第125話 関わるな
鋼糸が月明かりに照らされて光る。
その僅かな光を頼りに、664番は絡み付く糸を回避した。
速さ、という意味ではそれほど厄介ではない。しかし問題は目視の難しさと、予測不能な動き、そしてその数だ。
ジョン・スミスの両手の指は十本、しかし彼はその数倍の鋼糸を操っていた。
それが四方から襲い来る。
その角度とタイミングが何より憎らしい。
664番の動きを予測し、その逃げ道を塞ぐように置いてある。そして、さらに回避する方向を限定し、664番の動きを誘導する。
結果――近づけない。
刀より糸の方がリーチが長い。彼女たちは近づかなければ攻撃できない。
にもかかわらず、彼女たちは戦いが始まって、一歩たりとも距離を詰めれていなかった。
いや、むしろ遠ざかっている。
その男はたった数秒で、完全に、この場を支配していた。
彼はその場から一歩も動かない。
ただ十本の指で鋼糸を操るだけで、三人の少女たちは逃げ惑う。
彼女たちはまるで、彼の意図に操られる三体の操り人形のようだった。
「みんな、退いて」
664番の指示に、二人はすぐ反応し糸の間合いの外に出た。
ジョン・スミスの間合いの中にいる限り、こちらが消耗するだけだ。
しかし、攻め手がないことに変わりはない。
三人は互いに顔を見合わせて、首を横に振った。
この男は――強い。
鋼糸という見慣れない武器への戸惑いもあるが、それを考慮に入れても彼の場を支配する力はずば抜けている。
数十本の糸を正確に操作し、彼女たちの動きを予測し、誘導する。それは、並大抵の実力ではできないことだ。
664番は自分より強い人間を何人も知っている。
この場にいる666番もそうだし、ナンバーズと呼ばれる組織の幹部、そして七陰という圧倒的な力を持つ最高幹部たち。いずれも彼女よりはるかに強い力を持っている。
しかし、このジョン・スミスは彼女の知る強者とは質が違った。
彼の強さは魔力でも筋力でも速さでもなく、そしてそれを操る技術でもない。
いや、確かに鋼糸を操る技術は高い。しかし彼の強さの本質はそこではないのだ。
ジョン・スミスの強さは――場の支配力にある。
664番は分隊長として二人に指示を出す立場だから分かる。戦いの全体を俯瞰することで、流れを深く理解し先を予測しなければできない芸当だ。
つまりジョン・スミスは戦闘に関する極めて高い思考力を有しているのだ。
「どうした……来ないのか?」
ジョン・スミスは一歩も動かない。ただその場で、仮面の奥から彼女たち三人を見下ろしている。
そこにあるのは余裕。
何が起きても対処する自信があるのだ。
夜の空に展開された糸は、彼女たちの攻め手を完全に断っている。
下手に動けば、絡めとられる。
撤退も、視野に入れるべきだ。
666番は反対するだろうが、抑え込むしかない。
彼女がそう考えた、次の瞬間。
「来ないなら、こちらからいかせてもらおうか――」
「え……!?」
ジョン・スミスが僅かに指を動かした。
それと同時に、664番は自分の首に巻き付く細い糸に気づいた。
そんな――いつの間にッ!?
しかもここは間合いの外のはず。
「糸の長さが同じだと誰が言った? 当然、太さも違う……」
「そんな――!」
首に巻きつく糸をよく見れば、それは極めて細く見づらかった。
664番が今まで見ていた糸は、ジョン・スミスが彼女たちに見せていた糸だったのだ。
「まさか最初から……」
「そう――最初から、だ……」
664番は完全に操られていたのだ。
彼女の顔が屈辱に歪み、そして糸が首を締め上げる。
高濃度に圧縮された魔力が糸に通っている。彼が少し力を加えれば、その糸は容易く首を断ち切るだろう。
「殺すならさっさと殺しなさい。何も話す気はない」
彼女はジョン・スミスを睨みつけた。
665番も666番も拘束されている。その時の覚悟はもう、できている。
首の糸に力が加わった。
その瞬間、666番が動いた。
彼女は前に出た。
ただ単純に、ジョン・スミスが糸を引くより速く、前に出たのだ。
「ハァァァァァァァァァ!!」
速く、ただひたすら速く――。
彼女はジョン・スミスに突貫する。
「正解だ……」
しかし、彼の余裕は微塵も揺るがなかった。
彼はただ、右手の指を軽く引いた。
「だが、仕掛けた糸が首だけだと誰が言った?」
突然、666番が転倒した。
彼女は転倒し、そのまま不自然な動きで宙に浮かび、そのまま吊り上げられた。
そう、彼女の四肢には、既に無数の糸が巻き付いていたのだ。
そして、それは当然、残りの二人も同じだ。
「くッ……! 殺せ――!」
完全に動きを封じられ、664番は呻いた。
だが、彼はただ締め上げるだけで殺さなかった。
「貴様らを殺す意味は無い。末端を殺しても次が来る、それだけだ。これは、忠告だ」
そして無機質に告げた。
「関わるな――」
たった一言、そう言って彼は彼女たちを解放した。
「ゲホッ、ゲホッ」
咳込みながらも、ジョン・スミスを睨む666番。
664番は即座に飛び掛かった。
そして666番を抑え込む。
「もう止めなさい! 退くわよ」
「――ッ!」
666番は悔しそうに俯いた。
「ジョン・スミス……必ずガンマ様に知らせなくては」
彼がいる限り、偽札の出所は判明しない。そして彼ほどの実力者がいるということは、そこには強大な組織が存在する。
664番は去り行くジョン・スミスを見据えた。
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