第78話 寸止めあるある
試合の時間が近づいた僕は、トイレに行くと言って抜け出して選手控室へと急ぐ。姉さんは1回戦無事勝ったみたいだ。もしかするといいところまで勝ち進むかもしれないな。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、前から来た灰色のローブの人とすれ違った。
その瞬間、僕は足を止めた。
少し遅れて、相手も足を止めた。
そして、振り返ったのは同時だった。
灰色のローブ隙間から青い瞳が、僕を見据えていた。
「エルフの匂いがする」
ハスキーな女性の声だ。
色褪せた灰色のローブはところどころほつれている。
僕は何も言わずに続く言葉を待った。
「エルフの知り合いがいる?」
青い瞳は探るように僕の瞳を覗き込む。
「エルフの友達が何人かいるよ」
特に隠す必要もなかったし、そのまま言った。
「私はエルフを探している」
「そうなんだ」
「かわいい子だった」
「へー」
「心当たりはないか?」
「そう言われましても」
「私とよく似ているはずだ」
「そっか」
「妹の忘れ形見だ」
「へー」
「私とよく似たエルフに心当たりはないか?」
「あの」
「心当たりあるか?」
「ローブで顔が見えないんだけど」
「そうだった」
彼女は顔のローブをとってその素顔を曝した。
僕は何も反応しなかった。
意識して何も反応しないようにした。
彼女の顔は、アルファによく似ていた。
「ちょっと心当たり無いかな」
「本当?」
「うん」
今度アルファに会ったら確認したほうがいいかもな。うり二つとまではいかないけれど、親族と言われれば納得するぐらいよく似ている。
「そうか」
彼女は残念そうに肩をすくめて、自然な動作で剣を抜いた。
殺気も、予備動作すらない、必殺の一撃。
僕は視界の端でそれを見て、受け入れた。
分かってる、寸止めでしょ。
結果、彼女の剣は僕の首に触れて止まった。
ただ触れているだけ。皮一枚も斬っていない。
そしてこの絶妙なタイミングで。
「うわッ!?」
腰が抜けたふりをして座り込む僕。
うん、及第点かな。
「む?」
彼女は首を傾げて剣を引いた。
「間違えた、ごめん」
そしてペコリと頭を下げる。
「もっと強いと思った。君の名は?」
手を差し出して、彼女は言う。
「シ、シド・カゲノーです……」
僕は震える声で言って、その手を取って立ち上がる。
「私はベアトリクス」
ベアトリクスは僕の手を握ったまま離さない。
「あの……?」
「いい手だ。君は強くなる」
そして綺麗な微笑みを見せた。その微笑みはアルファにとてもよく似ていた。
「驚かせてごめん」
最後にもう一度謝って、ベアトリクスは背を向けて立ち去る。
僕は遠ざかる背中を眺めて、
「……けっこう強いかな」
呟き、踵を返した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アイリスは特別席で試合が始まるのを待っていた。
特別席からは会場が一望でき、専用の階段から直接試合場へ降りることもできる。
試合場には既に2人の魔剣士が呼ばれていた。
一人はアイリスも注目しているアンネローゼ。水色の髪の女剣士。
もう一人は初めて見る黒髪の剣士ジミナ・セーネン。
アイリスは目を鋭くして二人を眺めていた。
「ちょうど始まりますね」
アイリスの隣に男性が座った。
そこは、シドの席だ。
「その席は……」
「何か?」
アイリスは男の顔を見て言葉を止めた。ごめんなさい、とシドに心の中で謝罪する。
「ドエム殿……」
「アイリス様、ご機嫌麗しゅう」
優雅に微笑むドエムだったが、しかしその目は笑っているように見えなかった。
「アイリス様と観戦できるとは夢のようですな」
「お戯れを。ドエム殿には婚約者がおられるではないですか」
「あいにく逃げられてしまいまして。なに、心配いりません。ただの痴話喧嘩ですよ」
軽快に笑うドエムだった。
三十前後の割と端正な顔立ちをしているが、アイリスはドエムの笑顔が好きになれない。
「オリアナ国王のお加減は優れませんか?」
「残念ですが今日も欠席されるようで。ですが明日は必ず出席すると言われていましたよ」
アイリスの問いにドエムはそつなく答える。
「明日からはちょうどミドガル王も出席されます」
「それは、奇遇ですな」
アイリスはドエムの目から何かを探ろうとするが、その笑わない目からは何も読み取れなかった。
「彼女が噂のアンネローゼですか」
会場を見てドエムが言った。
「ええ」
「今最も勢いに乗っている剣士ですな。ベガルタを出て修行の旅の途中らしいですが、ぜひ我が国にお招きしたいところだ」
「そうですね。彼女ほどの剣士であれば、ぜひミドガル王国にもお招きしたい」
「はは。ミドガル王国には優れた魔剣士がたくさんいるではありませんか。それに比べて我が国は……」
「そのための同盟です」
「ですがミドガル王国に頼りきりというのも心苦しい」
「そうですか……」
疲れる。アイリスは心の中で溜息を吐いた。
まるで人形とでも話しているような気分だ。
「対戦相手のジミナはどうですか?」
「彼の試合を見るのは今日が初めてですが。あまり良い噂は聞きませんし、強そうにも見えません」
「ではアンネローゼの勝ちで決まりですね」
「いえ……彼は少し、不気味です」
アイリスは曖昧な口調だった。
「不気味ですか?」
「はい。彼は決して強そうに見えない。ですが、弱者では在り得ない特徴があるのです」
「ほう……それは?」
「絶対の自信です。私の目には……彼は勝利を確信しているように見える」
「ただの自惚れでは?」
「かもしれません。ですが彼の目に迷いがない。揺ぎない勝利が……少なくとも彼には見えているのです」
「なるほど、少なくとも彼には見えている、か。ならばアイリス様には見えますか?」
「いえ。ドエム殿は?」
「私ですか? 私は剣のことはさっぱり」
「そうですか」
とぼけるドエムの鍛えられた手を、アイリスは一瞥する。
「さすがにアイリス様にはごまかせませんか。オリアナ王国では、剣は蔑まれていますのでお許しください。正直に申し上げますと、それなりに使えますよ」
「それなり、ですか」
「ええ、それなり」
ドエムは目だけが笑わない笑みを浮かべた。
「さて、絶対の自信とやらがどれほどのものなのか……見せてもらいましょうか」
そして、会場を見下ろす。
「アンネローゼ対ジミナ・セーネン!!」
両者の名が呼ばれ。
「試合開始!!」
始まった。
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