第126話 黒いジャガ

 ミツゴシ商会の刺客を撃退した僕は、昼はいつも通りの生活を送りながら、夜は陰のエージェントとして過ごしていた。


 秘密裏にユキメと連絡を取りつつ、偽札の流通を助け、出所を探ろうとする者を排除する。


 偽札の流通量も増やしており、そろそろ大商会連合にも怪しむ者が現れるだろうとユキメは言っていた。


 しかし、現状はまだミツゴシ商会にしかバレていないわけで僕の仕事は少ない。


 ミツゴシ商会も警戒したのか、動きはない。


 暇である。


 エージェントっぽいかっこいい活躍がしたい。


 そんなことを思いながら日々隠れて偽札馬車を警備する僕だったが、ついにその日が訪れた。


 夜道を走る馬車に、音もなく近づく僅かな気配。


 ――刺客。


 それも相当な手練れだ。


 ほとんど気配がない。というかこれほどうまく気配を消せる人間を僕は一人しか知らない。


 そして、闇の中から見覚えのある黒い影が現れる。


 黒いボディスーツに身を包んだ女性。しなやかな筋肉と、柔らかな身のこなし。


 間違いない、彼女は――デルタだ。


 なるほど、あの三人が撃退されたから、最強戦力を投入したわけだな。


 だが、相手が悪い。糸使いのジョン・スミスは脳筋に相性がいい戦闘スタイルなのだ。デルタなんて隠し鋼糸で縛ってお疲れ様、だ。いや、彼女は無駄に勘だけは鋭いから、もしかすると全部避ける可能性あるよな。


 むしろ、全然あり得る。


 あれ、まさか逆に一番相性悪い相手ってデルタじゃないの。


 ま、いいや。いざとなったら本気モードで行くし。


 そんなことを考えながら、僕はデルタの前に姿を現した。


「俺はジョン・スミス。この先は――」


「――ボス? 何してる?」


 デルタは鼻をスンスン鳴らしながらそう言った。尻尾は嬉しそうにブンブン振られている。


「お、俺はジョン・スミス。貴様のボスじゃ――」


「ボス! デルタと狩りする?」


「……狩りはしない」


 あかん、完全にバレてる。


 お風呂に入って香水ぶっかけてきたのに、デルタの鼻を甘く見ていた。


 僕は仮面を取って姿を現した。


「ボスがジョン・スミス?」


「ま、そうなるね」


「ぅぅ、デルタじゃジョン・スミスに勝てない。アルファ様に知らせなきゃ」


「待った!」


 僕は走り出そうとしたデルタの尻尾を掴んで引き留めた。ごめんちょっと毛が抜けた。


「キャンッ! 尻尾ダメ!」


「ごめんごめん、デルタ、よーく聞くんだ。僕は今、秘密のシークレット任務をしているんだ」


「秘密のシークレット任務?」


「そうだ、秘密のシークレット任務とは、誰にも知られてはいけない秘密でシークレットな任務の事だ」


「かっこいい! デルタもする!」


「いや、この任務は僕にしかできない。だが、デルタがアルファにジョン・スミスのことを報告すると、秘密のシークレット任務は失敗してしまう。なぜだかわかるね?」


「わからない!」


「秘密でなくなってしまうからさ。だからこのことは誰にも話しちゃだめだよ」


「でも、デルタはアルファ様の任務が……」


 デルタは耳を伏せて僕を見た。


「大丈夫、僕がデルタに新たな任務を与えよう。シャドウガーデンのルールを覚えているね」


「覚えてない!」


「僕が与えた任務は何よりも優先されるんだ。アルファの任務よりね」


「アルファ様に怒られない?」


「怒られない」


 間違いなく怒られるな、と僕は思った。


 そもそもデルタは現在ミツゴシ商会の任務で動いているわけで、そこに昔決めたどうでもいいシャドウガーデンルールを持ち込むのは完全に筋違いなわけだ。


 すまんデルタ、全部終わったら一緒に謝ってあげるから。


「これも世界のためだ……」


「世界のため……?」


「そう、世界のため」


「世界のため!」


「うん、ごめんねデルタ。任務が終わったらご褒美になにかしてあげるから」


「何でもする!?」


 デルタが目をキラキラさせながら尻尾をブンブン振った。


「何でもはしない。僕にできる範囲で、かつあまり手のかからない範囲で、かつお金もかからない範囲で、できることをしようと善処する」


「ボスが言うこと聞く!?」


「今言った範囲内でね」


「やったぁ! 任務する!」


「任務は何にしようかな。そうだ、ここからまっすぐ行くと無法都市があって、そこに黒い塔があるんだ。その塔にいるジャガノートって奴が悪い盗賊だから狩っておいで」


「無法都市、黒い塔、ジャガノート? 狩ればいい?」


「そうそう」


「分かった! 狩ればボスが言うこと聞く!」


「さっき言った範囲内でね。あまり急がなくていいから、時間をかけてゆっくり行っといで」


「無法都市! 黒いジャガ! 狩って来る!」


 そう言ってデルタはダッシュで行ってしまった。


 ちょっと違う気もするが、まあいいや。


 デルタを王都から離せただけで良しとしよう。デルタは演技できないから隠し事してもすぐバレるからなぁ。


 あれだけの情報だと見つけ出すまでに時間かかるだろうし、ちょうどいいだろう。


 まだ偽札は流通しきっていない、正体がバレるには早いのだ。


 さて、警備続行しますかね。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「ジョン・スミスを追っていたデルタの消息が途絶えました」


「――ッ!?」


 ガンマの報告を聞いたアルファは、ペンを落としてガンマを見た。


「現場には、これが……」


 そう言ってガンマが見せたのは、デルタの尻尾の毛だった。無理やり引きちぎられたようなその毛に、アルファは怒りがこみ上げてきた。


 ガンマの瞳は冷静だった。しかし、その奥に抑えきれない怒りが燃えている。


「そう……デルタが……」


 自分の声が想像以上に弱々しいことに気づいて、アルファは少し冷静になった。


 覚悟はしていたことだ。


 いつか、誰かが犠牲になる。それが、今日訪れたのだ。


「デルタがアルファ様の任務を放棄するとは思えません。あいつは、あのバカは……バカだけど、力だけはあって、アルファ様の言うことは……」


「いいの、わかっているわ」


 震える声で言葉を絞り出すガンマを、アルファは慰める。


 デルタはその戦闘力の高さからいつも危険な仕事を任される。シャドウガーデンで最も危険な仕事をするのはいつだって彼女だった。彼女が戻らないことがあるとすれば、それはほぼ彼女の死を意味する……。


 まだそうだと決まったわけではない。だが、望みは薄いだろう……。


「デルタの捜索は続けて。せめて、遺体の回収だけでも……」


「はい」


 そしてアルファはデルタの遺髪を受け取った。それを大切に布でくるみ懐へしまう。


 ジョン・スミスの危険性は664番から聞いていた。デルタを一人で行かせるべきではなかったのだ。


 デルタが負けることがあるとすれば、罠に嵌められるしかない。


「ジョン・スミス……ッ!」


 低く、深い声がアルファの喉から湧き出た。


 ギリッと彼女の奥歯が鳴った。

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