第106話 貴様にこの苦しみが分かるかッ!? (血圧)

 ミリアとクレアの二人は『紅の塔』の最上階にたどり着きその扉を開けた。


「シドッ!?」


 胸から血を流して倒れる黒髪の少年の遺体を見つけたクレアが飛び出した。


 そして脇目も振らず抱きしめる。彼女の赤い瞳から涙が零れ落ちた。


「いやよッ!! お願い目を覚ましてシドッ!! シドッ!? シド? ……ん?」


 クレアは急に冷静な目で遺体見つめた。


 涙が止まった。


「これシドじゃない」


「え? 違うの?」


「シドは? シドは無事なの?」


 クレアはキョロキョロと辺りを見回す。


 その時、ミリアが叫んだ。


「――クレアッ!?」


「……え?」


 それは、突然のことだった。


 気づいたときには、少年の腕がクレアの腹を貫いていたのだ。


 クレアの口から血が吐き出される。


「ゴホッ……なに……これ……シド……」


「クレアッ!!」


 崩れ落ちるクレア。


 そして胸から血を流した黒髪の少年が動き出す。


 彼は間違いなく死んでいたはずだ。


 しかし、今は二本の足で立ち上がり、その胸から赤い触手のようなものが溢れ出す。


 触手は不気味に蠢きながら彼の身体を包んでいく。


「あぁ……そんな……まさか……」


 この気配を、ミリアは覚えていた。


 赤い触手はやがて彼の全身を覆い隠し、突然弾けた。


 そして。


 血の飛沫が舞うその中から、美しい全裸の女性が現れた。


 真紅の髪に同色の瞳。そして白い肌と女性らしい完璧なプロポーション。その姿はミリアの記憶にある『血の女王』エリザベートそのままだった。


 エリザベートは腹に穴が空いたクレアを抱きかかえ、その首筋に噛みついた。


「ぅ、ぁぁ……」


 クレアの口から声が漏れる。


 気を失っているようだが、まだ彼女は生きている。


 だがミリアは血を吸われるクレアを見ていることしかできなかった。


 ミリアは理解しているのだ。


 彼女の本能に刻み込まれているのだ。


 復活した『血の女王』エリザベートには、何をしても無駄だということを。


「クレア……ぁぁ……」


 そして、血を吸われ青ざめたクレアが捨てられた。


 エリザベートの美しい瞳がミリアを見据えた。その瞳はミリアをただの餌としてしか見ていない。 


「ぁ……エリザベート様……」


 ミリアは震えながら後ずさる。


 彼女の主は復活してしまった。


 最強の始祖エリザベートを止める手段は存在しない。


 彼女は、今回も間に合わなかったのだ。


 千年前の惨劇が繰り返されるのだ。


 ミリアの瞳に涙が滲んだ。


 その絶望の眼差しが、次の瞬間驚愕に染まった。


 突然現れた黒い影が、エリザベートと衝突したのだ。


 エリザベートの赤い爪とせめぎ合う漆黒の刀。


 それは、書庫で出会った漆黒のボディースツの女性――ベータだった。


「確保をッ!!」


 彼女がそう叫ぶと、さらに三つの影が現れてクレアを救出する。


 ベータは漆黒の刀でエリザベートの爪を受け止めて、後ろに跳んで間合いを外した。


「665番、容態は?」


「まだ息はあります。しかし、早急に治療する必要があります」


「そう。でも……このまま見逃してくれそうにはないわね」


 ベータの視線の先から、裸身の美女が歩いてくる。


「あなたたちは私のフォローを」


「了解しました」


「そこのヴァンパイアハンターさん、しばらくクレアさんをお願いします」


「ぁ……クレア……」


 ミリアは665番からクレアの身体を受け取り抱えた。


「ダメ、待って……」


 エリザベートと戦おうとするベータをミリアは呼び止めた。


 彼女は忠告しなければならなかった。


「無理よ……エリザベート様には、絶対に勝てない……」


 ベータは仮面の奥の猫のような瞳でミリアを見返す。


「さぁ、それはどうかしら……」


 そして漆黒の刀を構えて、彼女は『血の女王』と対峙した。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 どうしてこんなことに。


 ベータは『血の女王』エリザベートと対峙しながら失態を悔やんだ。 


 主の姉が命の危機に瀕する大失態だ。


 ベータの主はまだ姿を見せない。それは、主は他に優先すべき大いなる理由があって来れないということで、つまりこの場の対応はベータたちに任されたという意味である。


 しかしベータはそれを把握するのが遅れた。


 そして、この最悪の事態を招いたのだ。


 もしこのまま主の姉が命を落とすようなことになってしまえば、ベータは主に顔向けできない。


「『血の女王』相手に、どこまでできるか……」


 ベータはそう呟きながらも、その目には殺る気しかなかった。


 失態を取り返す道はたった一つしかない。強敵だが、やるしかないのだ。


 ベータは凄まじい形相で漆黒の刀に魔力を込める。そして床を爪先で二度叩いて合図を送る。


 三人の部下が散開した。


 いつでも動ける。


 ベータは『血の女王』を見据えて、タイミングを計る。


『血の女王』はゆっくりと、ただ歩いて間合いを詰める。一糸纏わぬその美しい裸身が赤き月の光で染まり、どこか眠たそうな感情の読み取れない瞳がベータたちを見据える。


 そして、間合いに入った。


「――シッ!!」


 ベータの一閃が、開始の合図だった。


 その美しくも速い漆黒の刀を、『血の女王』は左手に伸ばした爪で受け止める。


 同時に、右手の爪は反撃のために動く。


 しかし、背後から666番が『血の女王』を強襲した。


 仕方なく、右手の爪は666番の攻撃を弾く。


 だがその時にはもう、サイドから664番と665番が襲い掛かり、さらにベータも追撃に移っていた。


『血の女王』は、どこか眠たそうな目で迫りくる三本の斬撃を眺めて――心臓だけを守った。


『血の女王』の美しい肉体を、三本の刃が切り裂いた。


 鮮血が舞い裸身を汚す。『血の女王』は身じろぎ一つしなかった。


「ぬ、抜けない!?」


 664番の悲鳴。


 三本の刃は『血の女王』の裸身に食い込んだまま動きを止めていた。


『血の女王』はその筋肉で刃を受け止めて――動きを封じたのだ。


「クッ!!」


 ベータは全力で身体強化し、無理やり引っこ抜く。


 しかし、664番と665番にそこまでの力は無い。


「刀の形態を変えなさいッ!」


 ベータが叫ぶが、間に合わない。


 二人に『血の女王』の爪が迫る。


 ベータが動いた。しかし、666番が動く方が先だった。


 666番はその美しい剣筋で『血の女王』の腱を切り裂いたのだ。


『血の女王』の両腕が力を失くす。一瞬で再生するが、その間に二人はスライムソードの形を変えて引き抜く。


 そしてベータの斬撃が『血の女王』の顔を斬り裂き、664番がわき腹を斬り裂き、665番が脚の腱を斬り裂き、そして最後に666番が背中を斬り飛ばした。


『血の女王』の裸身が壁に激突する。


「よくやったわ、666番」


 666番は軽く頭を下げる。


『血の女王』は瓦礫に埋もれて動かない。ベータらは油断なく構えて間を開けた。


 ベータは最初、『血の女王』を一目見て強敵だと感じた。生物としての格の違いを肌で感じたのだ。


 おそらく一対一では勝てない。部下と四人で戦っても厳しい戦いになる。そう思っていた。


 実際、確かに強敵だったし、このまま終わるとも思わない。


 しかし、想像したよりずっと戦いやすい。


 新人の連携が想像以上に仕上がっている。そして666番の戦闘力が新人の中では頭一つ分抜きん出ている。司令塔の664番、知識と知恵の665番、戦闘力の666番。ラムダの言葉通り、いいチームだった。


「勝てるかもしれない……」


 ベータは思わずそう呟いた。


 しかし。


「無理よッ……確かにあなたたちは強い。でも『赤き月』で世界を恐怖に陥れた力はこんなものじゃない……エリザベート様はまだ目覚めたばかりなの……」


 背後のミリアがベータの呟きに応えた。


 ミリアはクレアを抱いたまま、その瞳に絶望の涙を浮かべている。


「エリザベート様は昔から……超低血圧だったのよッ……!」


「え?」


 その時、『血の女王』の魔力が爆発的に増加し、大気が震えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る