あなた……」
ミリアはベータの姿を見て言葉に詰まった。
漆黒のボディスーツは無残に切り裂かれ、白い肌と赤い血肉が露出し、腕や足には数十本の鏃が突き刺さっていたのだ。
「問題ない。急所は守った」
ベータはしかし、平然と刀を構え直し辺りを見渡した。
だが、誰もがベータと同じように動けたわけではなかった。
664番は全身の裂傷と腹部からの出血が激しい。
665番は同じく全身の裂傷と脚をやられたようだ。
666番も裂傷が目立ったが、大きな傷は無いようだ。
ユキメも裂傷を負ったが大きな傷は無し。
そして近距離で血の鏃を受けたジャガノートは……。
「いってぇ……」
血だるまだった。
全身に鏃が突き刺さり、出血で褐色の肌を染めていた。
彼はそれでも二本の足で立ったまま巨大鉈を担ぐ。
巨大鉈には刃こぼれが目立った。どうやらその巨大な鉈で彼は急所を守ったようだ。
「くそが……何だこの化け物は……」
しかし、すぐに片膝をつく。
「『赤き月』……思い出しんした。まさか『血の女王』は伝説の真祖の吸血鬼ッ……!」
ユキメは顔を驚愕に染めて『血の女王』を見据えた。
「なんだそいつは」
「遥か昔……たった三日でいくつもの国を壊滅させた伝説の吸血鬼どす」
「三日で国を……?」
ジャガノートも顔を顰めて『血の女王』を見上げた。
『血の女王』の伝説を疑う者は、この場にはもう誰もいなかった。
「664番、665番、下がりなさい」
ベータは戦闘不能に陥った二人を下がらせる。
「666番、あなたも」
「私はまだ戦えます!」
「あなたにはまだやるべきことがあるでしょう」
「……え?」
ベータは仮面の下で微笑み前に出た。
彼女はもう勝つことを諦めていた。
『血の女王』はベータでは相手にならない化物だった。どう足掻いても、たとえ全員で挑んでも、そこに勝機は無い。
だが、勝つ必要は無いのだ。
たとえベータが勝てなくても、主なら必ず勝ってくれる。彼女には主への絶対の信頼がある。
だからベータは主が来るまでの時間を稼げばいい。
それが、彼女に残された最後の使命だった。
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