第108話 圧倒的説明力不足

 ベータは『血の女王』と対峙し、漆黒の刀に魔力を込めた。


「え!?」


 その瞬間、ベータの魔力が突然乱れた。ベータは魔力の出力を落とし制御しようとするが、それでも暴れ出した魔力は鎮まろうとしない。


「くぅッ!」


「ベータ様!?」


 ベータの全身に懐かしくも忌まわしい痛みが走る。


 血の鏃が刺さった傷口から、肌が黒く変色していく。


 これは……悪魔憑きの症状だ。


 ベータは原因を理解すると直ぐに魔力の制御方を変更した。魔力の乱れは多少落ち着いたが、それでも極めて制御が難しい状態だった。


 そして『血の女王』が動く。


 彼女は頭上に特大の血の塊を作り出して、そこに大気が震えるほどの魔力を込めた。


「そんな……」


 先の一撃よりはるかに強大なその血の塊にベータの声が震えた。彼女は今、動ける状態ではない。


 さらに背後から悲鳴が響く。


「クレア!? しっかりして!」


 振り返ると、ミリアに抱かれたクレアの傷口も黒く変色していた。


 何もかも最悪の状況。


 宙に浮く血の塊が圧縮し今にも弾けようとしている。


「主様、すみません……」


 ベータが泣きそうな声で呟き――そしてクレアのまぶたが動いた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 クレアは夢を見ていた。


 どこまでも無限に続く白い空間に彼女は浮かんでいた。


 そこにはクレアだけがいて、他には何も見当たらない。


 ただ自分の鼓動の音だけを、彼女は聞いていた。


「……聞こえる?」


 どこからか声が聞こえてきて、クレアは顔を上げた。


「私の声が聞こえる……?」


 今度は確かに聞こえた。


 声の方を見るとそこには長い黒髪の女性がいた。彼女のヴァイオレットの瞳が、クレアを見ていた。


「あなたは……?」


「あなたを助けに来たの」


「私を?」


「そう、あなたを」


 そしてヴァイオレットの瞳が、クレアの身体を見つめた。


「え? 何これ!?」


 クレアの白い肌が、黒く変色している。


 かつてクレアは、これと同じ症状を経験したことがある。


「まさか……悪魔憑き!?」


「正確には少し違うわ。あなたが悪魔憑きと呼んでいる症状は、もう彼が治療しているのよ」


「完治しているの? 彼って……?」


「あなたもよく知っているはずよ」


「知らない。彼って誰よ」


 しかし、ヴァイオレットの瞳をした女性は意味深に微笑むだけだった。


「もうじきあなたの身体は腐り果てる。だから、少しだけ力を貸してあげる」


「ちょっと待って!? 何がなんだかわからないわ!」 


「私、説明って苦手なのよね」


「お願い教えて。私の身体に何が起きているの!?」


「そうねぇ、分かりやすく説明すると……運悪く適応して制御に失敗したのよ」


「ごめん、全くわかんない」


「少し長くなるけど、あまり時間がないのよ。簡潔に話すわ」


「お願い」


「進化って知ってるかしら。昔、同じ研究室の子が研究していたのだけど、人は昔猿だったらしいの。彼女の仮説だと猿が長い年月をかけて環境に適応し人になったらしいわ。私は面白い考え方だと思った。本当かどうかは知らないけれど」


「は、はぁ……。それって関係あるの?」


「もちろん。でもね、もう一人の研究者は生物が環境に適応することなんてないって言い出したの。彼女は猿が人になったことは否定しなかったわ。猿だって頭のいい猿と悪い猿がいる。過酷な自然環境の中で、頭のいい猿が生き残り交配し数を増やしていった。そのうち猿は頭のいい猿ばかりになって、長い月日が過ぎて人になった」


「えっと、何が違うのかしら。というか何の話?」


「全く違うわ。つまりたまたま環境に適応していた猿が生き残っただけで、猿が自ら適応していったわけじゃないのよ」


「うん?」


「それでね……えっと、何の話だったかしら」


「私の話よね……? 多分だけど」


「そうそう、適応の話だったわね」


「……え?」


「要するに、たまたま環境に適応した子だけが生き残って形を変えていったの。それが現在の形で、血の性質が途中で二つに分かれたのも適応の結果なのよ。本来の血は身体への負担が大きくて子孫が残せずに消えていったの。二つに分かれた血は、その特徴も明確に分かれていった。そして今、あなたの中で二つの血が適応しようとしている。二つに分かれた血は簡単に適応しないんだけど、不運にもあなたは素質があって、さらに不運なことにあなたはそれを制御する術を知らない。だから血が暴走し、あなたの身体を壊して――あ、そろそろ時間ね」


「ちょ、ちょっと待って、すごく重要なところでしょ今! え、痛ッ!?」


 クレアの手に突然鋭い痛みが走った。手の甲を見るとそこに複雑な魔法陣が描かれていた。


「きっとその印が制御する術を教えてくれるはず」


「あ、治ってく」


 クレアの身体の黒い痣が消えていった。


「もう時間がない、外は大変なことになっているわ」


「やっぱり前半の話いらなかったわよね?」


「少しあなたの身体を借りるわ。全力は出せないけれど……」


 そう言ってヴァイオレットの瞳の女性は薄く霞んでいく。


「待って! あなたの名前は!?」


「私はアウロラ……」


「アウロラ……なぜ私を助けてくれたの?」


「あなたが、彼の……」


 しかし、アウロラの姿は消えて声も届かなかった。


「何なのよ、もう。彼って誰よ……悪魔憑きを治療したのも彼? 大事なところが全く分からないじゃない」


 クレアは白い空間にたった一人取り残されて呟いた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ミリアに抱かれたクレアのまぶたが開く。


 その瞳は――美しいヴァイオレットに染まっていた。



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