第114話 スーパーエリートエージェント、その名は……
秋も終わりが近づき、夜の空気が冷たくなってきた。
虫たちの合唱を聞きながら、僕は寮の自室でスーツに着替える。元々この世界にスーツは無かったが、ミツゴシ商会が広めたおかげで最近は貴族の間で大流行している。
しかし僕が着替えるスーツはミツゴシ商会製のものではなく、ユキメからプレゼントされた雪狐商会製パクリスーツ――ではなくオマージュスーツだ。
黒いスーツに白いシャツ、そして細めの黒ネクタイを合わせる。靴は黒のストレートチップだ。
髪型はオールバックにまとめて、そして最後に顔の上半分を隠す白い仮面を装着する。
気分はFBIエージェント。
スライムボディースーツが楽だし機能的にも最高なんだけど、まだ彼女たちにバレるわけにはいかないからね。
僕は世界の裏で暗躍するスーパーエリートエージェントなのだ。
そんなことをしているうちに、そろそろユキメとの約束の時間だ。部屋のランプを消して、僕は窓から飛び出し闇の中を駆けた。
気配は完全に消した。
追手もいない。
学園の敷地を抜けて森の中を駆けること数十分、滝の音が聞こえて視界が開けた。
そこに、渓流と寄り添うように建つ邸宅があった。
森と、滝と、渓流と、見事に調和したその邸宅は落水邸と呼ばれている。
有名な建築家が設計したらしいここが、ユキメのアジトだ。
僕は気配を消したまま、暖かな光りが漏れる窓から静かに室内へと入った。
暖炉の前のソファーにユキメは座っていた。
白銀の髪が暖炉の光で輝ている。
コツ、コツ、と靴を鳴らして歩くと、ユキメが振り返って微笑んだ。
「相変わらず気配がありんせんなぁ、シャドウはん」
「……その名は捨てた」
僕は静かにそう言って、ユキメの向かいのソファーに腰かけ脚を組んだ。
「そうでありんした、今はジョン・スミスはんでしたなぁ」
「ああ、それが俺の名だ」
僕はスパーエリートエージェントのジョン・スミスとして生まれ変わったのだ。一人称は不敵なエージェントっぽい『俺』を選択した。
「ジョンはんが仲間になってくだすってほんまに心強いわ。飲みはります?」
「もらおう」
ユキメは開けた胸元を強調しながら、グラスにワインを注ぐ。
うんうん、闇の組織のセクシーな相棒っぽくていいね。
僕は香りを楽しむふりをしてから、一口ワインを口に含んだ。ちなみに香りも味もわからない。
「俺にも利があった。それだけのことだ……」
「あら、利だけの関係なんて寂しいと思いんせんか」
「お互い様だろう」
「さぁ、どうでありんしょう……試していきんす?」
ユキメはふっくらとした唇を舐めて、艶やかに笑った。
「時間の無駄だ」
「それは残念でありんす。ではまたの機会に……」
ユキメは開けた胸元を少し整えて、グラスに口を付けた。グラスに鮮やかな紅が残る。
「先日、大商会連合の集会がありんした。まぁ今回は顔見せと方針の確認だけで具体的な話はまた次になりんすが、もう既にえげつない圧力をかけとるみたいや。ミツゴシ商会が潰れるのも、思ったより早いかもしれんせんね……」
「その心配はない。ミツゴシ商会はまだ粘るさ」
ユキメは少し首を傾げた。
「あら、ジョンはんの予想と違いんしたか。まぁわっちもミツゴシ商会には粘ってもらった方がありがたいし、シャドウはんの予想に期待しんしょう。わっちらの計画に変更はありません。ミツゴシ商会と大商会連合には潰し合ってもらいんす。その間にわっちらは準備を整えて機が来んしたら――」
「――すべてを手に入れる。そうだろう?」
結局のところ、彼女たちはやりすぎたのだ。商売を始めてまだ数年の少女が、歴戦の大商会と敵対して勝てるはずがない。チート知識に頼っているだけじゃここらが限界だろう。
だからこそ、僕の出番ではないか。
僕はミツゴシ商会からハブられているけれど、それでも友達の運営する商会だし、ちょくちょくお世話になっているからね。元は全部僕の知識なわけだけど。
だから僕がすべてを手に入れることが、ミツゴシ商会を守る唯一の手段なのだ。彼女たちは僕らの新商会J&Y商会の傘下に入ってもらうことになるだろう。
ふふふ、だからこれは裏切りではないのだよ。
僕は断じて『世界の商を支配する陰の大組織のボス』になりたいがためにやっているわけではない。そう、僕は友達として、彼女たちのために動くのだ。
「ジョンはんにも働いてもらうことになりんす。ただ、気を付けてくんなまし……」
「気を付ける……?」
ユキメはどこか陰のある顔で立ち上がった。
そして彼女は背中を向けて、着物の帯を解く。
ストン、と。
彼女の着物が床に落ち、見事な裸身が暖炉の光に照らされる――そのはずだった。
しかし、そこにあったのは……爛れた醜い背中。
「大商会連合にはわっちの背に傷を負わせた男。『剣鬼』月丹がいんす……」
ユキメは背中を向けたまま、横目で僕を見る。その瞳は怨嗟に満ちていた。
「月丹はわっちが殺ります。わっちは、必ず奴の命をッ……」
パチ、パチ、と暖炉の火が鳴る中で、ユキメの暗い声が響いた。
そして彼女は突然、笑った。
「ふふっ、まぁそんなわけで、しばらくわっちらは暗躍しんしょうか。ジョンはんも頼みますえ?」
ユキメが床に落ちた着物を羽織ると、彼女の側近のナツとカナが現れて帯を結んでいく。
僕はワインを飲んで、静かに席を立った。
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