第92話 二匹の負け犬と番犬
無法都市とは一言で言えば巨大なスラムだ。
浮浪者がたむろし、掘っ建て小屋が並び、腐った臭いが充満する掃き溜め。
しかし、それが無法都市のすべてではない。
なぜなら無法都市には――三本の摩天楼がそびえ立っているのだから。
「あれが『血の女王』の城。『紅の塔』か……」
夕日の中、天高くそびえ立つ血のように赤い塔を見上げて言うのは、悪役プロレスラーのような風貌の男。
「どうしたクイントン。怖じ気づいたか?」
そんなクイントンに話しかけるのは、金髪の美青年。
「怖じ気づいた訳じゃねぇよゴルドー。ただこんな高い建物は見た事ねぇからよ」
「ふん……。オレも世界中で戦ってきたが、確かに見事な塔だ。登るだけで1日はかかるだろうな」
二人は『紅の塔』を見上げてため息を吐く。
まるで血の螺旋のように天へと伸びる紅き塔。これがどのように建てられたのか、二人には想像もできなかった。
「塔が立派だからって、そこにいる奴が強ぇわけじゃねぇ。行くぞ」
「所詮はならず者の集まりさ。『血の女王』の首、オレたちが頂く」
クイントンとゴルドー、対照的な風貌の二人だが、初めて話したときから不思議と馬が合った。それは同じ相手に負けた共通点があったからかもしれないが、とにかく二人は武神祭から仲良く行動を共にしてきた。
二人は夕暮れの無法都市を歩く。中心部へ進むにつれて、荒れ果てたスラムから、多文化が融合した雑多な都市へと印象を変える。
「驚いたな……」
「ああ……気をつけろ」
外から見るだけでは決して分からない無法都市の内部。
変化は建物だけではない。道を歩く住人もただの浮浪者ではなく、獲物を狙うギラついた眼を二人に向けてくる。
雑魚は1人もいない。
クイントンとゴルドーも、それを理解した。
いつでも剣を抜けるよう警戒しながら進むと、雑多な街並みに陰鬱な統一感が出てくる。
それは『血の女王』の縄張りに入った証。
二人も空気の変化を察知した。
「近いな」
住人は不思議と見当たらない。しかし、家の中で蠢く気配を感じる。『紅の塔』も随分近くに見える。
二人は気を引き締めた。
そして『紅の塔』へ辿り着いた。
「ここが塔の入り口……!」
クイントンが巨大な扉に近づく。扉には繊細な彫刻で禍々しい人ならざるモノが描かれていた。
「行くぞ」
クイントンが扉に手をかけた、その瞬間。
「ヒヒッ、待ちなぁ……」
何者かに声をかけられた。ひどくかすれた聞き取りづらい声だ。
手を止めて辺りを探すと、扉の脇に薄汚れたボロ布が落ちていた。よく見るとわずかに動いているそれは――ボロ布に包まった人だ。
「お前らに扉を開ける資格は無い……」
そう言ってボロ布に包まった人は立ち上がる。
それは、痩せ細った男だった。背はクイントンを超えるほど高いが、頬はこけ目は窪み骨と皮だけの有様だ。くすんだ汚らしい白髪が肩まで伸びている。
生ける屍。そう形容するのが最も適しているだろうか。
「資格がねぇだと?」
「この扉を開けていいのは下僕か客人か強者だけだ……」
「ふん。確かに俺らは下僕でも客人でもねぇ。だが『血の女王』を狩る強者だ」
クイントンはその白髪の男を見上げてニッと笑う。
ギョロリとした目がクイントンを見下ろし、そして嗤った。
「ヒヒッ、ヒヒヒッ、ヒッ、ヒッ、ヒヒヒッ……」
「何が可笑しいッ!?」
「ヒヒッ、ヒッ、俺は自分を愚物だと思っているが……自分以上の愚物を見るのはいつだって面白い……」
「何だとッ!」
「ヒヒッ、身の程を知れ……こうなってからでは遅い……」
白髪の男がボロ布の一部を剥ぎ取った。
露わになったのは彼の右半身。
しかし、そこには右肩から先が無かった。
「これが4年前『血の女王』に挑んだ愚物の末路……愚物は利き腕を落とされて、今は無様に飼われる『番犬』だ……」
彼の首は頑丈な首輪で鎖に繋がれていた。
「はッ。俺は武神祭の猛者クイントンだ。そんでこいつは『常勝金龍』ゴルドー。てめぇみたいな雑魚とは違うんだよ!」
「ヒヒッ、知らないねぇ……自分より弱い奴の名前は憶えない主義で……」
「あぁ? ならてめぇはどこの誰だよ?」
「ヒヒッ、俺はただの『番犬』さ……だが昔は……『白い悪魔』と呼ばれたこともあったか……」
「『白い悪魔』? 知らねえな。ゴルドー、知っているか?」
クイントンはゴルドーに訊ねる。
「どこかで聞いたことがある気もするが……すまん、思い出せない」
ゴルドーは首を横に振った。
しかし、その目は『番犬』を注視し警戒している。
「だとよ、無名の雑魚さん」
「ヒヒッ、いいさ。愚物の名など、忘れ去られた方がいい……」
「悪いが通らせてもらうぜ」
「俺は『番犬』だ……雑魚を通すわけにはいかなくてなぁ……」
「……どうなっても知らねぇぞ」
クイントンは立ち塞がる『番犬』を睨みつけ大剣を抜いた。
『番犬』も左手に細長い片刃の剣を抜く。それは、身の丈を超える長さの美しい刀だった。
「気を付けろ……クイントン」
ゴルドーも剣を抜いて言う。
「気を付けるって、何を?」
「その男……力の底が見えない」
「はぁ? この骨と皮だけの隻腕が? バカ言えッ!」
クイントンが忠告を無視して斬りかかった。
大剣の軌跡が夕日で輝いた――次の瞬間、血飛沫が舞った。
「……ぁ?」
半ばで断ち切られた大剣が、地に落ちて乾いた音を立てた。
「ク、クイントンッ!!」
ゴルドーの絶叫と、腹を裂かれたクイントンが倒れるのは同時だった。
「さて……次はお前か……?」
ゴルドーの前に、返り血を浴びた『番犬』が立ち塞がる。
「き、貴様ッ!」
ゴルドーにはクイントンを斬った『番犬』の剣筋がまるで見えなかった。
見えたのは、宙に舞う血飛沫と、折れた大剣だけ。
凄まじいほどの腕前。
利き腕を奪われ骨と皮だけに痩せ細ったこの『番犬』が、それでも尚遥か高みにいることをゴルドーは理解した。
だが、それでもゴルドーは剣を構える。
クイントンとの付き合いは短い。しかし敗北から立ち直ろうとする同じ志を持った仲間なのだ。
「安心しろ……死んじゃいない。死んだら使えなくなるからなぁ……」
『番犬』は嗤った。
「よくもクイントンを!!」
ゴルドーは魔力を剣に集め彼の最強の技を放つ。
「邪神・秒殺・金龍剣ッ!!」
技を放つその瞬間、ゴルドーの視線と『番犬』の視線が交わった。
おぞましく血走った『番犬』の黒い瞳。
ゴルドーはその底知れない瞳を見て『白い悪魔』の記憶を思い出した。
「ま、まさか貴様はッ……」
『番犬』の唇が吊り上がった。
この片腕の『番犬』が『白い悪魔』だとしたら――。
ゴルドーは絶望的な差を理解し、咄嗟に剣撃を地面に叩きつけた。
「んん……?」
砂埃が盛大に舞う。
「クイントンッ!! 必ず――必ず助けに来る!!」
そう叫んで遠ざかる足音。
「逃げたかぁ……俺は追わない……『番犬』だからなぁ……」
砂埃を剣の一閃で薙ぎ払い、『番犬』は走り去るゴルドーの背中を見据えた。
「ヒヒッ、だが……無事に逃げられるかなぁ……?」
『番犬』の視線の先で、家々の扉が開き『彼ら』がゴルドーへ襲い掛かる。
「ヒッ、ヒヒッ、ヒヒッ、ヒヒヒッ……!」
『番犬』は天高くそびえ立つ摩天楼を見上げた。
三本の摩天楼がそびえ立ち、三人の支配者が君臨するここが、世界の掃き溜め――無法都市だ。
世界中から悪と、富と、力が集う弱肉強食の世界。
王も、騎士も、魔物も、誰も手出しできない。
ここは無法都市。
ここでは力こそ法なのだ。
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