第95話 モブエスケープからのモブリベンジ

 シドがいなくなった。


 クレアは弟を探して夜の無法都市を疾走する。


「シドのバカッ!! 大人しく待ってなさいって言ったのに!」


 シドが一人で拠点を出たと聞いたとき、クレアは頭の中が真っ白になった。


 今ごろ奴隷にされて売られているだろうさ、と嘲る魔剣士を殴り倒し、クレアは拠点を飛び出した。


 夜の無法都市は危険だ。無法都市は、ただのスラムではない。魔剣士学園の生徒なんてここの住人には獲物でしかないのだ。


「黒髪黒目で15歳くらいの男の子を見ませんでしたか!?」


 クレアは道行く人に訊ねながら必死に探す。クレアに襲いかかってくる住人は返り討ちにする。


 目撃情報を頼りに探し回り、クレアはついに黒髪を見つけた。


 しかし。


 彼は、路地裏でグールに咀嚼されている最中だった。


「や、止めてッ!!」


 クレアは一瞬の間に剣を抜き、グールを細切れに切り刻んだ。


 そして、グチャグチャになった黒髪の男性の死体の前に跪く。


「ぃや……そんな……」


 血に濡れた黒髪。シドの髪もちょうどこれくらいの長さだった。


 身体はグチャグチャで判別もできない。


 だが、有力な目撃情報はこれしかないのだ。


「ごめんねシド……私が無法都市なんかに連れてきたせいで……」


 まだシドだと決まった訳ではない。


 しかし、クレアは血濡れの黒髪を抱きしめて涙する。


 途方もない後悔と謝罪の心に押しつぶされそうだった。


 そんな彼女の後ろに、一人の影が近付いてきた。


「……何の用?」


 黒髪を抱きしめたまま、クレアは問う。


「黒髪黒目の少年を探しているのはあなた……?」


「……え?」


 藁にもすがる思いで振り返ると、そこに赤い髪の美しい女剣士がいた。


「あなたは……?」


「私はミリア。ヴァンパイアハンターだ。黒髪黒目の少年に二人ほど心当たりがある」


「ッ!? 教えてッ!」


「一人目は少し前に見た。暴走したグールの前で「ふふふ……」と微笑んでいた」


 クレアはその姿を想像し、すぐ否定する。


「違う。私の弟はそんな気持ち悪い笑い方しないから」


「そう。二人目は魔剣士の少年だった。『血の女王』の配下に襲われて連れ去られた……」


「ッ! どんな顔でした!?」


「地味で目立たない感じだった……」


 間違いない、シドだ。


「あぁ、そんな……シド……」


「ごめんなさい、助けようとしたけど間に合わなくて……」


「……で、でも連れ去られたということはまだ生きているのよね!?」


「おそらく……彼は……」


 ミリアは言うべきか迷っているようだった。


「何か知っているの!?」


「彼は……贄にされる。もう直ぐ『赤き月』が始まる。それまでに助け出さなければ……」


「教えてッ! シドはどこにいるの!? どうすれば助けられるの!?」


 ミリア少し考えるように視線を彷徨わせ、細切れになったグールの死体を見た。


「これはあなたがやったの?」


「え? ええ。私がやったわ」


「あなたが協力してくれるなら……もしかしたら……。私の目的は『血の女王』エリザベート。そしてあなたの目的は弟の救出。我々は協力できるかもしれない」


 そして、ミリアはクレアに手を差し出した。


「協力してくれるなら、全てを話す」


 クレアは迷わずその手を取った。


「協力する。シドが助かるなら、私は何だってする」


「ついてきて」


 ミリアは路地の奥に進んでいく。


 クレアは立ち上がり、血濡れの黒髪をポイッと捨てた。よく見たらシドの髪とは全然違う。


「待っててシド。お姉ちゃんが必ず助けにいくから……」


 そして、クレアも路地の闇の奥へ消えた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 僕が拠点に戻ると姉さんはいなかった。


 どうやら入れ違いで散歩に出たみたいだ。


 僕は与えられた部屋の窓辺に腰かけて、無法都市の通りを見下ろした。スラム特有の臭いが鼻を刺激する。


 都市に入ってこの臭いをかいだ瞬間、僕は「これ鼻毛が伸びるやつだ」と確信した。


 これは実際に経験のある人しか分からないことだが、空気の汚いところで生活すると人は鼻毛が早く伸びるのだ。


 そして鼻毛が早く伸びるということはつまり……。


 ほじほじ。


「あ、でかいのとれた」


 鼻糞も大量にとれるのだ。


 僕は通りを見下ろしてターゲットを確認する。


 当然のことだが、何の意味もなく鼻くそをほじっていたわけじゃない。僕には大いなる志があるのだ。


 ターゲットは通りを歩くチンピラ。僕はさっき彼にカツアゲされかけたのだ。モブエスケープで逃亡したが、モブの執念を甘く見てはいけない。


 いくぜ、モブリベンジ。


 僕はデコピンスタイルで構えて、ターゲットを狙う。


「ふふふ……くらえ鼻糞ボンバー」


 そして鼻糞を発射、それは狙い違わずターゲットの顔面に付着した。


 モブリベンジ達成だ。


 夜空には真っ赤な月が浮かんでいる。早く遊びに行きたいんだけど、姉さんが帰ってきて寝るまでは出歩けないし。


「姉さん遅いな……」

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