#34 ミルの過去と壱のこれから、そしてビーフステーキ

 泣き続けるミルをカルがかかえる様にしながら食堂から出て行った後、サユリがぽつりと言った。


「……壱、茂造の対応、まぁ我も同意見だカピが、冷たいと思うカピか?」


「いや。この村の性質を知ってるし、サユリがちゃんと考えて今のシステムにしてるって解ってるから。村の人たちもそれは知ってるんだよな?」


「勿論カピ。この村の前科者に魔法の素養がある事、その衝動を抑える加護を村に掛けている事、全員に仕事を課している理由、全部言ってあるカピ。それを納得した者しか受け入れていないカピよ。だから、やはりミルの希望は受け入れられないカピ」


可哀想かわいそうじゃとは思うがの。例外を作る訳にはいかんのじゃ」


 茂造が溜め息を吐きながら言った。


「茂造、済まないカピ。また嫌な役をさせてしまったカピな」


 サユリが項垂うなだれてしまう。が、茂造はほっほっと笑った。


「大丈夫じゃサユリさん。これも儂の役目じゃからの。壱よ、あのミルはの、前住んでいた街で傷害事件を起こしたんじゃ」


「え、そんな物騒な感じには見えなかったけど」


「男にナイフで斬り掛かったカピよ。あの通りミルは所謂「重い女」カピ。これまで交際した男に尽くして尽くして甘やかして。男も最初はそれを心地良いと思うカピが、結局その重さと束縛に逃げ出すんだカピ。で、何人めかの逃げ出した元交際相手が、他の女性と仲睦なかむつまじく歩いているところを見て、衝動的に及んだカピ」


 ああ、壱たちの世界にもそういうタイプはいた。一般人より遥かに少数の女性タレントにさえそういう人たちはいて、当の本人はそれを自覚していない。


 周りに言われてようやく気付く。認めない場合もある。


「ごめん、ちょっと引いた」


「あれでもマシになった方カピよ。ミルが最初村に来たのは、事件の後に逃げ出して来た時カピ。その時は「相手が悪い」「私のどこが悪い」の一点張りだったカピが、ミル視点の話を聞いても、逃げられる原因は明らかにミルにあるのだカピ。それを茂造と我が辛抱強くさとしたのだカピ。この村の性質を言った上で、街に戻って罪を償い、村のルールを守るのなら、この村に受け入れる事を約束して、送り出したのだカピ。今は自分の質を自覚している筈カピ。そして我の加護もあって、カルとは良い付き合いが続いていると思って安心していたカピが」


「今までは結婚も同居もしておらんかったから、マシに見えていただけじゃったのかのう」


「判らないカピ。どちらにしても、ふたりがどうするかを決めるまでは待つしか無いカピよ。この村を出ると言うのなら、祝って見送ってやるカピ。ただこの村を出た後、カルに逃げられる確率が上がるカピが」


「そうじゃの。賢明な判断をしてくれると良いんじゃが」


 場が少し暗くなってしまう。ふと酒盛りが続いているテーブルを見ると、エールやワインを片手に村人が楽しそうに話したり笑ったり。


 罪を犯して償った者、この村で生まれた者、それらが混じり合って。これがこのコンシャリド村の姿。


 この先、サユリの魔力が貯まった時、壱が元の世界に戻ろうとするかどうかは判らない。だがそれまでにユミヤ食堂の店長を、そして表向きの村長を継ぐだろう可能性は高い。


 茂造とていつまでも現役では無いのだ。今はこうして元気に動いているが、確かもう70歳は超えている筈だ。


 今だって、少しでもゆっくりして欲しい。それはカリルもサントも思っている様で、有難い事に、少しでも茂造の食堂での負担を減らそうとしてくれている。


 なので、壱の村長及び店長就任の日は然程さほど遠く無い様に思われる。


 サユリがいてくれるとは言え、表立つのは壱なのだ。あの村人たちをまとめ、先程の様な事があれば、壱が嫌われ役も汚れ役も務めるのだ。


 俺に出来るだろうか。ふと不安になり、だがなる様にしかならないと今は思う。


「さて、少ししんみりしてしまったの。厨房に戻るかの。もう料理はあまり出んじゃろうから、片付けなんかを始めるぞい。今夜は壱がビフテキを焼いてくれるんじゃろ? いつものビフテキも旨いが、元の世界で食べてた中が生のやつ、あれも旨かったのう」


「じゃあ、サユリたちにはミディアムで焼いて、じいちゃんと俺にはレアかミディアムレアにしようか。ステーキそのものを普段そんなに食べないから、ご馳走ちそうだよ」


「そうじゃの。向こうではビフテキは贅沢品ぜいたくひんじゃものなぁ」


 実際にはビフテキはビーフステーキの略では無いと、どこかで聞いた記憶がある。だが茂造の世代にはそれで通って来たのだろうから、わざわざ訂正はしない。


 壱たちは立ち上がり、厨房に戻る。サユリも仕事をすべく、酒盛りの輪に混ざって行った。




 さて、夜のまかないを作る。ビーフステーキはミディアムなどにする場合は、焼き上げてから食べるまでの時間が勝負なので、最後に焼く事にする。


 さて、鶏肉や豚肉が焼き上がり、パスタも出来た。このタイミングでビーフステーキを焼こう。


「イチ、焼き方見てて良いか? 旨かったらさ、食堂のやつの焼き方変えてもいいのかなって思ってさ」


「ああ、うん。ちょっと緊張するなぁ」


 壱は室温に戻しておいたステーキ肉に塩と胡椒こしょう千切ちぎったタイムを振る。今日は2枚あった。


 次にフライパンを火に掛けて、熱くなったらに牛脂を敷き、適量溶け出して来たらにんにくのスライスを入れる。


 にんにくから良い香りが上がって来たので、ステーキ肉を調味料を振った面を下にして入れる。まずは強火で焼き色が付くまで。その後弱火に落とし、表面に肉汁が浮いて来るのを待つ。


 その間ににんにくを返してこんがりと焼き色を付けて行く。


 表面に赤い透明の液体が出て来たら裏返し、風味付けの赤ワインを少量振る。


 ここまでは、普段の食堂のステーキと同じ焼き方だ。違いはこの先。裏面を何秒焼くかで、加減が変わるのだ。


 まず、壱と茂造の分はミディアムレアなので12、3秒くらいで上げる。


「短くね?」


 カリルが驚いて声を上げるが、壱は首を振る。


「これはじいちゃんと俺の分」


 そしてもう1枚はそれから10秒足らずで上げた。


「やっぱり短けー! 大丈夫なのか?」


「大丈夫。見た目は生っぽいけど、ちゃんと火は通ってるからさ」


 壱はそれぞれを皿に盛り、にんにくチップを乗せると、両手で持って厨房に運んだ。添え物の無いシンプルな盛り付けだった。


「はいお待たせー」


 2種類の焼き方のビーフステーキをテーブルに置くと、みんなが興味深げに覗き込む。


「ん? 見た目はいつものステーキと変わらない感じがするんだけど」


 メリアンの言う通りである。


「違いは中だよ。ちゃんと焼けてると良いけどなー」


 壱がナイフとフォークを使い、切り分けて行った。まずはミディアムから。


 中心部分だけが薄っすらと赤い。なかなか悪く無い焼き上がりである。


「こっちがミディアム。余熱で完全に色が変わらない内に食べてみてよ」


 昨日食べてみたいと言っていたマユリとカリルとサント、そしてサユリの分は小さめに切り分けて皿に置いてやる。


 壱は続けてミディアムレアの方にナイフを入れる。こちらはミディアムより赤い部分が多い。壱と茂造の好みの、そして人気の焼き方でもある。


 その間に、マユリたちが各々ミディアムのステーキをフォークに刺し、恐る恐る口元に運んだ。


「そんなに警戒する様な事?」


 壱が不思議に思って聞いてみると、カリルが応える。


「いや、生の肉も食べた事あるけどよ、生臭いって思ってさ。でもこれはそんな匂いとかはしないな」


「火は通ってるからな。レアだったらもっと生っぽいけど」


「じゃ、じゃあ、い、いただきます……!」


 一番にマユリがかぶり付いた。一口では無理なので適量をみ切り、味わいながらゆっくりと咀嚼そしゃくする。するとその顔が驚きで満ちた。


「これ、美味しい、です。あの、中が赤いのに、あまり、生って感じが、しなくて、あの、生臭いとかも、無くて、柔らかくて」


「本当か? じゃあオレも」


 カリルとサント、サユリも口に入れる。男ふたりは大口を開けて。サユリも一口で欠片をんだ。


「あ、本当だ。冷たいとかも無いし、生臭くも無い。柔らかくて旨いな!」


「成る程カピ。これくらいなら臭みも無くなるのだカピな」


 サントもうんうんと頷いている。


 みんな満足してくれた様だ。ミディアムなら大丈夫だろうとは思っていたが、やはり不安はあった。壱は安堵あんどする。


「うんうん、やはり中が赤いビフテキは旨いのう。良い焼き加減じゃ」


 茂造はミディアムレアの方を頬張っている。壱も口に放り込んだ。うん、やはりこのぐらいの焼き加減が好みだ。


 にんにくやタイムで臭みはしっかりと抑えられている。しっかりむと、口の中で旨味が弾け、甘い肉汁が溢れる。壱は眼を閉じた。


 この村の牛肉は乳牛を潰すと言うやり方なので、食用に育てられる牛より肉質は劣る。当然臭みも多くなる。それが余計に村人に生食を敬遠させているのだと思う。


 それでもまだ比較的若い内に潰すらしいので、壱たちの世界で廃牛と言われるものよりは上質な筈なのだ。


 充分だ。充分に美味しい牛肉だ。きちんと管理され、餌も良いものを食べさせて貰っているのだろう。


「牛ってそもそも鶏とか豚より癖のある肉だろ。灰汁あくが多いからかな。だから多少の臭みというか、そういうのは仕方が無いと思うんだよね。でもにんにくとタイムがちゃんと仕事してくれてるから、そんなに慎重に火を通さなくても大丈夫だと思うんだ」


「そーだな。けどいきなり中が赤い肉を出すのは、みんな抵抗あるだろうから、こう、ギリギリの焼き加減で行きてぇよな」


「裏返したら30秒ぐらいで大丈夫だよ。明日またステーキが余ったら焼いてみようか」


「おっ、頼むぜ!」


 すると、メリアンもミディアムの方にフォークを伸ばした。


「みんなズルい! ボクも食べる!」


「あらぁ、じゃあワタシもいただこうかしら〜」


 そうして食べたふたりにも好評で、壱はまた胸をで下ろした。

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