第130話 彼の背中
ジョン・スミスを斬り裂いたアルファの刀に、手ごたえは無かった。
「――残像だ」
背後から聞こえる声に、アルファは余裕をもって振り返る。
そこに、ジョン・スミスが無傷で立っていた。
アルファは冷たい目で彼を睨みながら刀を構える。動揺した様子は見られない。
相手はデルタを葬った実力者だ。この程度の力があることは想定済みだった。
直後、ジョン・スミスの指が動き、闇の中で無数の白い線が躍る。
――鋼糸。
664番の報告にあったものだ。
アルファは冷静に糸の動きを見切り、そこに潜む本命を探る。
そして。
キンッ――と小さな音が響き、細い糸が宙で断ち切られた。
「囮の糸の中に本命の細い糸を混ぜる……それはもう、知っている」
「ほう……」
「手品はこれでお終い?」
アルファが動いた。
一瞬の踏み込みで間合いを潰し、漆黒の刀でジョン・スミスに斬りかかる。
首を狙ったその一撃は、普通なら躱せないタイミングだった。
しかし。
ジョン・スミスは首を傾げ、最小限の動きで躱して見せた。
「――ッ!」
アルファの動きが、止まった。
彼女は躱されることも想定していた、そして追撃の動きに入っていた。
しかし、その動きは止まり、かわりにジョン・スミスの鋼糸が舞う。
アルファは鋼糸の動きを見切りながら、刀で糸を弾き連撃の隙間から反撃を見舞う。
速く、鋭い、至高の斬撃。
今度こそ、躱せるはずのないタイミングだった。
「え……?」
今度こそ、アルファの口から困惑の声が零れた。
ジョン・スミスは、その斬撃を完全な動きで躱して見せたのだ。
刀を直前まで引き付け、まるで皮膚の上を滑らすかのように、最小限の動きのみで躱すその絶技は――。
アルファは大きく間合いを外し、戦闘そのものを回避した。
「まさか――あなたは」
アルファはそう呟いて、仮面を外す。仮面の下から美しいエルフの顔が現れた。
「――シャドウ?」
アルファの瞳は、既に確信していた。
ジョン・スミスはしばらく彼女の視線を受け止めて、仮面を外す。
「その名はもう捨てた……」
そして、仮面の下から見知ったシドの顔が現れた。
分かっていたはずなのに、アルファの顔が驚愕に染まった。
「そんな、どうして……。名前を捨てたってどういうこと……?」
「そのままの意味さ。今の僕はジョン・スミス。それ以上でも、それ以下でもない」
「どうしてあなたがジョン・スミスに……。何か、何か理由があるのよね?」
アルファの声は、何かに縋るかのようだった。
「これが最善だったからさ」
「それだけじゃ分からないわ、ちゃんと説明してよ!」
「悪いけれど、これ以上話す気はない」
「ねぇ、デルタは? デルタはどうなったの!? どうして彼女をッ!!」
「デルタは遠いところに行く必要があった。それ以上の理由は言えない」
「だから分かんないって言ってるでしょ!!」
悲痛な声が夜空に響き、アルファの刀が闇を薙いだ。
凄まじい魔力が、大気を震わせ風を起こす。
「あなたはいつもそう! ちゃんと説明してくれなきゃわかんないのよ!! 私たちがそんなに頼りないの!? あなたに考えがあるのは分かってる、だけど、私たちだって必死でやっているのに……」
アルファの声は尻すぼみで小さくなっていく。
「ねぇ、私たちはもう、あなたにとって必要ないの……?」
その顔は泣きそうに歪んでいた。
「ごめん。僕には僕のすべきことがあるんだ」
アルファは俯き、刀を強く握りしめた。
「……そう。あなたは今の私の力を、知らないでしょう」
荒れ狂う魔力が渦を巻き、アルファの下へ収束していく。
「いつまでも、足手まといじゃないの。あなたが話さないというのなら――力ずくで聞きだすわ」
そして――アルファの姿が消えた。
ジョン・スミスの顔が、初めて驚きに染まった。
荒れ狂う魔力も、漆黒の刀も、彼女の身体も――彼女がそこにいた痕跡は綺麗に消え去ったのだ。
後に残ったのは、赤い霧。
次の瞬間、赤い霧からアルファが現れて、背後からジョン・スミスに斬りかかる。
その――赤黒い刀で。
ジョン・スミスは振り返り、最小限の動きで回避しようとした。
そう、いつものように。
「――ッ!?」
ジョン・スミスの頬に一筋の傷がついた。
赤黒い刀は、前触れなく伸びたのだ。
「この刀はスライムに私の血を混ぜて強度と操作性を増したの。強度を保ったまま、スライム以上に自在に形を変えることができる。イータの研究によって生まれた悪魔憑きの可能性の一端よ。どう、驚いた?」
得意げなアルファの言葉に、ジョン・スミスは素直に頷いた。
「驚いたよ。悪魔憑きってすごいね」
「素直に話す気になったかしら?」
「いや、まったく」
アルファの瞳が鋭くなった。
「そう……全力で行くわ」
アルファの姿が消え、赤い霧が立ち込める。
そして、アルファの姿が現れるのと、斬撃がジョン・スミスを襲うのはほぼ同時だった。
ジョン・スミスのスーツが裂けた。
白いシャツにうっすらと血が滲んだ。
ジョン・スミスが反撃の糸を操った時にはもう、アルファの姿は赤い霧の中に消えていた。
次の瞬間、再び背後から斬撃が襲い掛かる。
彼女が霧から現れる速度、そして霧の中に消える速度が凄まじく速い。
間合いを無視して一方的に攻撃し、物理法則を無視して理不尽に回避する。
消えては、現れ。
現れては、消える。
赤い斬撃が、四方から絶え間なくジョン・スミスを襲う。
ジョン・スミスのスーツに幾多の裂傷が走る。
彼も鋼糸を操り、自在な動きで致命傷を防いでいた。しかし、間合いを無視するアルファと、間合いを保って戦う糸とは相性が悪い。
彼にできたのは、アルファの動きを先読みし、糸の罠を仕掛けておくぐらいだった。
「――ッ!」
また一つ、彼のスーツに傷が増えた。
赤い霧は感覚器官も兼ねているのか、アルファは糸を完全に感知しているようだった。
罠も、無駄。
もう、ジョン・スミスに打つ手は無いように思われた。
「どう? 話す気になった?」
赤い霧の中、どこからか声が聞こえる。
「いや、まったく。面白い手品だったね」
彼の声はどこか楽しそうだった。
「手品……ですって?」
どこかムッとした彼女の声。
「普通に戦ったらめんどくさそうだけど、霧ってよく考えたら質量が小さすぎるよね。だから――」
ジョン・スミスはそう言って長い、長い、長すぎる漆黒の刀をその手に持つ。
そして。
「――吹き飛ばせば、君は何もできない」
そして、その長すぎる刀を薙ぎ払い、凄まじい風を起こした。
「――ッ!」
直後、霧が消えてアルファが現れる。
「正解だ。霧のままだったら、成層圏まで吹き飛んでいたかも」
見上げると、頭上の雲が綺麗に吹き飛んでいた。
アルファが刀を構える、同時に無慈悲な一撃が彼女を襲う。
赤黒い刀が弾き飛ばされ、漆黒の刀が彼女を薙いだ。
「強くなったね」
凄まじい衝撃に彼女は倒れ意識が揺らぐ。
「安心して、峰打ちだよ」
そして、遠ざかっていく彼の足音。
彼女は薄れゆく意識の中で、必死で手を伸ばす。
「ま、待って……」
しかし、彼は止まらない。
一歩ずつ、一歩ずつ、彼女の下から去っていく。
ずっと、彼の背を追いかけてきた。
やっと、手が届くと思った。
なのに、どうして――。
「お願い……私をおいてかないで……」
彼女の声は、彼には届かなかった。
陰の実力者になりたくて! 逢沢大介 @jynsntty
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