第94話 疼くな……


 魔剣士協会の拠点に着くと、姉さんは会議とやらに呼ばれて行った。


 どうやら有力な魔剣士だけを集めて話し合いをするらしい。


 僕は呼ばれなかった。


 姉さんは文句を言っていたけど、どうにもならなかったようだ。


 姉さんは「大人しく待ってなさい」と言い残して会議に参加した。


 というわけで僕は大人しく散歩でもすることにした。


 外に出るともう夕日が沈んでいた。残照でまだ空は明るかったが、東の空には既に赤っぽい月が昇っていた。


 日に日に月の赤みが増しているような気がするのは気のせいだろうか。


 無法都市の人々は誰も月なんて気にせずに歩いている。


 目の前の客、目の前の獲物、今日を生きるために彼らは必死なのだ。


 そんなわけで僕は記念すべき本日10人目のスリに会った。


 僕はズボンのポケットの分かりやすいところに財布を入れているからよく盗られるのだが、スリに会ったら必ずスリ返すようにしている。


 つまり自分の財布は取り返し、相手の財布も盗り返すのだ。


 所詮この世は弱肉強食。


 今日一日で僕の財布の中身は4万ゼニーから11万ゼニーへと膨れ上がった。不思議なこともあるものだ。


 もしかしたら僕の天職は無法都市の住人Aなのかもしれない。


 散歩するだけでお金が手に入る無法都市は最高だ。


 鼻歌でも歌いたい気分で歩いていると、突然悲鳴が上がった。


「グールだ!! グールが出たぞ!!」


 どうやら近いようだ。


 無法都市の住人の反応は早かった。戦えない人々はすぐに逃げ出す。


 しかし、悲鳴なんて気にもせず営業を続ける露店も多い。


 さらに、ニヤニヤと笑いながら悲鳴の方に向かう人もいる。


「グールが出たってよ。最近多いよな」


「ストレス解消していくか」


 ある者は拳をボキボキ鳴らし、ある者はナイフを抜く。


 僕は彼らの後にこっそり付いて現場に向かった。


 現場に着くと、グールは既に捕らえられていた。


 足を折られたのか地面に転がっている。


「てめー! よくも俺の腕を噛みやがったな!!」


 そして蹴られるグール。


「畜生! 賭けでぼろ負けしたぞ!! てめーのせいだ!!」


 踏まれる。


「マリーちゃんに100万ゼニー貢いだのにフラれたぞ!! てめーのせいだ!!」


 折られる。


 地面に血の海が広がっていく。


 なるほど、生命力の強いグールはいい感じのサンドバッグになるようだ。


 グールは「ァァァア……」と呻きながらなすがままである。


 僕はそんな様子を眺めながら無法都市っていいな、と思った。きっとこの程度の事件ここでは日常茶飯事なのだ。


 血と殺戮に塗れた都市――いいね。


「ふふふ……」


 僕は微笑みながら壁にもたれかかり腕を組んだ。謎めいた少年っぽさを演出する気分なのだ。


 やがてボッコボコに痛めつけられるグールは力なく横たわり、そして集団リンチする男たちも飽きていった。


 もう終わりのようだ。


 気づけば空もだいぶ暗くなってきた。


 帰ろうかな、そう思ったときグールが息を吹き返す気配を感じた。


「ひッ!! や、やめッ!」


 男の悲鳴と、血飛沫はほぼ同時だった。


 突然息を吹き返したグールは男の首に喰らい付き喉を噛み切ったのだ。


「な、なんだこいつッ!! いつもと違ッ!?」


 もう一人死んだ。


 しかし、男たちは動揺しながらも剣を抜く。


 蘇ったグールは……赤かった。


 肌も、瞳も、血のように赤く鋭い牙と爪を剥き出しに――咆えた。


「グァァァアアアアア!!」


 獣のような身のこなしで、グールが跳んだ。


 鋭い爪を薙ぎ払い、男の首を刎ね飛ばす。


「に、逃げろッ!!」


 さすがの無法都市の住人たちも逃げ出すようだ。


 グールは死体に喰らい付き咀嚼し、僕は壁にもたれかかり「ふふふ……」と微笑む。


 さて、どうしよう。


 いつも通りモブっぽく逃げるか……このまま謎の少年っぽくいくか。


 無法都市の住人なんてどうせ二度と会うこともないし、あえて今回はモブっぽさを追求しない手もある。


「ふふふ……」


 うーん。


 と、その時。


 気配を感じて見ると、赤いグールの頭上から一人の細身の剣士が舞い降りた。


 剣士は着地と同時に剣を振り下ろし、赤いグールを脳天から両断する。


 お見事。


 赤いグールを一刀で切り捨てた剣士は、剣の血糊を払い振り返る。


 そして、僕はその剣士と目が合った。


 漆黒の衣に身を包み、魔女みたいなとんがり帽子をかぶった細身の剣士は――赤い髪の美しい女性だった。


 彼女と僕はしばらく見つめ合った。


「逃げた方がいい……」


 彼女は意外にもかわいらしい声でそう言った。


「暴走が始まる……」


 そして思いつめたような顔で空に浮かぶ赤い月を見つめる。


「月が赤い……もう時間がない……」


「君の名は……?」


 言いたいことを言って立ち去ろうとする彼女を呼び止める。


「私は『最古のヴァンパイアハンター』ミリア……。『血の女王』エリザベートを狩る者だ……」


 そして、彼女は夜の闇に消えた。


 なんだろう、この感情は。


 これは――。


 この感じは――疼く。


「ふふふ……」


 僕は赤い月を見上げて微笑む。少し、拠点に戻る時間が遅くなりそうだ。姉さん怒らないかな。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 夜の無法都市で最も賑わうのはいつだって色町だ。


 肌を露わに着飾った女たちが、道行く男を魅惑する。


 そんな色町に、突然悲鳴が響き渡った。


「グールだ!! グールが出たぞ!!」


 しかし、その程度のトラブルは慣れたものだ。


 すぐに娼館の用心棒が現れてグールを退治する。


 いつものことで、この日もそうなるはずだった。


「キ、キャアアアアアアァァァァァ!!」


 娼婦の絶叫と、用心棒が無残に食い千切られるのは同時だった。


 色町に現れたのは、いつもと違う赤いグールだった。


 赤いグールは用心棒を容易く千切り、腰を抜かした若い娼婦に襲い掛かった。


「マリー!!」


 仲間の娼婦が彼女の名を呼ぶが、もう間に合わない。


 そして次の瞬間、赤いグールが両断された。


「え……?」


 二つに分かれて倒れるグールの背後から、漆黒のロングコートを纏った剣士が現れる。


 彼は漆黒の刀を払い血糊を飛ばし、そしてマリ-を見下ろした。


 深く被ったフードの奥、赤く光る二つの目。


「ヒッ……」


 禍々しいその目に、マリーは震えて後退る。


「死にたくなくば逃げろ……」


 漆黒の男は地の底から響くような声で言った。


 逃げられるものなら今すぐ逃げ出したいとマリーは思った。


「暴走が始まる……」


 そして漆黒の男は、赤い月を見上げて呟く。 それは、どこか憂いを秘めていた。


「赤き月……残された時間は僅かだ……」


 最近、なぜか赤い月。


 マリーは不思議だったが、仲間の娼婦たちは誰も気に留めていなかった。


 月が赤くても、世界は何も変わらない。みんなそう思っていた。


「ま、待って……あなたは?」


 マリーは漆黒の男を呼び止めた。


 怖そうな人だけど、彼は助けてくれたのだ。せめてお礼を……。


「我が名はシャドウ……。陰に潜み、陰を狩る者……」


 そして、シャドウは夜の闇に姿を消した。


「ぁ……お礼……」


「マリー!! 大丈夫!!」


 先輩の娼婦に抱きしめられた。


「う、うん。私は無事……」


「よかった……最近こんなことばっかり。『血の女王』だか何だか知らないけど……」


「ま、まずいよそんなこと言っちゃ……」


「ふん、知らないわ。そんなことより、あいつがシャドウなのね……」


「知っているの!?」


「え、ええ、噂だけどね。学園を襲撃したり聖域を吹き飛ばしたりやりたい放題やってる組織の親玉さ」


「悪者なんだ……」


 確かに怖かったけれど、悪者とは感じなかった。彼には大いなる志があるような気がしたのだ。


「そりゃあもう、ここの支配者たちと同じぐらいの大悪党さ。しかしそんな大悪党が何だって無法都市に……」


「暴走が始まるって言ってた。それから、月が赤くて、時間がないって……」


「なんだいそれ。最近『血の女王』が慌ただしいし、シャドウと協力してまた抗争でも始めるのかい。勘弁してくれ、犠牲になるのはいつだって私らだ」


「わかんないけど……違うと思う」


 何が始まるのだろう。


 マリーは不安げに赤い月を見上げた。


 でも不思議と、シャドウが何とかしてくれるような気がした。きっと、彼はそのために来たのだ。


「ありがとう……」


 シャドウが消えた闇に向かって、マリーは呟いた。



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