#18 麹は純白で栗の香り、柔らか大豆は甘くて旨い

「さてどうするカピか。ここで作れるカピか?」


「作れるけど、麹菌きくきんが飛んで天井とか壁とかに付くからな。蔵ではそれが味噌作りの助けになるんだけど、ここは家だから、外でやる方が良いと思う」


「そうカピか。じゃあ材料と器具を持って裏庭に行くカピ。あ、大豆がいるのだったカピな」


「じゃあそれは儂が貰って来るとしようかの。どれぐらいあったら良いかのう」


「とりあえずは試作だし、あんまり貰うと次の枝豆育てるのに影響が出るかな」


「そうじゃの。収穫量があまり減ってしまうのも困るのう」


「じゃあこのボウルに」


 壱は言いながら、棚からボウルを出す。小さめのボウルで、入るのは1リットルほどだろうか。


「一杯分貰えたら嬉しいかな」


「それぐらいなら大丈夫じゃと思うぞ。じゃあ行って来るでの」


 茂造は言うと、ボウルを手に階段を降りて行った。この建物には、厨房にも裏庭に出るドアが付いているのだが、従業員専用のドアなどがある訳では無いので、裏と表、都合の良い方を使う。


 茂造は表ドアを使ったと思われる。表は要は食堂のドアである。


「まず、米を蒸すんだよ。蒸し器ってこの世界にあるのかな」


 壱は調理器具が置いてある棚をさぐる。ここでは朝食ぐらいしか作らないので、あまり種類は無かった。


「どうだろうカピな。少なくともこの食堂では蒸し物を出してはいないカピ」


「だよなぁ。だったら代わりに」


 壱はふた付きの深めの鍋に小振りのお椀状の器と、お椀よりふた回りほど大きめのザルを出す。


「まずは米を洗って、と」


 大豆の量が多くは無いので、米もさほど量は要らない。こうじはあまり保存が効かないので、使用する度に作るのが理想である。


 壱はボウルで丁寧に米を洗い、水に浸ける。先日裏庭で育てた魚沼のコシヒカリである。贅沢ぜいたくな麹だ。


「これで、そうだな、年中春みたいなここの気候なら10時間ぐらい置くかな」


「では我の魔法の出番カピな」


 サユリが右前足を上げる。


「終わったカピ」


「じゃあこれをザルにあげて、と」


 何度か優しく振って、軽く水気を切る。あまり強く振ると米が割れてしまったりして、麹の出来上がりに影響が出るのだ。


 ザルを、小振りのお椀に重ねる様に置く。


「しっかりと水気を切らなきゃいけないから、このまま2時間、1度混ぜて2時間」


「では、また我の魔法で」


 サユリの右前足がくるり。壱が米を混ぜて、またサユリが右前足をさらり。


「はいカピよ」


「ありがとう。じゃあ、これを布に包んで蒸す、と」


 鍋に水を張り、蓋をして火に掛ける。沸くまでの間に米を布に包み、ザルに入れる。


 鍋の湯が沸いた。蓋を開けてお椀と米のボウルを重ねて入れ、素早く蓋をし、火加減を調整する。


「これで1時間蒸すんだ」


「では、また我の出番カピな」


 サユリの右前足がふらり。


「出来たカピ」


 鍋の蓋を上げると、派手に蒸気が上がる。熱いのを我慢して布を開き、米の様子を見る。数粒を指で潰すと芯も無く、容易に餅みたいになった。


「よっし」


 壱は湯気が上がる蒸し米をバットに開ける。しゃもじ代わりの木べらで混ぜながら、水分と熱を飛ばし、平たくならす。


「さぁて。じゃあ、裏庭に行こう。ここから麹菌を使うから」


 サユリと一緒に階段を降りる。厨房に入ると調理台にバットを置き、すみに積まれている予備の椅子を2脚取ると、厨房のドアから裏庭に出た。


 椅子を裏庭に並べて置いてから、厨房にバットを取りに戻る。裏庭には物を置く様なものは無いので、椅子を台代わりにバットなどを置いた。


「ここから米の温度を保たなきゃいけないんだけど、サユリ、いけるかな」


 壱が聞くと、サユリは鼻を鳴らした。


「当然カピ。我を誰だと思っているカピか」


「助かる。40度ほどにして欲しいんだ」


「任せるカピ」


 サユリが右前足を動かす。


「これで40度ぴったりだカピ」


「ありがとう。じゃ、ここに麹菌を振り掛ける」


 壱は麹菌を乾いたザルに入れると、米に満遍まんべん無く振って行く。途中で木べらで混ぜ、また麹菌を振り、また混ぜ、を繰り返す。


「うん、この状態で置いて米を発酵はっこうさせる。35度ぐらいを保って、20時間ぐらい」


「温度も時間も我に任せるカピ」


 サユリが右前足を振る。あっと言う間だ。米の表面に目視出来るスピードで白い菌糸きんしかすかに湧き上がって来る。ちゃんと発酵が始まっている証拠だ。


「じゃあ、これを解して」


 出来たかたまりなどを解す様に、1粒1粒がバラバラになる様に両手で丁寧ていねいに揉む。


 これを、数時間ごとに繰り返す。時間経過はサユリの時間魔法に頼り、手作業は壱が慣れた手付きで行っていった。


 実家の相葉味噌の蔵では、経験の少ない壱はペラッペラの下っ端だった。跡継ぎだと言う事もあって歓迎はされつつ、しかし様々な事を覚えるのに必死だったのである。


 現当主、壱の父が麹や味噌の作り方をみっちり教えてくれた。初めて麹菌を米や麦に振った時、初めて麹の手入れをした時、初めて大豆を煮て潰した時。


 ふとその時の事を思い出す。たった数年前の事なのに懐かしい。


 さて、麹からは栗の様な甘い香りがほのかに漂って来た。巧く行っている。


 最後の手入れを行う。


「サユリ、これが最後。8時間てとこかな」


「よしカピ」


 サユリがまた右前足を回す。


「終わったカピ」


「ありがとう。さて、仕上がりはどうかな」


 純白の麹は菌糸が米同士をくっつけ合って、板状になっている。だが手を入れると容易に解れた。そして先ほどより強くなっている、甘い香り。


 柔らかく、弾力もある。一欠片取って口に含んでみると、適度な甘みを感じた。


「うん、良い出来だ」


「麹作りって大変なのだカピな。壱は毎日こんな事をやっていたカピか?」


「毎日じゃ無いけど、蔵で作る時は時間魔法なんて勿論無いから、まぁ保温とかは機械に頼ってたけど、時間は掛かってたな。だから今回は本当に助かった。30分も掛からずに米麹が出来るなんてな」


 さて、次は大豆の出番である。茂造は戻って来ているだろうか。出来上がった麹や器具を、まずは厨房の調理台に置き、椅子も足を拭いてから中に入れて、元の場所に戻す。


 2階に上がると、ダイニングに茂造が帰って来ていた。テーブルには大豆がなみなみと入れられたボウルが。


「あ、じいちゃんお帰り」


「ただいまじゃ。大豆を貰って来たぞい。これで良いかのう」


「うん。充分。じゃあ早速洗うか」


 壱は大きめのボウルを出すと、そこに大豆を移し変える。水を入れ、大豆同士をこすり合わせる様に丹念に洗う。


 水が澄んで来て洗い上がると、大豆を貰って来たボウルを濯ぎ、それで3杯分の水を大豆のボウルに入れる。


「これで18時間。サユリ、お願い」


「うむカピよ」


 右前足を動かすサユリ。


「終わったカピ」


「本当にあっと言う間で凄いな。さて、ちゃんと芯まで水吸ってるかな」


 1粒取ってみる。大きさは問題無さそうに見える。さて中身はどうか。割ってみると、中までしっかり吸水されていた。


「オッケー。じゃあ水を切って、と」


 ザルですくって水気を切りながら鍋に入れて行く。そこに大豆ひたひたの水を加えた。


「ここから3時間ほど煮込むんだ」


 壱はコンロの火を点けた。まずは強火。


「ではまた我の出番カピか」


「ちょっと待って。途中で灰汁あくを取りたいから」


 鍋の中身が煮立つ寸前に弱火に落とす。白い灰汁が鍋縁に沸いて来た。それをレードルで丁寧に取る。出来る限り茹で汁を減らさない様に。


「じゃあサユリ、よろしく。まずは1時間」


「うむカピ」


 サユリが右前足を動かす。


「終わったカピ」


「ありがとう」


 鍋の中を見ると、また微かに灰汁が出て来ているので、掬う。


 それを後2回繰り返し、合計3時間。時間的には茹で上がっている筈だ。


「あちち」


 熱さに注意しながら、大豆を1粒レードルで掬い、左の掌に乗せる。右の親指と小指で潰してみると、簡単に崩れた。ちゃんと煮上がっている。それをそのまま口に放り込んでみると、甘みも旨味もある、悪く無い大豆だった。


 枝豆の種子しゅしとして育てたものなので、大豆用の種類とは違う。だがこれならちゃんと美味しい味噌が出来そうだ。


「味噌作りとは大変なんじゃのう」


 壱の作業を見つめていた茂造が、しみじみと呟く。壱の家と相葉味噌の蔵は隣接していて、家に茂造が来た事はあるのだが、味噌の製造過程などは見せた事は無かった様だ。


 それもそうか。店舗には客が毎日訪れるが、蔵に無関係の者を入れる事は、少なくとも壱の知る限りでは無かった。


「麹作りはもっと大変だったカピ。我の時間魔法がなければ2日や3日掛かるカピ。温度管理もいるカピよ」


「ほう、毎日当たり前の様に食べていた味噌じゃが、もっと有り難がらねばならんかたのかのう。料理や農作業などもそうじゃな、この世界に来て、初めてその大変さを知ったものじゃ」


 定年まで会社勤めをしていた茂造の中で、この世界に来てから相当の意識改革がされた様である。


 さて、サユリの魔法に頼りながらも、ようやくここまで来た。壱は大きく息を吐くと、次の作業に掛かるべく、ザルを手にした。

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