第59話 不可避の一撃

 闘いは、シドが吹き飛ばされて始まった。


 彼は凄まじい勢いで石壁に激突し血を吐く。


 崩れ落ちそうになるシドを、オリヴィエは許さない。聖剣を横薙ぎに、シドの首を狙う。


 首が落ちた――そう錯覚するほど瞬時の攻防だった。


 オリヴィエの横薙ぎを、シドは腰を落とし辛うじて避けていた。石壁に深い横一文字が刻まれる。


 しかし、すぐに追撃が来ることを彼は知っていた。だから彼は一歩前に出て、間合いを潰す。


 だがそんな彼の抵抗は無駄に終わる。


 シドが一歩前に出るより、オリヴィエが半歩下がる方が遥かに速かったのだ。


 中途半端に前に出た無防備な彼を、オリヴィエの剣撃が吹き飛ばす。


 キィン、と甲高い音が響き、シドの剣が折れた。


 防御は間に合ったようだが、安物の剣は半ばで折れ、彼の身体は石畳をバウンドし転がった。


 もはや闘いとは呼べない。あまりにも一方的だった。


 しかし、これは当然のことなのだ。


 技術うんぬんの話ではない。力、速さ、体力、単純な能力の次元が根本から違う。


 大人と赤子では闘いが成立しないように、魔力を使えない少年と、魔力を使える英雄とが戦えば、こうなることは分かり切っていた。


 最初の一撃で決着がつかなかったことが奇跡なのだ。


「オリヴィエ、そんな小僧に手こずるな」


 舌打ちし、不愉快そうにネルソンが言う。


 オリヴィエが動きを止めている間に、シドが起き上がった。彼は鼻血で顔を染め、チッと赤い唾を吐く。


 そして半分になった剣を眺め、確かめるように振った。まるで、その剣をまだ使う機会があるかのように。


「何をしている」


「ん?」


 ネルソンの問いに、シドが首を傾げた。


「その折れた剣で、何かできるとでも思っているのか?」


「どうだろ。でも、できることは減ったね」


「その顔は何だ」


「ん?」


「どうして貴様は笑っている」


 問われて、シドは自分の頬に触れた。確かに彼は笑っていたのだ。


「立場を弁えない人間ほど不愉快なものはないな。貴様が生きているのは、ただ運が良かっただけだ」


 ネルソンが手を払うと、オリヴィエが動いた。


 彼女はいとも簡単にシドの背後をとり、聖剣を振り下ろす。


 反撃も、防御も、回避も、全てが間に合わない。


 彼にできたのは、ただ身体を前方へ倒すことだけ。


 そして、シドの背中から血飛沫が舞った。


 皮が裂け、肉も斬れたが、致命傷だけは回避する。そうやって生き永らえることしかできなかったのだ。


 無防備な彼を、さらにオリヴィエが攻める。


 それは反撃など許さない無慈悲な攻めだった。


 血飛沫が舞い続け、シドの身体に浅くない傷跡が刻まれていく。


 しかし、彼はまだ生きていた。


「なぜだ」


 ネルソンが問う。 その声には驚きが含まれていた。


「なぜ貴様はまだ生きている」


 シドは追撃がないことを確かめて、血濡れの身体を起こした。


「対話のない戦いは、単調だ。だから僕はまだ、生きている」


「何を言っている?」


「彼女には心がないんだ。僕の問いに、彼女は答えてくれない」


 彼は少し残念そうに笑った。その口は赤く血に染まっていた。


「もういい、殺せ」


 ネルソンの目は、気味が悪い物でも見るようだった。


 オリヴィエが動き出す、その寸前で闘いに割り込む影があった。


「やめて」


 漆黒の髪に、紫の瞳をした美女。アウロラがシドの肩を抱いて支えていた。


「どうしたの?」


「もうやめましょう」


 アウロラは諭すように言った。


 こうなることは最初から分かっていたのだ。アウロラはオリヴィエの姿を一目見た瞬間、彼女の強さを理解した。


 アウロラの記憶は完全ではない。彼女の記憶は、彼女の人生の途中までしか無かった。その記憶の中にオリヴィエの姿はないが、しかしなぜか危険だとわかった。記憶にないのに、まるで知っているかのように心が怯えた。


 だから、必死で止めようとした。


 だが彼女の予想に反して、シドは闘い抗った。


 もしかしたら、彼なら……。そんな淡い期待もあって止めるのが遅れた。


 でも、もう十分だ。


 ずっと蔑まれてきた彼女の人生で、彼女のために命を懸けてくれた人はいなかった。忘れられない思い出ができたから、もう十分だ。


「あなたが死ぬ必要はないわ。後は私が何とかするから」


「魔力が使えない魔女に何ができる」


 ネルソンが嗤った。


「彼を逃がすことぐらいできる」


 アウロラはシドを庇うように前に出る。


「魔女が人を庇うか。これほど可笑しい話もない。だが……もし貴様が協力するなら小僧の命は助けてやろう」


「協力?」


「ああ、協力だ。貴様が拒み続けたせいで、我々は大きく遅れた」


「何を言っているの」


「ふん、所詮は不完全な記憶か。貴様はただ協力すると誓えばいいのだ。手間をかけさせると、その小僧を殺すぞ?」


 アウロラは一瞬振り返ってシドの顔を見た。


「わかったわ……」


「あの、勝手に話を進めないでほしいな」


 緊張感のない声で、シドは二人の会話に割り込んだ。アウロラが振り返り、彼を睨む。


「ちょっと、あなたのために……」


「必要ない」


 そのままシドはアウロラの前に立つ。


「さっきから聞いていたけど、まるで僕が負けるかのように話をしないでほしい。とても不愉快だ」


「つくづく、憐れな小僧だ。状況をまるで理解できんとは。素直に従っていれば、貴様を見逃してやろうというのに」


「だから、必要ない」


 シドは振り返ってアウロラを見た。


「君はそこで見てればいい」


「もういい、殺せ」


「待ってッ!!」


 アウロラの手は届かなかった。


 シドは踏み込み、オリヴィエと衝突する。


 オリヴィエは愚直に前に出る彼を、その聖剣で迎撃する。


 彼女の選択は突きだった。


 その最速の一撃は、空気を切り裂き、そのまま彼の腹部に突き刺さった。


 ただ無情に、貫通する。


「捕まえた」


 彼は、貫かれたまま血濡れの顔で嗤った。


 彼はオリヴィエの腕を掴み全力で引き寄せる。筋肉が隆起し限界を超えて悲鳴を上げる。


 一瞬だけ、オリヴィエの動きが止まった。


 その距離は、半分に折れた剣の間合い。


 首の動脈を狙ったシドの剣を、オリヴィエは上体を反らして避ける。


 オリヴィエの重心が崩れた。


 シドは剣を捨てオリヴィエに抱き着き、そのまま押し倒す。


 そして、頸動脈に喰らい付いた。


 彼女の細首に歯を突き刺し、その動脈を噛み切る。


 強く抱きしめて、暴れる腕を押さえつけ、咀嚼する。その歯が細首を噛む度、オリヴィエの身体が痙攣した。


 そしてついに、オリヴィエが粉々に砕けた。鏡が割れるかのように砕け、そのまま消えていった。


 後には血濡れのシドが残った。


「そ、そんな、オリヴィエが……。貴様は何なんだッ! なぜ腹を貫かれて生きているのだ!」


 ネルソンの問いは当然のものだった。腹を貫かれたシドの傷はどう見ても致命傷だ。


 生きていることが不思議なのに、その傷でオリヴィエを倒すなど人に成せることではない。


「人間は簡単に死ぬ。後頭部を軽くぶつけただけで死んでしまうことは珍しくない。僕だってそうさ。コツンと、頭を殴られればそれで終わりかもしれない」


 彼は立ち上がり、自分の身体を確かめるかのように傷を撫でた。


「でも、急所さえ守っていれば人間は頑丈なんだよ。腹を貫かれても、動脈と大事な臓器さえ守っていれば死なない。それって、とても素敵なことだと思わない?」


「素敵なこと……?」


「そうさ。攻撃を避けて反撃する、その手間がなくなる。顔を殴られながら、相手の顔面を殴れるんだ。腹を貫かれながら、相手の首を噛み切れるんだ。攻撃と防御が一つになって、反撃のテンポが極限まで早まる。不可避に近い反撃ができるんだ」


「頭が……おかしいんじゃないか?」


「無事なのね……?」


 心配そうなアウロラに、シドは頷いて応えた。


「それで、エルフさんは消えたけど、次の相手はおっさんでいいのかな?」


 ぐっ、とネルソンは狼狽えた。


「わ、分かった。オリヴィエがやられるとは思わなかった! 君はとても強いようだ、私が悪かった、謝る!!」


 ネルソンは頭を下げて、そしてクツクツと嗤った。


「……とでも言うと思ったか? 確かに、魔力を使えない小僧がオリヴィエを倒したことには驚いた。大した小僧だよ、運がよかっただけだろうがね。それでも勝ちは勝ちだ。おめでとう」


 ネルソンは頭を上げて、パチパチと手を叩く。


「だが、質の悪いコピーを1体倒した程度でいい気になるなよ。聖域には計り知れない魔力が眠っている。だからこういうことも、可能だ」


 そしてネルソンが腕を振ると、辺り一面に光が溢れた。


 光が収まるとそこに、オリヴィエがいた。


 1人ではない。


 遺跡を埋め尽くすかのように、数え切れないほど多くのオリヴィエが現れた。


「嘘……そんな……」


 アウロラが慄く。


 シドは致命傷こそ負っていないが、それでも重傷だ。もう闘える身体ではないはずだ。


「これが聖域の力だッ!!」


 無数のオリヴィエがシドに殺到する。


 シドは薄く笑った。


「驚いたよ。でも……時間切れだ」


 全方位から迫るオリヴィエを、彼は……薙ぎ払った。


「なッ!?」


 彼の手には、いつの間にか漆黒の刀が握られていた。


「その刀はどこから……いや、まさか魔力を使えるのか!?」


 シドの身体には青紫の魔力が漲っていた。


 極めて高濃度の、可視化された魔力。想像を絶するほど研ぎ澄まされた魔力は、ただ美しく輝いた。


「練った魔力が吸い取られるなら、吸い取られないほど強固に練ればいい。少し時間はかかったけど、簡単な話さ」


 簡単なわけがない。それは魔女と呼ばれたアウロラにも不可能な芸当だった。


「そ、そんな……あり得ない!! そんなことができるものかッ!! は、早くこいつを殺せ!!」


 恐怖に引きつった顔で、ネルソンが叫ぶ。


 再び、無数のオリヴィエがシドに向かう。


 しかしシドは漆黒の刀を長く伸ばし、群がるオリヴィエを一掃する。


「嘘だッ!? オリヴィエが、あのオリヴィエが!!」


「言ったろ、時間切れだって」


 次から次へ、オリヴィエがシドに向かう。


 彼女らは漆黒の横薙ぎで弾き飛ばされるが、それでも消える者はほとんどいない。聖剣で防ぎ、何度もシドに向かう。


「さすがに強いね、きりがない」


 オリヴィエが群がり、シドが追い払う。その動きが瞬く間に繰り返される。


 その度にシドの傷口から血が滴り、彼の顔が苦痛に歪む。


 この均衡もそう長くは続かない。誰もがそれを理解した。


「ははっ、そうだ、その調子だ!!」


 ネルソンが追いつめられた顔で笑う。


 アウロラは窮地の彼を見ながら、涙を浮かべた。


 もしかしたら……彼なら自分を救ってくれると、淡い希望を抱いていた。


  でも、それ以上に……。


「お願い無事でいて……」


 アウロラは彼の無事を願った。


 その瞬間。


「ねぇ、聖剣を抜いて、鎖を斬って、核を破壊するんだっけ」


 絶望的な闘いの最中、彼がアウロラに声をかけた。


「ぇ? ええ……」


 アウロラは戸惑いながら答える。


「面倒な手順踏まなくても、全部吹き飛ばせば問題ないよね」


「問題ないけれど……あなたまさか、嘘よね?」


 シドは笑い、全方位に刀を薙いだ。


 オリヴィエが一斉に弾かれ、そこに間ができた。


 シドは逆手に刀を持ち、それを真上に振りかぶる。


 青紫の魔力が螺旋を描き、漆黒の刀身に集約していく。


「アイ・アム……」


「な、何だその魔力は!? や、やめ、やめろおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 オリヴィエが疾走する。


 先頭の一人が、聖剣で突く。


 渾身の一撃が、無防備な彼の胸に届く。


 彼女は正確に、心臓の位置を貫いた。血に染まった剣先が彼の背中から出る。


 アウロラが悲鳴を上げ、手を伸ばす。


 しかし。


「……オールレンジアトミック」


 彼は胸を貫かれたまま刀を振り下ろし、大地を突き刺した。


 青紫の魔力が、一瞬で世界を染めた。


 オリヴィエは掻き消え、ネルソンは蒸発し、聖剣は溶解する。


 青紫の魔力は、周囲一帯全てを飲み込んだ。


 彼の放った一撃は、短距離全方位殲滅型奥義『アイ・アム・オールレンジアトミック』


 その日、聖域は消滅した。

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