第90話 それはもう完治しています
ディナーを終えて僕らは夜の王都を歩く。
会計の際にお金を渡そうとしたらいらないと言われた。ガンマのサービスなんだろうけど、姉さんが武神祭優勝したからそっちかもしれない。少し判断に迷う。
「寮の門限過ぎたね」
「パーティーに出席することにして許可はとってあるわ」
「さすが」
夜の道は不思議なほど静かだった。ふと空を見上げると三日月が輝いている。その月が、なぜかいつもより赤く感じた。
「どうしたの?」
月を見上げる僕に姉さんが訊ねる。
「いつもより月が赤い気がしたんだ」
「そう? いつも通りに見えるけど」
「かもね。よく考えたら月の色が赤でも青でも大した問題じゃないし」
でも赤の方がかっこいいよね、と思った。
「『血の女王』の話が途中だったわね」
「だね」
「近ごろ『血の女王』の配下が無法都市の外に出て事件を起こしているのは知っていると思うけど」
当然知らない。
「それを重く見た周辺国は魔剣士ギルドに『血の女王』討伐を依頼したわ」
「ふむふむ」
「一流の魔剣士を集めた討伐チームが結成される。我が強い連中が多いからチームとは言っても仲良く手を取り合ってという訳にはいかないでしょうけど」
「ほうほう」
「だからこそ私のついでにアンタを連れて行けるってわけ。心配しなくてもアンタは安全なところで見てればいいわ。後のことは私がやるから。大丈夫、私のフォローしていたことにすればアンタの手柄にもなるわ」
「なるほど」
「ここで手柄を立てれば騎士団にねじ込むことぐらい簡単よ。前のパーティーで近衛騎士団の団長と親しくなったから、アンタが望むなら話をつけてあげる」
「うーむ」
「討伐は秋休みになるはずよ。気の早い連中は先に出てるでしょうけど、焦る必要はない……」
その時、風が血の臭いを運んできた。
遅れて姉さんも気づく。
「血の臭い。近いわね……」
姉さんは足を止めて暗い路地裏を睨む。
「アンタは後ろについてきなさい」
「わかった」
腰の剣に手をかけて姉さんは路地裏に入る。
少し距離を置いて僕も続く。
暗い裏路地を進むと、黒い影がうずくまっていた。
クチャ、クチャ、と咀嚼音が響く。
「ッ……!」
驚愕の悲鳴を殺して、姉さんが剣を抜いた。
気配に気づいたのか黒い影が振り返る。
それは、血塗れの人間だった。
いや、違う。
ソレの瞳は血のように赤く、だらしなく開いた口には鋭い牙がある。
赤い涎が石畳に落ちた。
ソレの足元には、食い散らかした人間の残骸が転がっていた。
「武器を捨てて投降しなさ……ッ!」
「アアァァァァア!」
ソレは、牙を剥いて姉さんに飛びかかった。
人ではなく、獣に近い動き。
姉さんの剣が月明かりに輝き――そして、ソレの胴が両断された。
「忠告は、したわよ……」
姉さんは両断された肉塊に告げる。
しかし。
「まだ、生きているの……!?」
ソレは上半身だけで地を這っていた。手を伸ばし、姉さんの足を掴む。
「ァァァア……」
「しつこいッ!」
姉さんの剣がソレの首を切断した。
ソレの頭は石畳を転がり歯を鳴らして、ガチ、ガチ、と空気を噛む。
赤い瞳が弱々しく姉さんを睨み、しばらくして沈黙する。
路地裏にむせ返るような濃厚な血臭が広がっていく。
「これはグール……まさか『血の女王』の……?」
綺麗に三等分された死体を見下ろした。形は人だが肌に血の気が無く青白い。瞳も赤く牙も鋭い。
獣じみた動きで生命力も強そうだった。
しかし、理性はもう残っていなかっただろう。
「グールって吸血鬼の手下だっけ」
姉さんは下を向いたまま応えなかった。
「姉さん……?」
「グールも元は人間だったのよね……」
「多分ね」
「最近、怖くなるの。いつか私もこんな風になるんじゃないかって。理性を失くした化物に……」
いつになく弱々しい声である。
「ローズ王女は悪魔憑きだったらしいわ……ただの噂だけど。でも……誰にも言っていなかったけど、私……悪魔憑きなのかもしれないの……」
振り返った姉さんは、少し悲しそうに微笑んだ。
「昔、背中に黒い痣ができて、怖くて誰にも言い出せないうちにどんどん広がっていった。でもある日を境に急に良くなって、気づいたら嘘みたいに黒い痣は消えていたの。よかった、治ったんだって安心した。でも、最近詳しく調べてみたら悪魔憑きって治ることは無いらしいわ。もし、あの黒い痣が悪魔憑きだったとしたら私はいずれ……」
「それあんまり心配しないほうがいいというか……」
治療済みなんだよね。
「バカね、冗談よ。私が悪魔憑きのはずないじゃない」
姉さんは笑って夜空を見上げた。
「でも……いつまでも私が付いていられるとは限らないから……。だから、秋休みは空けときなさいよ」
「了解」
「この話は終わり。騎士団を呼びに行きましょう」
姉さんは逃げるように歩き出した。
ふと夜空を見上げると、今日の月はやっぱり少し赤かった。
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